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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

吉野ヶ里で弥生時代に触れる

2007-05-11 23:55:09 | Weblog
 九州出張の二日目。

 午前中にたっぷりと打ち合わせ事項を終えてから、ここまで来たので少し足を伸ばして佐賀県にある国営吉野ヶ里歴史公園を訪ねることに。

 ここは今では年間約57万人の入園者数とのことですが、訪ねたときは学習遠足と思しき子供達がたくさんおりました。賑やかなのはよいことです。

 この公園で見つかった弥生時代の遺跡群は一時は「すわ!邪馬台国か!」と大いに話題となったのでした。

 しかしながらいろいろと調査が進む中で、残念ながら邪馬台国ではないらしい、ということになったのですが、国の公園となったことで、公園事業として我が国の歴史に親しみ、かつ楽しむこともできるようになったのです。

 子供だけではなく、大人も充分勉強になり、また楽しめる歴史空間というのは素晴らしいですね。

 ところでこの町も市町村合併で、「吉野ヶ里町」になったのだそう。ちょっとした地区の名前が公園の名前になり、ついには町の名前になると言うのも面白いですね。

 縄文時代の公園もできないかなあ。函館の南茅部の中空土偶も国宝になったことだし。

    ※    ※    ※    ※

 帰りがてらには、太宰府天満宮で学問の神様菅原道真公にご挨拶。写真の本殿向かって右にあるのが有名な飛梅。
 「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」の歌は有名ですね。

    ※    ※    ※    ※

 さて、この太宰府天満宮からほど近い山の中に、最近できたのが九州国立博物館。

 山をめがけて長いエスカレーターが続き、トンネルを出たところに巨大なガラスの建物が現れました。

 驚きながら、常設展のチケットを買って中に入ってみると、これは大きい!

 古代中国の仏教に関する企画展もやっていたのですが、短時間ではとてもとても、常設展を一周することすらできませんでした。

 しかし展示内容は充実していて、非常に見応えのあるものでした。こんどはもっと時間をたっぷり取って来たいものです。
 
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福岡というまちの見方

2007-05-10 23:03:15 | Weblog
 先週末は一泊で福岡方面へ出張でした。なかなかアップできずにすみませんでした。

 さて、今回は福岡市内でわが事業の可能性のある現場を見ておくという旅。今後の事業展開を考える上では、現場をよく見ておかないと現地条件にそぐわないアドバイスや指示をしかねないので、現場を見ておくということは絶対に欠かせない大切なことなのです。

 さて、関連する現場を見つつ、途中は徒歩でまち巡り。福岡は洗練されたまちというイメージがありましたが、やはりまちの変化に活気がありました。

 再開発ビルのキャナルシティ博多は、外国人デザイナーによる斬新なデザインと、日本人には見慣れない洗練された色づかいで有名。今ではアジア各国からの観光客が必ず立ち寄るポイントになっているのだとか。

 流行のシネコンはもちろん、劇団四季の常設劇場などもあり、都市の賑やかさを象徴しています。

 前回来たのは十年前くらいだったと思いますが、やはりなかなか考えつかない空間の作り方です。福岡が洗練されたまちとして評価されるのに十分貢献しています。

 そこから少し離れた博多リヴァレインというやはり新しい再開発ビルまでの間にあるのが、上川端通りという商店街。

 そしてここの入り口付近にあるのが櫛田(くしだ)神社。なるほど、地域の文化を知るには神社を巡るのが一番です。

 櫛田神社は、ゴールデンウィーク一番の人出となった博多どんたくの出発地でもあり、また夏には博多祇園山笠の神事でこれまた博多っ子の熱狂を呼ぶ霊験あらたかな神社です。

 実は私は知らなかったのですが、博多どんたくというお祭りは正しくはこの櫛田神社の祭礼ではないのだそう。

 もともとは『博多松囃子』という祭りが起源・中核となりつつ今ではイベントの一つとなってしまったようで、イメージとしてはよさこいソーランまつりのような盛り上がりのイベントのようなのですが、それでも博多松囃子の一行は出発のときに【しきたりとして】櫛田神社から出発することになっているのだとか。
 
 かねてより私は「よさこいソーランも上手に神事と結びつけばよいのに」と思っているひとりですが、道産子はその辺は関心の外のようです。もったいない。

    ※    ※    ※    ※

 この櫛田神社のお祭りは七月の博多祇園山笠。山笠は、素盞鳴命(祗園宮)に対する奉納行事だそうです。

 そしてこれこそ、「盆暮れには帰らなくても祭りには帰る」と言わせるほど地元を熱狂させるお祭りに他なりません。祭りに生まれて祭りで育ち、祭りで歳を取るのですね。

 福岡市内でまちを歩いていると、大きなビルに囲まれた5階建ての古いビルがありました。「あのビルは地権者の人が周辺の再開発事業に納得しなかったんですね」と訊いてみると、一緒に現場を案内してくれた方が、「そうなんです。『あの区画の端に権利を持った面積を用意するのでどうですか』と何回か交渉に行ったのですが、『山の流れが変わるから…』と言ってやんわり拒否され続けたんです」

「山の流れ…?ですか」
「はい、このあたりではお祭りのときの組を『流れ』と言うんです。山は山笠、それを担ぐ土地が変わってしまうということが許されないことだったんですね」

 現世の利益や経済を超えたところに、許されない思いが今でも生きているお話しです。そこのご主人には今居る土地を動くことがどうしてもできなかったのでしょう。
 心の琴線はそんなところにあるんですね。

    ※    ※    ※    ※

 さて、この川端通りを歩くと反対側にリヴァレイン博多が現れます。

 実はこの商店街もだいぶ前は廃れてしまってシャッター通りになったらしいのですが、リヴァレインができて地下鉄の駅ができると、キャナルシティとの間の歩行者の数が増えて、次第に商売が復活してきたのだとか。

 なるほど、ショッピングセンターによく見られる『二核1モール』のような効果を生み出したようです。まちはただただ廃れるばかりではなく、工夫やきっかけで息を吹き返したりすることもあるのです。

 リヴァレインも美術館が入ったり、一流ブランドのお店が入った再開発ビル。雰囲気は極めて現代的です。

 ところがビルとビルの間にある、昔の街道を公共歩道として活かした通路の上には橋が架かっているのですが、これがなんとお祭りのときには山笠がこの通路を通る際に跳ね橋になって、下を山笠が通るようになっているのだとか。

 聞けばそれも、高さの問題などではなく、「神聖な山笠を上から見下ろすのが不遜である」という思いからだとか。

 聞けば聞くほど、福岡は現代の風景と歴史と伝統がマッチした面白さをもったまちでした。

 福岡って何回も来たけれど、こういう切り口でまちを見たのは初めてでした。これもまた神様の御利益というわけなんでしょうね。

    ※    ※    ※    ※

 さて、トップの写真は櫛田神社の拝殿の破風に飾られている風神の木彫り。対をなす雷神に追いかけられて、アカンベをしながら逃げているのがなんともユーモラスです。
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新宿「思い出横町」

2007-05-09 23:20:50 | Weblog
 銀行関係から書類が郵送されることになっているのですが、この連休のために郵便局での保管期間が切れるぎりぎり。

 今日は飲み会が入っていないので、今日の夜19時~21時に届けてくれるように郵便局に連絡をして、早く帰ろうと思っていたところ、午後に札幌の知人のAさんからメールが来て「近くに来てるんだけど、寄ってもいいかい?」とのこと。

 嬉しくなって待ち合わせ、「一杯だけね」ということで、新宿ガード下の「思い出横町」へ。

 この「思い出横町」は、いかにも新宿が密集地区だった頃の面影を残している、狭い小路に壁一枚隔てて隣の店が軒を連ねるという、ノスタルジー溢れる飲み屋さん街です。

 帯広で始まって、今や全国に展開している屋台村や屋台文化を懐かしく共感が持てるのは、こういう雰囲気の再現だからなのでしょう。

 出せる料理も、焼き鳥にモツ煮込み、漬け物など、シンプルなものばかり。ビールも瓶しかないっ!しかしそれがまたいいんだな。

 「ビールもう一本」「もう一本だけね」一本で収まるわけがないわね。

 Aさんからは、この一カ月の道内のいろいろな情報を教えてもらって、なるほど、GWに帰っただけでは分からないいろいろなことを教えてもらいました。

 Aさん、またあの店でお会いしましょう。

 そして、やっぱり、というか、家に着いたときにはもう郵便屋さんが来た後で、郵便物はきょうも手に入らなかったのでした。とほほ。
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まちづくりへの参加の仕掛け

2007-05-08 23:16:20 | Weblog
  かつて同じ職場だった友人と3人でミニ同窓会。同じような仕事をしている関係で話題はやはりまちづくりへ。

 まちづくりといっても、どうしたってハード整備を行わなければ改善できないところもあるわけです。具体的には、再開発や区画整理など、土地の権利や居住権などを持った人達から、新しいまちづくりの合意形成をどうやったらよいのか、という話題に。

 私が札幌で再開発を行っている友人の話を紹介して、「再開発に懐疑的だった住民の人達の心が動いたのは、『このままでは地域の住民が少なくなって、小学校がなくなりますよ』という一言だったそうだよ」と言いました。

 友人のA君は、「結局、その一言が心の琴線だったわけだよね。お金以上の何か、心にぐっと来る訴えかけがないとなかなかものは動かないんですよね」と一言。

 そのうえで「そういう、住民の心が動くという劇的な瞬間を若手の技術者にも経験させないと、単に『経済的にはなんとかなりますよ』という話しかできなくなってしまうんだよね」

 地域に入り込んで、地域の人達の心を捉えて信頼されて、初めて話が聞いてもらえる、そんなまちづくりのプロセスを経験しなくては、本当のまちづくりはできません。

 しかしそういうノウハウや知恵や経験は、結局経験した人に蓄積して行くものなので、なかなか耳で聞いたり本を読んだりしても身に付きにくいものなのです。

 「一つの事業が始まって終わるまでって、再開発では5~6年、区画整理で十年くらいなものでしょう。その間ずっと同じ現場に居続けて地元の信頼を得る、ということも最近は難しくなりつつあるしなあ」

 組織のなかにいると、人事異動などによって同じところにいるというのも難しいことがあるものです。

 「そういう地域のコーディネートも、『もうお金なんかいらない、地域に貢献したい、なにか他人が喜んでくれることに力を尽くしたい』という団塊の世代が、格安でやってくれるようなビジネスモデルって成立しないかな、と思うんだけどね」とA君。

 「できあがったもののおかげで、幸せが増えるという事もあるのだろうけど、そこに向かう数年間を苦しんだり喜んだりして地域の思い出を作るという過程にも幸せが感じられないものかな」と私。

 健康で能力も意欲もある人達のまちづくりのうえで活躍する舞台をどうやったら作れるか、という話で大いに盛り上がりました。

 そろそろ地域への貢献する準備をしておくことにしますかね、私も。
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景観はまちのブランド

2007-05-07 23:43:48 | Weblog
 今日は横浜にある職場へ向かいました。
 
 横浜の馬車道付近は、文明開化当時のイメージを活かした風景、景観作りが行われていて、横浜の街のセンスを感じます。


 馬車道駅付近では、旧横浜銀行の石造りの建物を再開発でも活かして、街の雰囲気を整えようとしています。

 街の歴史を活かして景観を整えることはまちのブランド価値を高めるための良いツールです。

 さて、私は馬車道という駅で乗り降りするのですが、地下鉄みなとみらい線の駅の表示が、他の駅の表示はゴチック体なのに、馬車道駅だけは明朝風の字体を使っているのに今日初めて気づきました。

 
 なるほど、ここまで気を使っているのかと感心した次第。やる気になればなんでもやれるものですね。

 景観ってこれからはいよいよ大事になってきますね。
 
 
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札幌の花々

2007-05-06 23:19:28 | Weblog
 いよいよ今日でゴールデンウィークもおしまい。今日の夜21時の最終便で東京へ戻ります。

 札幌はやっと桜が咲く季節となりました。家の近くの川沿いは桜並木があって、花見と焼き肉を楽しむ人達の歓声がこだましています。

 桜の写真を撮ろうと思ってカメラを向けたら、手前に梅が咲いていました。この季節の札幌は、梅と桜が一緒に咲くのです。

 梅と桜だけではなく、野草の花も一斉に咲いてきます。これが北海道らしい春なのです。

    ※    ※    ※    ※

 最終便に乗って羽田に着いて、空港に降り立つともう23時近く。

 家に向かう最終電車があるのかどうか不安に思いながら電車を乗り継いで行きましたが、なんとか深夜12時を過ぎた頃に家に到着しました。

 これではなにかちょっとした事故でもあると、家にたどり着けないこともありそうです。今度からはもう少しゆとりを持って帰路につこうと思いました。

 さて、明日からはまた東京での生活が始まります。
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黄金道路に冒険家を思う

2007-05-05 23:14:11 | Weblog
 いよいよゴールデンウィークも終盤。好天の今日は思い切り道内のドライブを楽しみました。

 子供たちは市内でイベントがあってそちらへゆくというので、夫婦水入らず 長距離ドライブです。

 同じドライブでも、今日は今まで行ってみたかったけれど行けずにいたところ、としようと思いました。そこで今日のポイントは、日高のえりも岬を回った太平洋側の黄金道路と呼ばれるところ。

 ここは、急峻な崖がそのまま海に落ち込んでゆくところで、江戸時代に蝦夷地を訪れた冒険家たちが徒歩で渡るのにもっとも難渋をした難所中の難所なのです。

 実はここは北海道の道路の始まりといわれるところで、北海道開拓の記念的な場所でもあるのですよ。

  *    *    *    *    *

 さて、この今は黄金道路と呼ばれる急峻な土地に、探検家近藤重蔵が登場します。近藤重蔵は先手与力の家に生れ、長崎奉行手附出役をつとめた後、寛政九(1797)年に支配勘定となり、寛政十年から文化四(1807)年に至る間、蝦夷地政策と関わることになりました。

 寛政十年幕府は、目付渡辺久蔵胤以下180余名の巡見隊を蝦夷地へ派遣しますが、これは蝦夷地へのロシア人の進出などに対する対抗措置でした。

 この年、重蔵は七月下旬クナシリ島からエトロフ島に渡り、「大日本恵土呂府」の標柱をタンネモイに立てて戻り、八月には各方面から蒐集した情報をもとに多数の上申書を作成した。九月にアツケシに至り、先年最上徳内の建立した厚岸神社を修復する。

 重蔵はこの年十月に、今の黄金道路ができた山側のルベシベツ・ビタタヌンケ間に約12キロの新道を切り開いたのでした。(→参考「十勝毎日」に記事がありました)

 これが北海道における道路づくりの始まりと言われているわけで、今回はなんとしても、この近藤重蔵の碑を見るドライブにすることにしました。

    ※    ※    ※    ※

 さて朝八時に我が家を出発して、高速道路でETCの通勤半額割引を利用すると、環状線が200円、苫小牧東インターまででも750円でいけるからお得です。

 そこから先は無料開放中の日高自動車道をどんどんと南下して、 今は終点となっている日高富川ICで一般道に降ります。苫小牧東インターからの距離は40.1キロだそうですよ。早くもっと遠くまで建設を進めて欲しいものです。

 さてえりも方面はそこからが長い。延々と右に海を見ながら南下するドライブです。

 ついに、右に曲がれば襟裳岬というところまで来ましたが、今日は目的が違うので、素通りして黄金道路へ。

 黄金道路の南端付近には展望台があって、これから始まる黄金道路が望めます。しかしいかにもすごい展望が広がっていますね。

 さて、今の黄金道路は海岸に沿った道路を少しずつトンネルで山側に寄せる工事が継続して行われていて、悪天候時でも通行止めが少なくなりつつあります。

 いくつかのトンネルを抜けたところで、ビタタヌンケ隧道という文字を見つけました。このあたりがビタタヌンケのようです。ここから山へ入ったのでしょうね。

 やがていくつもあるトンネルや覆道を過ぎて行きますが、手元の地図にあるトンネルが出てきません。そのうち、地図では近藤重蔵の碑を過ぎたところにある地名が出てきたので、戻って確認をすることにしました。

 すると、戻ったトンネルの左側に今は通行止めとなっているかつてのトンネルがあり、そこの脇に石碑らしきものがありました。

 (これかな)と思って近づいてみると、やはりそう。よく見ると閉鎖されたトンネルの名前も「重蔵隧道」となっています。

 そのうえ、そこから山を眺めてみると、山道のようなものが見えました。近くへ寄ってみると、これがまさに近藤重蔵が道路を切り開いた基点であるルベシベツの地なのでした。



 国立国会図書館に収蔵されている伊能忠敬の古蝦夷地図にも、かすかに「ルベシベツ」の名が見て取れます。ここがまさに伊能忠敬も通った場所なのでした。
 試みに少しだけこの山道も上がってみましたが、ちょっと感動です。


 古の冒険家達の夢を少しだけ垣間見た、黄金道路へのドライブの旅でした。

 残念なのは、この石碑が道路看板などで紹介もされていないこと。北海道の道路開削の歴史を刻む貴重な歴史資料として、ぜひ大事にして欲しいものです。

 北海道にも歴史はあるのです。
 
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特待生問題と「空気の研究」

2007-05-04 23:38:23 | 古典から
 野球特待生の洗い出しの問題が世間をにぎわせています。

 特待生は金品の提供に当たるとのことで、違反していた学校では特待生をのぞいて春季大会に臨むか、そんなことをしたら誰が特待生だったかが特定されてしまうという判断から学校として出場を辞退するなど対応が混乱しています。

 今までは実質認められていたことが突然性急に厳しくなると、世の中に混乱と不安定を招きますね。「こんなに蔓延していたとは!」と驚いてはいますが、案外「想定の範囲内」なのかもしれません。

 私は、近代法の原則は「決まっていない前のことにはさかのぼってまで罪を問わない」ということなので、今回も今から駄目にして、これまでは不問にすればよいのに、と思っていたら、もともとがいけないと決められていたことだったのですね。

 もともと駄目とされていたのに、独特の世界でなんとなくお目こぼしをしていたわけで、それが突然正論が声高に叫ばれるようになると、やはり面と向かって文句も言えないものです。

 それにしても、もともと駄目なことが、日本人お得意の「ホンネとタテマエ」論から少しくらいの違反は見逃すという風にタガがはずれると、どこまでのエスカレートするのがまた情けないところ。

 このあたりのきわめて日本的な風景については、山本七平さんの「空気の研究」の中に面白く書かれています。

 「・・・従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基本となっているのは、『空気が許さない』という空気的判断の基準である・・・」

 今回の特待生問題では、論理的には間違っていたとわかっていつつ、どこでもやっているんだから強いチームを作るためには仕方ないだろ。『空気読めよな~』というように、それまでは高校野球の世界の空気が許していたのでしょうね。

 このような非常に大きな「空気の存在」に対して山本七平さんは、「・・・だがわれわれの祖先が、この危険な『空気の支配』に全く無抵抗だったわけではない」としています。

 「少なくとも明治時代までは『水を差す』という方法を、民族の智恵として、われわれは知っていた。従って『空気の研究』のほかに『水の研究』も必要なわけで、この方法についてもだいぶ調べたのだが、この『水』は伝統的な日本的儒教の大系内における考え方に対しては有効なのだが、疑似西欧的な『論理』には無力であった」としています。

 空気と水。今の高校野球の現実や、スポーツプロの若年化などさまざまな問題を論理がどのように解決してゆくのかに注目したいものです。

 自分たちの回りにも空気が支配する世界って多いもの。

 自分には「水を差す」勇気があるでしょうか。
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誕生会のホームパーティ

2007-05-03 22:04:38 | Weblog
 今日は青空が広がりさわやかな一日。連休後半の行楽地は人出が期待できそうです。

 そんな中、私は実家の父と母の誕生祝いを、私と弟の家族で企画して、我が家でホームパーティです。

 ホームパーティは良いのですが、人を家の中に迎え入れるためには、やはり改めて掃除を入念にする必要があります。人が遊びに来ると家の中が普段よりいっそうきれいになる効果がありますね。

 弟のところには、一歳9ヶ月になる息子つまり私にとっては甥っこがいて、これが可愛い盛り。

 弟は弟で、滑稽な仕草やギャグを教えてそれがまた出来る様子が周囲の笑いを誘います。「カトちゃん、ペ!」なんてやると周りには大いに受けるのです。

 たまにはこうやってみんなそろったホームパーティも良いですね。
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イヨマンテ復活

2007-05-02 23:52:32 | Weblog
 小雨の降る札幌。気温も低めですが、明日からは晴れて行楽日和が続きそう。期待しましょう。

 アイヌの人たちの祭礼儀式「イヨマンテ」の禁止通達が52年ぶりに撤廃された、ということが話題になっていました。(→こちら

 イヨマンテは、アイヌの人たちが小熊を捕らえてこれを1~2年ほど飼ってから、祭礼儀式の中で殺して魂を熊の神の世界に返すというものです。

 新聞によると、道は昭和30年に「生きた熊を殺す野蛮な行為」として禁止した通達を出していたのだそうです。ところが昨年10月に、環境省が動物愛護管理法の基本指針で、動物を利用した祭礼儀式について「正当な理由で適切に行われる限り、法律に抵触しない」と明記したことから、この禁止通達の根拠が亡くなった形になり、今月にこの通達を撤廃したのだそうです。

 アイヌの人たちにとっての熊は、肉や毛皮や熊の胃という薬などをもたらしてくれるありがたい神で、どんどん自分たちの前に現れて、捕まえさせて欲しい存在です。

 そこで、まだ幼い小熊を捕らえてこれに餌を与え、美味しいものを食べさせたり優しく接することで、あの世の神の世界に小熊の魂を返して「人間の世界ってすばらしいところだよ」と言ってもらい、そこにいる多くの熊の魂が「それならわしも人間世界に行ってみようかな」と思ってくれることを期待するというのがイヨマンテという祭礼儀式なのです。

 この詳しい資料映像は、平取町の町立二風谷アイヌ文化博物館でも、故萱野茂さんの二風谷アイヌ資料館でも見ることが出来ます。

 私は萱野さんのアイヌ資料館でこのビデオ映像を見ましたが、実際に小熊を殺して皮をはいだりするのでややグロテスクな感じがしますが、大変貴重な資料で非常に興味深く、見入ってしまいました。

 今回の禁止通達の撤廃は、アイヌ文化への理解がまた一歩進んだ証と言えるでしょう。

 山の中の自然環境の変化のために、熊が人里に降りてくることが増えて社会問題になっていますが、アイヌの人たちの文化として熊が降りてくるなら良いですね。
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