実は今日の日曜日から明日の月曜日にかけては、休暇を取っての掛川行脚。
実はもう3ヶ月も前の、まだ北海道にいたときから「明日21日の月曜日の午後に、防災に関する講演をしてくれませんか」と、掛川市内の危険物安全協会から依頼を受けていたのです。
せっかく掛川へ行くのなら、ということで、前日の日曜日から乗り込んで、会えるものならいろいろと懐かしい人達に会いたいものだ、と思っていたのですが、地元のスローライフの仲間達がその意を汲んでくれて、一緒にスローライフで苦労したIさんのお宅にて、野外パーティとなった次第。
このパーティには、私の個人的な趣味から始まった、掛川蕎麦研究会の面々も集まってくれて、今日のお客さん達に自慢の蕎麦を披露するという企画もついていて、嬉しい限りなのです。
「こままささん、いろんな人達が楽しみにしていますから、たくさん来ますよ」とは言われていたものの、本当にたくさんの人達が入れ替わり立ち替わり、訪れてくれて声を掛けてくれました。
中には、私がいなくなってからなお、話を聞きつけて一方的に私のことを知っているという、私自身が全く存じていない新しい仲間の人達やアメリカ人夫婦や静岡県庁の知人までいて、まあとにかく賑やかなことといったらなかったのです。
なかには、「こままささんが行くなら私も行きましょう」とわざわざ東京から駆けつけてくれた大学の先生までいるしまつ。お互い、東京にいるのにねえ。
※ ※ ※ ※
前回掛川を訪れたのはほぼ一年前のこと。この一年の間に、新しい公園の一部が完成したり、区画整理の道路が開通していたり、空き地にビルが建とうとしていたりと、定点観測していると、まちは新陳代謝をしながら新しい姿になろうとしている様がよく分かります。
その変わり方は、土地利用の仕方の変化であるわけですが、変わる事への期待と変わる事への不安など、人々の思いは複雑です。
変わるのなら良い方向に、それも関係者が譲り合いながら納得して最大の効果が得られるような形に導きたいものです。
掛川のまちづくりは生涯学習まちづくりとして、「まちとは何か?」「まちが変わるということは何か?」という問いかけとそれへの答えの中で進められて行くと良いのですが。
※ ※ ※ ※
さて、賑やかなパーティの裏方で一生懸命蕎麦を打って振る舞ってくれていたのが、わが愛すべき蕎麦研究会のメンバー達。
蕎麦粉などの材料から、のし台、茹でる道具一式、盛りつける器、そして蕎麦つゆまで、大変な思いをして活躍してくれました。その献身的な行為は、ありがたさを通り越して申し訳なく思うほどです。
そんな私からのささやかなお礼は、「さらしな粉」の打ち方の伝授でした。
普通の手打ち蕎麦の会では大体が田舎蕎麦という、黒くて蕎麦らしい味のする蕎麦粉を使って打つのですが、これは比較的繋がりやすい粉を用いています。
これに対して「さらしな粉」とは、蕎麦粉のなかでも胚芽に近くて、白くて繋がりにくい成分のところを用いる蕎麦粉で、これで蕎麦を打つと、そうめんのような色でいながら、ぐっとコシと甘みのある独特の蕎麦を堪能できるというわけ。
ところがこの打ち方は、あまり本でも紹介されていなかったり、教えてくれる人も少ないので、なかなか覚える機会が少ないのです。幸い私はさらしな粉の打ち方を教えてくれる人がいたことから覚えることができたもので、この技術を蕎麦研のメンバーに披露したのでした。
しかもリクエストに応じて、「天地蕎麦」と呼ばれる、粉茶を混ぜて緑色にした蕎麦粉と白いままの粉を重ねて、一本の蕎麦の中に茶そばと白い蕎麦があるという複合技まで披露してしまいました。技を見せる機会も少ないので、大サービスです。
しかし、このさらしな粉の打ち方は熱湯を使って、ただでさえ少ない蕎麦の粘りけを引っ張り出すなどかなり高度に打つ技術を必要として、田舎蕎麦なら手早く上手に打てる技術がなければなかなか難しいのです。とにかく【手早く】がさらしなのコツ。
ところが私も初めて出会う粉なので、水加減の調整を微妙に失敗して柔らかすぎる玉になってしまいました。ちょっとお恥ずかしい。でも、ここから先は自分たちでまた挑戦してみて欲しいものです。
本当は今回伝えたかったことは、細かな蕎麦打ちの技術よりも、一瞬一瞬の工程にあって「その瞬間に何を感じて、なにを考えているか」ということでした。
「今何を考えていると思う?」「この状態を見て何を感じる?」
その瞬間瞬間に気づいて考えていることが分かれば、「次にどうしたら良いと思うか
?」そしてそれをどうするか、というスキルに繋がってゆくのです。
そういう蕎麦打ちマインドを伝えたかったのですが残念ながらそこまでは行きませんでした。ぜひ次にはそれを伝えたいと思っています。
しかし、総じて皆上手になっていて、この間の練習の成果を見せてもらい本当に嬉しかったのです。ありがとう、ありがとう。
次に会うときにはさらに腕を上げていてくれることでしょう。私もうかうかしていられなくなりました。
そして、あらためて今回参加してくれた多くの皆さんに感謝申し上げます。なかなか深く語るところまで行かなかったご無礼はお許し下さい。ありがとうございました。
実はもう3ヶ月も前の、まだ北海道にいたときから「明日21日の月曜日の午後に、防災に関する講演をしてくれませんか」と、掛川市内の危険物安全協会から依頼を受けていたのです。
せっかく掛川へ行くのなら、ということで、前日の日曜日から乗り込んで、会えるものならいろいろと懐かしい人達に会いたいものだ、と思っていたのですが、地元のスローライフの仲間達がその意を汲んでくれて、一緒にスローライフで苦労したIさんのお宅にて、野外パーティとなった次第。
このパーティには、私の個人的な趣味から始まった、掛川蕎麦研究会の面々も集まってくれて、今日のお客さん達に自慢の蕎麦を披露するという企画もついていて、嬉しい限りなのです。
「こままささん、いろんな人達が楽しみにしていますから、たくさん来ますよ」とは言われていたものの、本当にたくさんの人達が入れ替わり立ち替わり、訪れてくれて声を掛けてくれました。
中には、私がいなくなってからなお、話を聞きつけて一方的に私のことを知っているという、私自身が全く存じていない新しい仲間の人達やアメリカ人夫婦や静岡県庁の知人までいて、まあとにかく賑やかなことといったらなかったのです。
なかには、「こままささんが行くなら私も行きましょう」とわざわざ東京から駆けつけてくれた大学の先生までいるしまつ。お互い、東京にいるのにねえ。
※ ※ ※ ※
前回掛川を訪れたのはほぼ一年前のこと。この一年の間に、新しい公園の一部が完成したり、区画整理の道路が開通していたり、空き地にビルが建とうとしていたりと、定点観測していると、まちは新陳代謝をしながら新しい姿になろうとしている様がよく分かります。
その変わり方は、土地利用の仕方の変化であるわけですが、変わる事への期待と変わる事への不安など、人々の思いは複雑です。
変わるのなら良い方向に、それも関係者が譲り合いながら納得して最大の効果が得られるような形に導きたいものです。
掛川のまちづくりは生涯学習まちづくりとして、「まちとは何か?」「まちが変わるということは何か?」という問いかけとそれへの答えの中で進められて行くと良いのですが。
※ ※ ※ ※
さて、賑やかなパーティの裏方で一生懸命蕎麦を打って振る舞ってくれていたのが、わが愛すべき蕎麦研究会のメンバー達。
蕎麦粉などの材料から、のし台、茹でる道具一式、盛りつける器、そして蕎麦つゆまで、大変な思いをして活躍してくれました。その献身的な行為は、ありがたさを通り越して申し訳なく思うほどです。
そんな私からのささやかなお礼は、「さらしな粉」の打ち方の伝授でした。
普通の手打ち蕎麦の会では大体が田舎蕎麦という、黒くて蕎麦らしい味のする蕎麦粉を使って打つのですが、これは比較的繋がりやすい粉を用いています。
これに対して「さらしな粉」とは、蕎麦粉のなかでも胚芽に近くて、白くて繋がりにくい成分のところを用いる蕎麦粉で、これで蕎麦を打つと、そうめんのような色でいながら、ぐっとコシと甘みのある独特の蕎麦を堪能できるというわけ。
ところがこの打ち方は、あまり本でも紹介されていなかったり、教えてくれる人も少ないので、なかなか覚える機会が少ないのです。幸い私はさらしな粉の打ち方を教えてくれる人がいたことから覚えることができたもので、この技術を蕎麦研のメンバーに披露したのでした。
しかもリクエストに応じて、「天地蕎麦」と呼ばれる、粉茶を混ぜて緑色にした蕎麦粉と白いままの粉を重ねて、一本の蕎麦の中に茶そばと白い蕎麦があるという複合技まで披露してしまいました。技を見せる機会も少ないので、大サービスです。
しかし、このさらしな粉の打ち方は熱湯を使って、ただでさえ少ない蕎麦の粘りけを引っ張り出すなどかなり高度に打つ技術を必要として、田舎蕎麦なら手早く上手に打てる技術がなければなかなか難しいのです。とにかく【手早く】がさらしなのコツ。
ところが私も初めて出会う粉なので、水加減の調整を微妙に失敗して柔らかすぎる玉になってしまいました。ちょっとお恥ずかしい。でも、ここから先は自分たちでまた挑戦してみて欲しいものです。
本当は今回伝えたかったことは、細かな蕎麦打ちの技術よりも、一瞬一瞬の工程にあって「その瞬間に何を感じて、なにを考えているか」ということでした。
「今何を考えていると思う?」「この状態を見て何を感じる?」
その瞬間瞬間に気づいて考えていることが分かれば、「次にどうしたら良いと思うか
?」そしてそれをどうするか、というスキルに繋がってゆくのです。
そういう蕎麦打ちマインドを伝えたかったのですが残念ながらそこまでは行きませんでした。ぜひ次にはそれを伝えたいと思っています。
しかし、総じて皆上手になっていて、この間の練習の成果を見せてもらい本当に嬉しかったのです。ありがとう、ありがとう。
次に会うときにはさらに腕を上げていてくれることでしょう。私もうかうかしていられなくなりました。
そして、あらためて今回参加してくれた多くの皆さんに感謝申し上げます。なかなか深く語るところまで行かなかったご無礼はお許し下さい。ありがとうございました。