北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

本所~向島・京島を自転車で巡る

2007-05-27 23:55:16 | 東京ウォーク
 今日も快晴。気温もじりじりと上がり、絶好の行楽日和。

 今日は初めて自転車で都内巡りです。以前にまち巡りですれ違った人が貸し自転車を使っているのを見て訊いてみたところ、「東京ドームにほど近い地下鉄春日駅のすぐ横に自転車を貸してくれるところがありますよ」と教えてくれたのです。

 インターネットで調べると、文京区の事業として駐輪場と貸し自転車を行っているということが分かり、早速電話で連絡をして使わせてもらうことにしました。これは楽しみ。

 朝八時過ぎに家を出て、電車を乗り継いで春日駅へ。地下鉄春日駅を上がるとすぐまた地下に降りる入り口があり、そこを降りると貸し自転車場というわけです。自転車はママチャリだけではなくて、いわゆるタウン用のクロスバイクも選べます。今日の相棒はジャイアントのクロスバイクを選びました。
 貸し自転車で前3段×後9段の変速機とは豪華です。これで一日500円なら安いものです。

    ※    ※    ※    ※

 さて、今日の目的は都の西北ならぬ、都の東北。まずは隅田川を越えて本所にある横網町公園へと向かいます。蔵前国技館のすぐ裏なのですがね。

 この公園にはかつて陸軍の被服廠(ひふくしょう)というのがありました。大正十二年当時ここは軍から払い下げを受けて、東京市が公園にしようとしていて空き地になっていたそうです。そして大正十二年九月一日午前11時58分を迎えます。そう、関東大震災です。

 突然関東地方を襲ったこの大型地震は、東京からは80km離れた相模湾を震源とするもので、地震そのものによる被害はそれほどでもなかったと言われます。しかし当時の多くの家が木造だったことと、昼食直前で食事の準備をしていたために台所から発火し、その数は百三十カ所にのぼったこと、そしておりからの強風にあおられる形でこの火が各所に飛び火し、いたるところからもうもうたる黒煙と紅蓮の炎が立ち、多発的な火災による大災害となったのです。

 各所から起こった火の手を見て、とりあえず地震の難を逃れた人達は今度は焼け死ぬ恐怖に襲われました。そうする中で誰ともなく「被服廠跡へ行けば助かる」という声が上がりました。被服廠跡は当時2万4千坪あったといい、今で言う避難所として誰もが頭に浮かべた場所でした。

 そして被服廠跡へ周辺の住民が皆荷物を背負いながら次から次と集まり始めます。なんとこの2万4千坪に3万8千人もの人達が集まりました。あろうことか、猛火の烈風は容赦なくこの地を襲い、猛烈な火災はここで上昇気流による大旋風をも巻き起こし、人も荷物もを上空高く巻き上げたと言います。

 そしてわずか数時間の後には、ここまで逃げてきた3万8千人全員が生きながら焼け死んだのでした。関東大震災でも最大の参事と言われる所以です。

 そしてその後がいまでは横網町公園となりました。ここには現在第二次大戦の東京大空襲の被災者と共に東京都の慰霊堂が作られ、訪れる多くの人達にいつ起こるか分からない災害を常に想起するための場所になっているのです。
 
 ですからこの本所被服廠跡地というのは、都市防災を生業とする者にとっては聖地であり、忘れることの出来ない場所というわけ。

 私も早く来たかったのですが、今日やっと訪れることができ、ロウソクと線香を手向けることができました。合い言葉は「備えよ常に」です。

 都市防災の聖地をやっと訪れることができました。 合掌。

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 さて、この関東大震災が実はその後の東京の土地利用に大きな影響を及ぼしました。国は国の威信をかけて復旧と復興に努め震災区画整理を強力に推し進めて今の東京の骨格形成を行いました。

 しかしそのときに、「もう都内は怖いから郊外に行こう」として当時の東京の外に移った人達が形成をしたのが現在の密集地区というわけなのです。

 都内の密集地区の分布を地図で見ると、環状6号線と環状7号線の間に多く見られ、いわゆる「密集ベルト」を形成しています。つまりここが震災当時の郊外だったわけ。いまでは超高級住宅地もありますが。

 そこで今日は、本所の被服廠跡地のつぎに密集地区で知られる向島・京島方面へと向かいました。こういう移動があると自転車がいかに便利かが実によく分かります。徒歩と比べると機動性が段違いです。

 向島の途中には東部鉄道の業平橋駅がありますが、この周辺の操車場には新東京タワーが建設されるということになっています。東京の新しい観光名所ができるのはこういうところなんですね。

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 さて、密集を求めて向島地区の細い道路をわが自転車はぐんぐんと進みます。なんと行っても機動性が違います。しかし道があると思って入ると、住宅に囲まれた行き止まりの道路ということも多いもの。

 太い道路に面した細い路地を見ると、(あそこにはいってゆくとこの世界とは別のパラレルワールドがあるのじゃないかな)という気さえしてきます。

 そうして密集地区の細い街路へ入り込んで行くと、ここでは自動車が来ないので実に静かでのどかな空間に包まれます。聞こえるのは犬の鳴き声と家の中の家人の会話とラジオの声ばかり。じつにほのぼのとさえしてきます。

 住宅は、耐火性の向上した新しい住宅とまだ古い木造住宅とが混在しています。少しずつ道路を広げようとする事業が行われている場所もありましたが、いけるところまでいって中断しています。一人でも賛成してくれなければそこでしばらくはストップというわけです。
 こういうところで事業を行おうとする大変さがよく分かりました。

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 そんなことをずっと見ながら、周辺地区も走り回り、元の春日駅に戻ってきたのは午後4時過ぎ。朝9時半から6時間半の自転車ツアーです。

 東京の自転車巡りは、距離的には短くても、目に映る情報量が圧倒的に多いので、6時間のツアーはほぼ限界です。しかし、徒歩では一日10kmがほぼ限界なのに対して、自転車ツアーならばその3~4倍の距離を走ることができることも分かりました。

 今後東京の北半分のツアーは自転車と決めました。良い場所に良い貸し自転車場を見つけました。今後のまち巡りに強力な援軍です。

コメント
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