北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

宇治に呼ばれる

2011-02-19 23:42:11 | Weblog
 朝の新幹線「のぞみ」で京都へ。

 N700系の車両は車内でインターネットが使えるので退屈することはありませんし、調べものだってできます。実に快適な旅ができますね。

 宇治市内の大学に12時15分に集合のところを京都駅に10時20分に着いたので、早めに宇治市内に向かって市内での観光をしてきました。宇治でのお目当てはまずは宇治上神社と宇治神社、つぎに平等院鳳凰堂です。

 宇治上神社も宇治神社も国宝と言うことで、歴史ある宇治市ともなると国宝や重要文化財が何気なく立っているというのがすごいところです。


                 【宇治上神社の参道】


                 【一間社流れ造りの拝殿は国宝】


 宇治上神社は一間社流造りという神社建築様式では最古の建物と言われていて一度お詣りに行きたかったのですがその願いがやっと叶いました。

    ※    ※    ※    ※

 平等院鳳凰堂は言わずと知れた十円硬貨の裏に描かれた国宝の建造物。成立は天喜元(1053)年のことで、国宝の阿弥陀如来像をアンチする阿弥陀堂として建立されたものです。

 阿弥陀如来は寄せ木造りを完成させたと言われる定朝の作と唯一認められる仏像で、それまでの唐様の仏像から和様への転換をなしえた画期的な作品と言われています。

 庭園も浄土式の典型的なお庭で、池に玉石による州浜が形成されているシンプルな作りになっています。何とも言えず穏やかな風景に心が和みます。講演前にとってもよい目の保養になりました。




    ※    ※    ※    ※

 今日の講演は、「文化コーディネーター養成プログラム」の一環として行われるもので、文化人類学をバックグラウンドとしながら文化情報をあつかう知識や技術を持ったスペシャリストを養成しようという取り組みの一環で要請があったものです。

 現場主義を標榜して、地域に繰り出すことで地域を活性化する様々な取り組みを行っています。

 この一年の取り組みをパワーポイントでプレゼンテーションしてくれましたが、学生さんにしてはそれなりの仕上がり。私としてはもっと何を伝えたかのかパッションを前面に押し出しても良かったのではないかと思いましたが、まだそこまで要求は高すぎますかね。

 私の講演の冒頭で、「早く着いたので宇治上神社へお詣りをしてきました」と言ったのですが、後で聞くと、この大学のある槇島町の氏神さんが氏神神社さんだったとのこと。

「先に平等院ではなくて宇治上神社さんへ行かれたというのはご立派ですね」と言われましたが、何気ないお導きの結果でありました。

 夕方18時近くまで行われたイベントのあとで懇親会も開かれましたが、宇治と言えばお茶の話などで大いに盛り上がりました。

「掛川茶が盛り上がっているので、議会から『うちももっとガンバレ』という檄が飛びました」と市役所の方が苦笑い。

 書ききれないくらいの面白話であっという間に時間が過ぎました。

 明日からは火曜日まで京都市内の庭園を中心に見て回ります。
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市の保有資産はどうなるのか

2011-02-18 23:34:51 | Weblog
 市が抱える資産や財産をどのように把握して、将来の経営に備えるかという勉強会が始まっています。

 市民の要望に応える形で施設を作るのは良いけれど、それが将来のいつ頃にどれくらい修繕費がかかり、いつまで使えるのか。

 またその施設からどれくらいの収入を得ることができるのか。こうしたことをある程度緻密に把握しておかないと、人口減少による経済の縮小によって、将来の収入では維持管理ができないおそれがあるのです。

 地方自治体には国からの地方交付税という形で富の再配分がありますが、それの根拠となる重要な指数の一つが人口そのもの。たくさんの市民がいるからこそたくさんの補助もあるのです。

 ということは人口が減ることで国からのお金も減り、今現在の収入構造を維持することも難しくなるとことが予想されます。

 それなのに、昔ながらの施設をそのまま抱えていたのでは到底管理することすらおぼつかなくなります。

 建築の担当者が試算したところでは、市営住宅では年間20万円の家賃が収入としてあるものの、維持管理のためには一戸あたり180万円がかかるのだそう。

 ということは9年以内に維持管理が出るようだと赤字。おまけに、この試算には最後の取り壊しにかかるお金は含まれていないとのこと。

 市営住宅は現行制度の住宅政策の元では、持てば持つほど赤字になるという収支構造が明らかです。

 だからといって全てを止めてしまうわけにもいかないわけで、ではどの程度までをどのようにして整備して維持して行くのか、これからにむけて適切なあり方は何なのか、といったことを真剣に議論して行かなくてはなりません。

 並行して進めていたコンパクトシティの議論も、まずは担当の各課から出てきた考えが収斂しつつあるようです。

 まだ市内部での勉強程度の成果をどこまでを市民の皆さんに公開すべきだろうか、という議論もありますが、私はできるだけ今の現状を広く公開して議論を湧き起こした方がよいのではないか、と言う考え方。

 様々な前提や条件の下での試算なども多いことから、数字を出したりすると一人歩きされたり、誤解を生むのではないかという不安もありますが、それを越えて市民と意見交換がをするのが生涯学習だし、誠実な議論の投げかけには誠実に応じていただけるという期待も持っています。

 春先からはいろいろと面白いネタで、水面に石を投げるような議論を進めたいものです。

    ※    ※    ※    ※

 明日19日の午後には京都の某大学で人づくり研修にかかる講演を依頼されていて、今日は最終の飛行機で東京までやってきました。

 明日の朝の新幹線で京都へ行ってきます。

 さてさて、どうなりますやら。
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学校で大事なことって…

2011-02-17 21:30:15 | Weblog
「なんちゅうか、大人になってないという感じですね」

 地元大学の先生と懇談会をしたときに、その先生がおっしゃった言葉です。

「ほう、具体的に言うとどういうことですか」
「ある学生が試験の後に僕の所へ来て、『先生、僕の成績はどうなるでしょうか。なんとかなりますか?』って訊きに来るんですよ」

「ふーむ、それっていけないんですか」
「だって僕の感覚からいうと、自信を持って答案を書いたんだろう? それが君の仕事だし、採点するのは僕の仕事ってこと。なのに、自分のやった仕事の評価を途中で訊きに来るということが自分の役割を自覚していないことのように思うんです」

「ははあ」
「大人と言うのは、自分の果たすべき役割を自覚してそのことに一所懸命に力を尽くすと言うことが分かっている人だと思うんです。それなのに、そのことが分かっていない。これって大学生が幼児化したことの典型的な話じゃないかと思っているんです」


 学校の先生って一体どういう存在なのでしょう。大切な資質って一体なんなのでしょう。

    ※     ※     ※     ※     ※


「私は教育大学でも教えることがあるのですが、学生に『先生になった時に一番大事なことは何だと思う?』って訊くんです」
「はあ、何が一番大切なんでしょうかねえ」

「ある学生は『公平で差別しないということでしょうか』なんて言う。でも僕は『そうじゃないだろ』って思うんです」

「一番大事なことってなんですか」
「そんなのは、『明るい顔をしている』ってことに決まっているじゃないですか。先生が暗い顔をしていてどうします?子供たちに学校は楽しいって思ってもらわなくちゃ、ね」

「そういえば、子供の時って学校の先生の家に遊びに行きましたよね」
「そうそう、僕も担任の先生の家に遊びに行ったら、火鉢に持ち網を置いてお餅を焼いてくれました。今でもはっきり覚えているなあ、なんでだろう」

「私は不二家のLookチョコレートを出してもらいました。僕も今でもはっきり覚えています」
「それだけ嬉しくて楽しくて印象的だったんじゃないですか」


 ああ、そうなんです。学校は本当に楽しくて行くのが楽しみでした。

 学校は子供にとって楽しい場所なはずで、子供が学校へ行くのを辛そうにするというのは何かがあるのだと思った方が良いのです。

 学校を楽しくしてくれる大人の先生が増えると良いですね。
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はやぶさカプセル展示、キターーー!!

2011-02-16 23:52:39 | Weblog
 釧路市こども遊学館に「はやぶさ帰還カプセル」巡回展がやってきました。

 はやぶさのカプセル公開は全国から119団体もの応募がありましたが当選したのはわずかに16カ所。その中の一つが我がこども遊学館というわけです。

 今日は午前中に市長出席のもとでオープニングセレモニーが開かれましたが、展示期間は今日から20日の日曜日まで。

 私は午後の仕事の合間に遊学館を訪ねましたが、JAXA関連のスペシャリストである学芸員の多胡さんの手がちょうど空いていて、いろいろと解説をしてくれました。

 カプセル展示までの廊下にははやぶさの偉業を紹介するパネルが何枚も張ってはありますが、やはり質問に的確に応えてくれてさらになかなか知りえないような情報まで教えてくれるのは、最良のガイドツアーでした。

    ※     ※     ※     ※     ※

 はやぶさはX軸、Y軸、Z軸方向で姿勢を制御するためのリアクション・ホイールと言うジャイロが三つついているのですが、それがなんと三つのうち二つまで故障。

 小惑星イトカワからのサンプル採取を終えてイトカワから離れている最中に燃料が漏れ、姿勢を喪失して通信途絶の上に、くるくる回り続ける状態になったのだそう。

 通信途絶状態がなんとか復旧したあとの姿勢制御には、一つ残ったジャイロは良いとして、残りの二方向の制御のために、ひとつはイオンエンジンを使って動かし、最後の軸は太陽からわずかな力で吹き付ける太陽光圧を使って動かしたのだとか。実にすごい執念です。


 また、本来は4年間のミッションだったものが、トラブル続出でなんと7年もかかった地球帰還。最後の決め手になったのは、川口チーフプロデューサーの「燃料は許される限界まで積んでおこう」という判断でした。結果としてそれが7年間の旅路を最後に支えたのです。


 さらに、最後のハヤブサから離れたカプセルは、スペースシャトルなどよりはるかに速いスピードで大気圏に突入します。そのスピードは秒速12kmという速さ。

 カプセルの底の方は一分間にわたって大気との摩擦熱で3千度以上の高熱になりますが、カプセルの前面ヒートシールドにはその熱がサンプルの入った採取のカプセルに届かないように超高性能の耐熱性能が求められます。

 ヒートシールドはアブレータと呼ばれる炭素繊維で強化されたプラスチックで覆われています。いまだにこれだけの高熱に耐えられる素材は開発されていないので、高温下で耐えるのではなく熱分解で融けてそのときに周囲の熱を吸収してくれるという発想で生まれた素材なのだそうです。これまた日本ならではの特殊技術です。

 まさに日本の神技術と不屈の技術者魂の結晶ですね。

    ※     ※     ※     ※     ※
 
 展示されている品はまさにほとんどが本物なのですが、様々な機密素材や秘密技術も多いので写真撮影は厳禁です。

 その代わりに4階には同サイズのレプリカがあって、これなら実際に手にとって写真撮影も可能。

 はやぶさ模型を背負って、イトカワのかぶりものまで用意されています。

 一階には記念の顔ハメもあったり、タミヤ模型さんによる精密スケールのプラモデルの販売もあり、はやぶさ祭り状態です。


                 【この中で展示中。顔ハメもあるよ】



                 【本物そっくりのレプリカに、イトカワのかぶりもの】



                 【はやぶさのプラモ。太陽光パネルを塗るのはテクが要る】


 今日はまだ平日だったのでじっくり見られましたが、週末は大変な混雑になることでしょう。


 プラネタリウムも遊学館特別プログラムで「祈り~小惑星探査機はやぶさ物語」をお送りしています。観ていると感情移入してしまい、泣けて泣けてたまりませんでした。


 どんなに混んでも、人類の歴史上一番遠くまで行って帰ってきたはやぶさカプセルの現物を市民全員に来てほしいものです。


 日本人でいることがこんなに誇らしいことはありません。 

 魂が揺さぶられます。

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青春時代の真中で

2011-02-15 23:25:59 | Weblog
 私は旭川の高校出身なのですが、そこの出身者による同窓会が開かれました。

 地域一番高を出た者の多くは地元に残るか、あるいは大都会へ出るというのがよくある流れなので、地方都市にいるものが集まれるというのは転勤者が多いということでもあります。
 
 一期上や三期上の先輩などは、当時はとっても怖い先輩だったのですが、社会に出た今となっては一定の敬意を払いながらも思いを同じくできる話しやすい先輩に変貌しています。

 我々の三期上の先輩は、当時進歩的な高校で流行った制服の廃止に取り組んで見事に実現した世代。

「『酔っ払いのテツ』(笑)とあだ名される生徒会長のアジ演説が上手くてさ、あれよあれよと言う間に服装が自由化されたよな」

 そのおかげで、我々は一年生の時から服装が自由化されていました。もっとも私服と言ってどういう服装をして言ってよいか戸惑って、ジーパンに上は学生服という取り合わせの服装の同級生が何人もいました。今は一体どういう服装をしているのでしょう。

    ※     ※     ※     ※     ※

 先輩の一人が分厚い同窓会名簿を持参してくださって、面白がって同期の人間を探してみたら、今日参加してくださった中に『彼ならよく知っているよ』という人がいました。

「携帯に電話番号も入っていたなあ」ということで、卒業以来一度もあっていない友人と34年ぶりに会話ができました。時間は一瞬で縮まります。

    ※     ※     ※     ※     ※

 高校で学んだ一番のことは、結果として「勉強は教えられるものではない。自分でやらないとダメ」ということでした。

 教えられたからわかったことなどあまりなくて、自らが納得したことだけがいつまでも自分の血となり肉となっています。 

 しかし高校生当時には、そんな当たり前のことがわかりませんでした。誰かに言われたのかもしれませんが、心に響いていなかったのですね。

 今思い返すと反省と甘酸っぱい後悔の念が沸き起こりますが、それがまた青春であり、その反省があるから今があるとも言えます。

 たまには青春時代の恥ずかしかった自分を思い出して、自らを奮い立たせるような機会があると良い。

 身近なところに頼れる関係を持った人たちがいるというのは心強いものです。

 
 
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国勢調査結果が出ました

2011-02-14 23:57:49 | Weblog
 昨年行われた国勢調査の結果が出ました。

 昨年10月1日現在での合併後の釧路市の人口は、181,206人で、5年前の調査時から9,272人の減少となりました。

 減少率は4.9%で、これは前回の減少率よりは下がったものの全体としての減少傾向は否めません。

 釧路市のピークは昭和55年調査の227,234人で、その次から6回連続の減少が続いています。阿寒地区、音別地区と旧釧路市を含めての18万1千人という人口は、昭和35年当時の人口規模なのだそうです。

 とりあえずは18万人と言う大台は守れて、札幌、旭川、函館に次ぐ道内四番目の人口の市としての立場は守れましたが、まあそれはそれとして淡々と受け止めましょう。

 人口減少の原因は、一つは少子化で、出生数から死亡数を惹いた自然減が5年間で2,000人。

 もう一つはやはり地方都市の景気が芳しくなく雇用が回復しないことから就学時や就職時に若者が都会へ移り住んでしまう人口流出でこれが5年間で約8,000人ということのようです。

 人口は地方交付税の算定根拠の一つとなりますので、人口が減ると国から来るお金も減ることになりつらいところです。

    ※     ※     ※     ※     ※

 不景気、不景気と言われますが、昨2010年の日本の貿易収支は速報値で約6兆2千億円の黒字。国としては儲かっているのです。

 国富は増えているのにそれが消費や給料に回らないという社会構造が問題。地方に仕事が生まれにくい状況を何とか打破したいものですが、今の政府にどこまで期待できるでしょうか。


    ※     ※     ※     ※     ※

 さて、人口は減っていても道東随一都市の責任は変わりません。

 医療、商業、物流の中心として、これからも地域の中心としての役割を果たしていかなくてはならないでしょう。

 しかし、人口減少に歯止めをかけるべく産業振興に力を注ぐ半面、人口25万人程度は大丈夫というまちの器作りを進めていたものが18万人になってしまった現在、人口減少を受け入れたうえで将来それに耐えられるまちづくりへの戦略的視点も欠かせません。

 公有資産マネジメントやコンパクトシティなどの議論をいよいよ進めなくてはなりませんね。

 これもまた新年度の課題の一つです。
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北のビーナス冬まつり~音別地区の冬の楽しみ

2011-02-13 23:38:33 | Weblog
 昨日の嵐も収まって、今日は音別地区の催し「北のビーナス冬まつり」へ出かけてきました。

 このイベントは今年で八回目となる冬のお祭りで、寒い時期に負けずに地域で遊ぼうという企画です。

 かつては白糠町と共同で馬主来(パシクル)沼に張る氷の上で行っていた時期もあったとのことですが、環境問題その他で開催しなくなり、場所を移して音別の中心地区で開催するようになったとのこと。

 しかしなぜ「北の【ビーナス】」なのか分からずにいて、地元支所のセンター長に訊いてみました。

「なぜビーナスって言うんですか?」
「あ、よく訊いてくれました。帰ったらぜひ行政界の地図を見てみてください。旧音別町の行政界がミロのビーナスの後ろ姿に似ていると、ある方が気づいて、そこから『北のビーナス』と呼ぶようになったんですよ」

 早速家に帰ってから調べてみると、「本当だ!(笑)」

 ミロのビーナスを左右反転させた上半身によく似ています。これもまたこの地区の話題のネタですね。


                 【ミロのビーナスの上半身にそっくり(笑)】


    ※     ※     ※     ※     ※

 催しとしては、雪の滑り台…というよりもリュージュコースや人間番場大会、ビンゴ大会、それに女性会や音別学園などによる焼き鳥や豚汁などの出店が出て盛り上げています。

 この地域はそもそもあまり雪の降らない土地柄ですが、山の奥からせっせと雪を運び出して大きな雪の滑り台コースを作ったのだそう。

 開会式の挨拶の後に早速私も試乗。お尻の下にプラスチックの板を当てて滑るのですが何人かが繋がって滑るとスリルが増すというので、スタッフと四人で滑ってみました。


                 【遠くから雪を運んで作りました。結構背が高いのです】


                 【滑ってみるとかなりのスリル、冬はこうでなくちゃ】

 最初の斜面がかなりの急こう配でコースから飛び出すかと思うくらい。実際結構なスリルで、一緒に滑ったセンター長は声が出なくなっていました(笑)

 釧路市内の氷まつりより急こう配で、待たなくても良いのがいいですね。

    ※     ※     ※     ※     ※

 人間ばんばは、下がつるつるの氷のリンクの上で行われます。踏ん張りがきかないのであちこちで転倒の続出に会場は爆笑に包まれました。

 寒い冬だからこそ家に引っこんでいないで、地域の人たちと一緒に盛り上がりたいものです。

 このイベントを陰で支えてくれた実行委員会は、「北のビーナス発見隊」と呼ぶ、地元商工会、女性会、各種企業、そして支所の職員の皆さんたち。

 地元の顔役の方は「今山の奥で高速道路の工事が進んでいますよね。その現場の代理人の皆さんは音別市内にアパートを借りて住民として住んでくれていて、そのうえこうしたイベントにも積極的に協力いただいています。工事がなくなるとまたいなくなっちゃうのかと思うと寂しいものですよ…」とおっしゃっていました。

 地域をだれがどうやって支えてゆくのか。行政と言う富の再配分のなかで、地域が社会全体にどうすれば貢献しながら誇りと笑顔を保ち続けられるのでしょうか。

 早く一度年寄りや若者たちと一杯飲む機会を作りたいと願っていますがなかなか叶わずにいます。

 地域の課題も悩みも幸せも、直に聞けるのが現場の良いところなのにね。

 また日を改めて参ります。

 

                 【子供たちの人間バンバに爆笑です】
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釧路の魚なのに…

2011-02-12 23:35:29 | Weblog
 来週の京都での講演のパワポを作成中。

 締切が近づいているのに、まだ気持ちが載らずにいたずらに時間ばかりが過ぎてゆきます。

 語りたいことはたくさんあるけれど、先方の求める内容と、時間と自分の言いたいこととのバランスや話の順番を考えるとなかなかうまい具合に落ち着きません。

 まあもう少し悩みながら、時間切れが近づいた時の火事場の馬鹿力に期待しましょう。

    ※     ※     ※     ※     ※

 こんなときは料理で気を紛らわそうと、釧路産サメガレイの煮つけに挑戦。

 釧路は魚が美味い、ということになっていますが、スーパーに並んでいる魚は案外他の地域からのものも多くて、うっかりするとだまされます。

 子持ちの美味しそうなババガレイがありましたがアメリカ産とはどういうこと?まずは地元の食材を味わってみようと思い、買うのを止めました。

 結果はまあ割と上手にできたのですが、お酒は日本酒よりは料理酒が良さそうです。今度買って来なくては。

 今回はネットのレシピ通りにやってみましたが、ちょっと醤油が強くて甘みがやや足りなかったので、次回はそのあたりを調整してみます。

 やはり和食は奥が深い。

    ※     ※     ※     ※     ※

 京都では、公務員を辞めて和食の調理師と栄養士になるんだと言って修行中の元同僚に会ってきます。

 周りを唖然とさせた転身でしたが、これも「公共事業にはもう自分がやりたい農業政策はない」として「これからは農作物を人の口に運ぶ仕事をしたい」と言って三年間の専門学校生活に身を置く、彼なりの志の現れです。

 彼の夢の今を聞いてみたいものです。

 

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NHK番組「無縁社会」は重いテーマです

2011-02-11 23:37:44 | Weblog
 NHKスペシャル「無縁社会 新たな”つながり”を求めて」を見ました。

 家庭の事情で学校へ行けなくなったり、仕事を失うことで社会との絆が切れて孤独な生活に悩み苦しむ人たちの姿を追ったものです。



 失職して社会との接点を失ったAさんがいます。

 孤独死を恐れて部屋の様子をリアルタイムでネット中継しています。

「これだったら部屋で倒れても誰かが見てくれるでしょ」 パソコンからはチャットで寄せられたコメントを読み上げるソフトが人工音声で声を発しています。

「オ、トイレヘイクノ?」「ハヤクイットイデー(ワラ)」


「社会のつながりは当てにならない」と言って、ネットでの会話に時間を費やし、ネット上で一日百人と「おやすみ」を言い合う人もいました。


                 【NHK番組「無縁社会」より】
 
    ※     ※     ※     ※     ※


 野田さんは生きる意味を見いだせずにいました。

 同僚が自殺しました。仕事に就けない苦しみを分かち合った仲間でした。

「このまま生活保護を受けていて、仕事をしないでいると自分がだめになってしまう」そう言っていた同僚。

 遺体の引き取り手はなく、無縁仏として葬られました。

 ナレーションは「働くという繋がりを持てないこと。それは人としての尊厳を奪われることでもありました」と語ります。


 
 一人はさびしい
 一人は怖い
 何のために生きているんだろう
 このまま死んだ方が楽なのか


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 たった一人で新しい職場へ行く私にとっても、以前ある期間馴染めなかった職場があって辛い思いをしたことがあります。

 まさに居場所がない感覚は思い出すと恐怖が先に立ちます。


「ネットでのバーチャルな繋がりなんて本物じゃない、本物の関係性を作らなくちゃ」と言うのは簡単ですが、その負のスパイラルに落ち込んでしまった人にかけるべき言葉ではありません。

 火事を目の前にしてその火を消さないまま、出火の原因を非難していても始まりません。今目の前に起きている火事を消さなくては。

 
 番組では最後にある教会が主催する保護施設をルポしていました。そこではお世話になることで周りとの関わりを少しずつ取り戻して元気になる男性の姿が映し出されています。

 「繋がり」は植物にとっての太陽のように人の心に降り注ぐ慈愛そのもののようです。

 就職や修学によってその繋がりを作るのがこんなにも難しい社会になるとはだれが予想したでしょうか。

 理屈や正論の前に現場の現実がある、そんな感じ。地域社会が担えていたことが担えなくなりつつある現実。行政はその肩代わりをしなくてはいけないのでしょうか。

 このテーマは重いです。

 番組は明日第二夜が放送されます。

【日本の、これから「無縁社会 働く世代の孤立を防げ」】
 http://bit.ly/h8d2SR

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JALの鶴丸復活。初号機ツアー、本当は…

2011-02-10 23:33:38 | Weblog
 鶴居村にある伊藤タンチョウサンクチュアリを見学してきました。

 こちらは、タンチョウとその生息地を保護するため設置されたもので、(財)日本野鳥の会が運営する施設です。サンクチュアリの土地の大部分は、長年タンチョウ給餌人を務めた伊藤良孝氏から提供されたもので、その名に由来して伊藤タンチョウサンクチュアリと呼ばれています。

 朝9時くらいに到着してみると、もうすでに大きなカメラを三脚に据えてタンチョウを移そうとするアマチュアカメラマンが列をなしています。


                 【すでにカメラマンの列が】

 「旭川の先の上川町から来ました。夜中の2時に出て朝早くに着きました」という方がいれば、「関西から来たよ」、さらには「埼玉から来ました。今年は1月30日に来て近くの民宿に泊まり、2月20日過ぎまで滞在してタンチョウを狙いますよ」という人まで。やはり野生のタンチョウツルは格好の被写体なのですね。

 見ている間にも次々に巨大な望遠レンズを抱えたカメラマンが集結し始めます。

 実際に、餌を求めてつがいの二羽や子連れの三羽で飛んでくるツルの姿は実に優雅で美しいものです。はく製や人形ではない本物の姿を見て改めて深く感じ入りました。

 撮影の皆さんが使っているのは大体焦点距離400~600ミリくらいのレンズで、これにテレコンというレンズをつけてさらに1.5倍程度に伸ばしているのだそう。

 その高性能レンズを最新のデジタルカメラに取り付けて連射の嵐。一たびタンチョウが飛んでくるのを見つけると、カシャカシャカシャカシャ…と一斉にシャッターの連射音が響きます。


                 【マシンガンを撃っているかのような連射の嵐】


 まるでツルをマシンガンで撃っているかのようで壮観です。デジカメで細々とっているのは私だけで、なんとも場違いでありました。あー、良いカメラが欲しくなりますねえ。


                 【やはりツルは優雅です】



    ※     ※     ※     ※     ※

 JALが再建を果たしつつある中でシンボルマークを、元使っていた赤いツルが丸の中で翼を広げていたいわゆる「鶴丸」に変えるという報道がなされました。

【JALにおける鶴丸の復活】
 http://press.jal.co.jp/ja/uploads/JGN10125.pdf


 


 そのうえで、この復活した鶴丸の初号機でタンチョウ釧路空港へ特別ツアーが行われるということが先般発表されました。

---------------≪ 以下引用 ≫--------------
【JAL新ロゴマーク塗装機の就航について】
 http://press.jal.co.jp/ja/release/201102/001745.html

 …新ロゴマークを塗装した初号機の定期便就航に先立ち、お客さまへの感謝の意を込めて、2011年2月28日に新ロゴマーク塗装機にご搭乗いただける特別なツアーを設定いたしました。

 ツアーは、羽田から北海道の釧路空港(たんちょう釧路)へ当機材(チャーター便)にご搭乗いただいた後、新ロゴマークの「鶴丸」にちなみ、特別天然記念物タンチョウの生息・繁殖地域である釧路市、および鶴居(つるい)村を訪れます。NPO法人「日本で最も美しい村」連合に加盟し、地道なタンチョウ保護活動が続けられている鶴居村では、タンチョウの観察等をお楽しみいただきます。また、機内では初号機の搭乗証明書や記念品のご提供とあわせ、運航乗務員、客室乗務員による特別な演出を予定しています。 (以下略)




---------------≪ 引用ここまで ≫-------------- 

 ご覧いただいて分かるように、この初号機による特別ツアーでは、羽田を出発してタンチョウ釧路空港へ到着→鶴居村の伊藤タンチョウサンクチュアリで本物のツルを見る→釧路空港から羽田空港へ出発、という日帰りの弾丸ツアー。

 しかもこの話に関して、空港関係者から面白いエピソードを聞きました。

 それは初号機の記念ツアーは、最初は羽田発で富士山を巡って羽田へ帰る観光フライトの計画だったのだそう。

 それがJALの関係者の方が釧路空港で打ち合わせをしていた際に、誰かが「しかし鶴丸が復活するなら初号機はツルの縁でタンチョウ釧路空港じゃないですか」と言った言葉ではたとひらめいて本社へ連絡し、今回のツアーに変更になったのだそう。

 「道東」や「釧路」、「釧路湿原」、「阿寒湖」などの地名が人々の口からあまり聞かれなくなっていることで道東の観光地として魅力が減っていると感じていたところなので、タイムリーなイベントになることでしょう。

 これを機会に、国内外の観光客に道東観光を強くアピールしたいものです。

 ツルは瑞鳥と言われます。ツルを大切にして、佳きことの先駆けにしたいものです。

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