北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

都会で暴れ馬を鎮める

2011-08-21 23:24:42 | Weblog
 やや海霧(じり)が立ち込める天気でしたが今日は二回目の乗馬訓練。場所はもちろん山花公園の「ふれあいホースパーク」です。

 前回こちらで乗馬をしたのは7月2日のことだったのでもう一か月半もご無沙汰をしてしまいました。

 連続して訓練を受ければ上手くなるのでしょうけれど、なかなか週末を乗馬に充てられずついおろそかになりがちです。まずいなあ。

 ここ山花ふれあいホースパークでは30分で2100円(+任意の保険200円)でマン・ツー・マンでレッスンを受けられるのですが、知人が東京で同じような乗馬教室を調べてみたところ、30分で2~3人がレッスンを受けるのに5千円~6千円があたりまえだったとか。

 昨日のフライフィッシングと言い、今日の乗馬と言い、なんと超格安で楽しめる素材がすぐ近くにあることか。


   【一か月半ぶりに馬たちと再会です】



    ※     ※     ※     ※     ※


 今日は二回目のレッスンと言うことで、前回習ったごく基礎的なことを思い出しながら、軽速歩(けいはやあし)に挑戦。


   【まずは前回の復習から】


 普通にゆっくり歩くのを並足と言いますが、それより少し早くリズミカルに早く歩くのを軽速歩と言いますが、インストラクターの方曰く、この軽速歩を本当に自分のものにするのにかなり時間をかけるのだとか。

 これができてどんなときでも馬をコントロールできるようにならないと上級者にはなれないということ。頑張らなくては

 私の乗る馬は前回に続いて「疾風(はやて)」君。わりとずるくてすぐにサボろうとするところがあるので要注意です。

 今日も並足で勘を取り戻そうとしているときに柵沿いの草を食べようとしたので、インストラクターから「そこで食べさせない!」と素早くチェックが入ります。

 そう、ここは素早く手綱を締めて顔を草に近づけないようにしてコントロールです。自分の意図しない動作に対して素早く反応するのはもちろんですが、慣れてくると(そろそろなにかしそうだぞ)という様子を機敏に察知できるようにもなるとか。

 まずは同じ馬でスキルアップを図ることにして、しばらくは疾風としのぎを削ることになります。


    ※     ※     ※     ※     ※


   【意外と速いのです】


 軽速歩では、鞍にぴったりとお尻をつけたままの乗り方もありますが、今日教えてくれたのはアブミから馬の早足リズムに合わせて立ち上がっては座るという動作。

 これによって馬の上下動をある程度吸収することができて、馬も人も疲れないというメリットがあります。

 しかしアブミの位置や膝、太ももの使い方、リズムなど初めての動作なので試行錯誤の連続です。

 インストラクターが馬に紐をつけて反時計回りに走る練習をしましたが、ようやく少し慣れてきたころに今度は時計回りに回る練習。

 回る方向が変わるだけで体の使い方も微妙に変わりますが、馬にも特異な回転方向があるのだそうで、疾風は右回転が少し苦手。

 人馬共にぎこちない回転で、左右で違う癖を指摘されたりしましたが、とりあえずは良い練習になりました。まだこれからです。


   【疾風は右回りがちょっと苦手】

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 夏休みはだいぶ多くの方が乗馬教室に来てくれたようで、土日は予約でいっぱいという日も続いたようですが、さすがに夏休みが終わると閑散としてきます。

 今日は私と同行した知人の二人だけだったので、本当は30分のレッスン時間のところをだいぶ超えて練習させてもらいました。インストラクターの皆さんと仲良くなると良いことがありますね。

 終わった後も馬に関する四方山話が結構楽しい時間です。

 初めての方だと、並足を練習して手綱の取り方を練習して…というパターンがありますが、そういうお客さんが多いと、馬の方が覚えてしまって、手綱を引かなくても柵が詰まると自分で回るし、レッスンの終わりに差し掛かると(もう時間でしょ?)とばかりに止まってしまうこともよくあるとか。

「一度に二コマの練習もさせてもらえるのですか?」と訊いてみると、「あー…、馬の方がワンレッスン30分だと思い込んじゃってますからねえ、聴いてないよーってすねるかも(笑)」なんだと。馬も楽な商売だな、オイ(笑)。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、もう少しまじめに練習をしたいところですが、 ふれあいホースパークの乗馬メニューを見ると、フリー乗馬というのがあって、『利用者がホースパークスタッフの手を借りずにご自身で乗馬を楽しめるコース』というのがあります。

 もちろん上級者向けのコースなのですが、どうせやるならここまで行きたいもので、一つの目標にしたいところです。


 多くの釧路っ子も、大人になってここから巣立ってゆくことと思いますが、そのときに、他のどこでもできるスポーツや運動を得意と言うよりも、アイスホッケーや乗馬、フライフィッシングなど、この地域ならではのスポーツを極めて行くことができれば、大東京だって十分に存在感を発揮できると思います。

 子供の時にやったスポーツに地域の独自色を出してあげることができると、実は大人になってから地域への誇りになるのではないでしょうか。


 花の大東京で暴れ馬を鎮めることができる、なんて実に痛快でかっこいいじゃないですか!


 私自身も、ないものをねだっていないであるものを存分に楽しむ日々が続きます。


【ふれあいホースパーク】 http://bit.ly/mQbZuR

 ○乗馬体験メニュー http://bit.ly/pZjt3N

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実は全国区

2011-08-20 23:45:28 | Weblog
 音別商工まつりでの挨拶で音別地区へと向かいました。

 挨拶は午後3時からとのことで、それまでの時間を利用してフライフィッシングの釣竿を持って、茶路川探検へと行ってきました。

 茶路川沿いの国道392号線には本別から伸びる高速道路の白糠インターが接続することになっていて、現在急ピッチで工事が進められています。

 フライフィッシャーとしては、川への土砂流入には細心の注意を払っていただきたいところです。


    ※     ※     ※     ※     ※





 さて茶路川。白糠の生んだ人気のお酒「鍛高譚」の原料である赤紫蘇を育てている鍛高地区を過ぎたところでちょいと河原へと降りてゆきます。


   【鍛高地区の赤シソ】


 だいぶ川の上流まで来たのですが河原は岩と言うよりは小石がいっぱいで、川も魚の隠れ場所になるような場所が少ない感じ。魚はいるのかな?

 魚がいなければキャスティングの練習にしてしまえばいい、とは思っていてもそこはやはり魚がかかってほしいもの。ところが結構な時間が経過しても成果はあまり芳しくありません。

 連れてきてくれたHさんと、「なかなかドライフライじゃつらいんですかね」などと話しているところへ、ちょっと年配のご夫婦連れが到着。同行のHさんの顔を見るなり、「おや、Hさんじゃないですか、珍しいねえ」「あ、札幌のSさんじゃあありませんか!これは偶然だ」という会話が始まりました。




 どうやらHさんとSさんとは釣り仲間で、ネットで情報交換を良くするような仲のようですが、このSさんは住んでいる札幌からわざわざ奥さんを連れてこちらまで釣を楽しみに来たのだそう。

 聞けば奥さんの方も数年前にフライを始めたとのことで、今日は釣りが終われば阿寒湖畔で宿泊して明日は阿寒湖で釣りを楽しむのだとか。夫婦での趣味が同じだと楽しいことでしょうね。

 また、なによりも地元ではフライの達人のHさんですが、茶路川の様子はこのSさんに事前にメールで様子を教えてもらっていたというのは驚き。地元よりも外の人の方が詳しいとは。

 音別川では旭川から来たというルアー釣りの男性もいました。この時期は道内外から道東を目指してくるようです。

「茶路川と音別川はフライの世界ではものすごく名前が通っているんです。季節でもいろいろですが、アメマスが始まるとその大きさに圧倒されますし、ニジマスその他普通にいるような魚でも大物が釣れるというのでその知名度は全国レベルなんですよ」とはHさんの弁。


 知らぬは地元ばかりなり、ということは多いものです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて私の釣り果の方は、今日もドライフライにこだわっていたために、それほどの大物は食べてくれず、20センチと10センチの山女魚、それに30センチのウグイを吊り上げてとりあえず大きさの自己ベストを更新できました。


 しかし札幌から来たSさんは、「上流で65センチのアメマスを釣ったよ」と嬉しそうでしたし、一緒になって近くで竿を振っている間にも、あっという間に35センチのアメマスを釣り上げました。

 「すごい!フライですか、どんな餌ですか?」と訊ねてみると、なんと直径7~8ミリほどの大きさの丸いタイプの「魚卵」と呼ばれるもので、イクラなど魚の卵に似せた一応はフライの部類に入る餌なのだそう。



   【魚卵に似せた疑似餌もあるんだ】


 この疑似餌は我々のように浮かせて流すのではなく、重りをつけて水の中に沈ませて魚を油断させるというわけで、これもフライフィッシングの一技術。

 私などはどうもドライのフライにこだわりたいところがあって、沈むフライには手を出したくない感じ。

 しかし同行のHさんは、ドライフライでは魚は食いつかない、とみるやすぐに宗旨替えをして魚卵のフライを使い始め、夕方の音別川では魚卵のフライで35センチのアメマスをヒットさせました。やっぱりこの時期は沈むフライなら釣れるんですねえ…。



    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、来月はいよいよアメマスが遡上を始めるシーズンの到来。全国からフライフィッシャーが大勢この地を憧れて訪れて来ることでしょう。

 大勢になんとなく知られている『有名』な土地もあれば、ごく一部の人に熱狂的に知られている『有名』な土地もあります。

 しかし訪問先で本当に味わいのある旅ができるのは、その土地の真の価値を知る一部の熱狂的な人たちでしかないのかもしれません。

 旅のスタイルを変えるとしたら、これからはなんとなく旅行雑誌をトレースして満足するような旅から、向かう先の土地とがっぷり組み合えるようなスキルを身に着けて挑む旅になるのではないかと思います。

 道東はそういうチャレンジャーを存分に受け入れる懐の深さがあります。

 そんな実力のある人が訪れてくる地元の川を誇らしく思うと同時に、今私たち自身が地元の真の価値をしるべきだ、とも思います。

 知恵も現実も現場にしかなくて、現場にはあるのです。

 観光も旅も現場から考えたいものですね。


 
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鎮魂の盆踊り

2011-08-19 23:55:14 | Weblog
 釧路の夏を彩る三大祭りの一つ、今日は「くしろ市民北海盆踊り」が催されました。

 今年が第57回目となる北海盆踊りは昭和30年に、戦没者供養、戦災復興祈願などを目的として「市民盆踊り」の名で始まりました。

 その後昭和47年に市役所が事務局を担当するようになってからは「くしろ市民盆踊り大会」として開催され現在に続いています。

 かつては手踊りと仮装踊りが二日間にわたって行われたと言いますが、今では両者を交えて一日で終えるようになりました。

 今年は約2,100名の参加者がいたと発表になり、北大通りに櫓を組んで参加者は輪になって盆踊りを楽しみました。

 盆踊りと言うと、亡くなった魂の鎮魂のための踊りと考えられていますが、今回は3.11の大震災を受けての新盆。

 踊りの始まりには皆が黙とうを捧げて大震災で亡くなられた人たちの冥福を祈りました。


    ※     ※     ※     ※     ※




 市役所は青い浴衣に身を包んで参加。人数が多いのでちょっとした迫力です。

 しかし看護学校や看護師さんの多い病院などはやはり女性が多くて華やかでうらやましい限りです。

 私の方は、途中から教育長の誘いで、花柳流のお師匠さんの許可を得て、滅多のことでは許されない櫓の上で踊らせてもらうことができ感動です。

 珍しいことに途中の休憩もなく1時間半を踊り続けた今日の盆踊り。現世を生きる市民の笑顔とともに、ひと時此岸に戻った魂を慰めることができたでしょうか。

 釧路の夏がまた一つ過ぎてゆきました。

 
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「天地明察」を読む

2011-08-18 23:28:26 | 本の感想
 吉川英治文学新人賞ならびに昨2010年度本屋大賞第1位を取った小説、「天地明察」を読みました。





 作者は冲方丁(うぶかた とう)氏ですが、最近はテレビのバラエティでもちょくちょく見かけるようになったイケメン小説家です。

 「天地明察」は、江戸時代が安定を始めた1600年代半ばの頃の江戸を舞台に、渋川春海という碁打ちにして数学者という変わった経歴を持つ実在の人物を記します。

 この頃の上流階級に属した人たちは結構姓や名前を変えるのでややこしいのですが、最後の名乗ったのが渋川春海という名前なのでそれで通します。

 主人公の春海は、江戸幕府で殿の前で御前碁を打つことを仕事とする碁方である安井算哲の長子として生まれ、若くして御城碁に出仕するようになります。

 しかし碁を打つことだけに飽き足らず、数学や暦法、天文学、さらには後の水戸学にも影響を与え天皇崇拝の思想をもつ垂加神道や、陰陽道を統括し造歴の権利を持つ土御門神道も師事するなど、多彩な才能を発揮してゆきます。

 そして暦を研究してゆく中で気づいたのが、その頃までの日本では貞観4(862)年に唐から伝わった宣命暦という暦をなんと823年もの間使っており、すでに誤差が多く生じて日単位のずれを生じていたということでした。

 この頃になると既に地球は丸いということは知られていたようで、太陽や星の角度を観測する技術も少しずつ向上してきて、観測を重ねることで日本独自の暦を作るという意識に目覚めて行ったのでした。


    ※     ※     ※     ※     ※



 さて、春海は当時中国で使われていた授時暦という暦を元に観測でその裏打ちを行い、これに基づいて一度は授時暦による改暦を願い出ます。

 改暦の正しさを証明するために春海は、三年間で六回の「蝕」、つまり月が太陽面をかすめるように通過する事象を予言し、それを今までの宣命暦、そして時を同じくして提唱された大統暦、そして春海の薦める授時暦がそれらを当てることができるかどうかを競い合いました。

 本のタイトルの「天地明察」とは、それらの予言を春海の授時暦が当てた際に発せられた言葉で、「予言どおりに天地の事象を言い当てた」といったような意味で使われています。

 しかしこの第一回目の予言では、他の暦が蝕を言い当てられず受持暦だけがそれを言い当てていったのですが、最後のところで自らも予言に失敗してしまいます。

 これを深く恥じた彼は再度暦研究を深め、中国とは経度が違うことや時差などがあることを知り、中国の暦では日本にそのまま適用できないと考え、日本向けに改良を加えたいわゆる大和暦をまとめあげます。

 そして様々な紆余曲折を経て、最後にはかれの大和暦を正式に採用することを朝廷に採用してもらうことができ、それを年号にちなんで以後「貞享暦」と呼ぶようになったのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 物語には様々なライバルが登場します。数学の世界では同時代を生きて和算を確立したことで知られる関孝和がおり、なかなか会えない彼との数学による切磋琢磨が描かれます。
 
 また実在した渋川春海の碁の記録は今も残されており、碁の世界でのライバルだった本因坊道策との火花の散るような碁盤上の戦いも見どころだし、またさらには、後に妻として迎える女性「えん」との若き恋話も物語に彩りを添えます。

 若くして国家レベルの使命感を背負うことになった彼の苦しみや、それを支えてくれる先輩、同僚、友人たちとの触れ合いなどが物語に深みを与え、志半ばにして倒れる同僚の意志を力強く継いで行く春海の生き方に共感を覚えずにはいられません。

 私としては物語の中で交わされる会話のやりとりに重厚感が欠けるような気がしましたし、全体を通じてひたむきに誠実に生きる主人公の性格を物足りなくも思いましたが、それらを差し引いてもまあさわやかな小説に仕上がっています。


    ※     ※     ※     ※     ※


 なおこの「天地明察」は、2012年秋に公開される映画化が決定したそうで、岡田准一と宮崎あおいが夫婦役になるのだとか。

 どのような映像美が描かれるかも楽しみです。

 夏休みの読書感想文を書くには良い一冊です。
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自転車によるまちづくり in 恵庭

2011-08-17 23:45:58 | まちづくり



 道央の恵庭市の方から、「今度自転車によるまちづくりに関するシンポジウムをしようと思っていて、講師をお願いできませんか」と相談を受けました。

 この方はどうやら私の掛川時代の活動をずっと覚えていてくれたらしく、東京での三年間にわたるポタリング生活の中でお会いしたこともあったのです。

 恵庭市では既に市民委員会を作って自転車のまちづくりに関する報告書もできつつあるようですが、それをさらに発展させたいというお考えのよう。

 掛川では生涯学習とその帰結としてのスローライフ運動に三年間携わることができましたが、その一環として自転車によるまちづくりにも加わることができました。

 掛川の自転車によるまちづくりには、先に『自転車ありき』ではなく、わがまちを良く知りわが町を誇れるようになる生涯学習運動がその底流にあります。

 そのうえで、わがまちを良く知るためのツールとして自転車を使ったまち発見やサイクルツーリズムというイベント、さらにはロコ・サイクルガイドという観光的要素を加えるという形で進化してきました。

 掛川などは自転車道が整備されているとか、ハード的に優れたことをやっているわけではなく、あくまでも地域の事物を巡るツールとしての自転車がその出発点になっているわけです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 自転車によるまちづくりを考える上で陥りがちな大きな間違いが二つあります。

 一つは、自転車道を整備するために自転車によるまちづくりをしなくてはならないといったハードを先行させてしまう考え方です。
 これは畑を耕す前に種を植えるようなもので、本末が転倒しています。自転車に乗ることを楽しみとする人たちがいるからこそハードが生きると考える方が発展性があるのです。


 そして二つ目の間違いは、自転車の楽しみを一つに統一しようという考え方です。

 今日自転車は、9,800円のママチャリから何十万円もするスポーツバイクまで性能面での幅も広く、乗る方の意識も大まかに言って、①通勤・通学・買い物用の日常生活で便利な乗り物、②まちを巡って観るためのポタリングと呼ばれるような街乗りの乗り物、③何キロもの長距離を速いスピードで走り体を鍛えるためのスポーツとしての乗り物、などのカテゴリーの違いに分けられます。
 
 だから本来は、これらのカテゴリー別の自転車によるまちづくりがあるべきなのですが、しばしばこれを一つの方向にまとめあげようとして委員同士での意見の統一ができなということがおきがちです。

 私自身はまちを見物するポタリングの道具としての自転車に重きをおいていますが、これだって他の人から見れば変わった趣味に見られても不思議ではありませんね。

 自転車に乗る目的をまずよく考えておくことが必要です。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、今回の講演依頼ですが、そんなわけで生涯学習まちづくり的なアプローチでの自転車によるまちづくりの理念について語ることは私でもできるのですが、それを実践する事例紹介となると最近の掛川からは離れてしまっているので私が話すのは適切ではないと考えました。

 そこで逆提案として掛川でそれを実践しているサトー君も招いてくれないでしょうか、とお願いをしたところ前向きに考えてくださるとのことで、サトー君とのダブル講演あるいは対談や鼎談形式にしようかと検討してくれることになりました。

 実はサトー君は「静岡空港を使ったサイクリスト交流という話も進めたいですね」という考えを持っていて、夏は内地のサイクリストを涼しい北海道で楽しませて、冬は北海道のサイクリストを温かく歴史的な事物も多い静岡で楽しませるという交流にも夢を膨らませています。

 以前著名な自転車専門誌の編集長だったMさんと話した時には、「掛川の自転車まちづくりは他の町の5年くらい先を走っているんだよ」と言われましたが、ハード論を先行させるまちづくり論ではおそらく永遠に掛川には追いつかないようにも思います。

 まちづくりの理念を市民の多くが共有するって案外難しいものなのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、恵庭市でのシンポジウムは10月10日(月・祝)になりそうです。

 自転車に乗る人だけのイベントではなく、その楽しみ方、使い方を知らない人にも聞いていただけるようなものにしたいものです。
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【おまけ】人は生きてきたように死んで行く 【致知メルマガより】

2011-08-17 09:09:33 | Weblog
 私が木鶏の会として勉強会をしているネタ本が月刊誌「致知」です。

 この発行元の致知出版社では雑誌に掲載された記事から引用したメルマガを発行していて、これがまた人間旅行向上に役立っています。

 今日の記事も印象に残りましたので、コピーでお届けします。




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
     致知出版社の「人間力メルマガ」

       【2011/8/17】 致知出版社編集部 発行
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

   本日は、ホスピスケアの第一人者として、
   これまで二千五百名もの患者を看取り、
   生きる意味を追求し続けてこられた
   金城学院大学学長・柏木哲夫氏のお話を
   ご紹介いたします。

 
────────────────────────────────────


       「人は生きてきたように死んでいく」
       
       
            柏木哲夫(金城学院大学学長)
        
            『致知』2008年1月号
             特集「健体康心」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。


────────────────────────────────────

(これまでに二千五百名もの方を看取られてきて、
 何か発見されたことはありますか? の質問に)
 
 人は生きてきたように死んでいくということです。
 これは私の実感ですね。

 ですから、しっかり生きてきた人は
 しっかり亡くなっていかれますし、
 表現はおかしいけれども
 ベタベタ生きてきた人はベタベタ亡くなっていく。
 
 それから、周りに感謝をして生きてこられた人は、
 我々にも感謝をして亡くなられるし、
 不平ばかり言って生きてきた人は
 不平ばかり言って亡くなっていくんですね。

 
 このことは、よき死を迎えるためには、
 よき生を生きなければいけない、ということを
 教えてくれていると思うのです。

 では、よき生というのはいったい何か。
 
 そこには個人の主観がだいぶ入ると思うんです。
 
 Aさんにとってよき生とはこうだし、
 Bさんにとってよき生とはこうだというふうに、
 人によって皆違う。
 
 ただ、二千五百名の看取りの中で私が感じることは、
 やはり前向きな人生ということ、
 それから周りに感謝できるということ。
 
 その二つに集約されるような気がして仕方がないんです。

 
 物事には必ずプラスとマイナスがありますが、
 物事のプラス面をしっかり見た生き方をしてこられた方々。
 そういう方々の生は、やっぱり前向きで
 よき生なんだろうと思うんです。

 それから、感謝というのはとても重要な
 キーワードだと思うんです。
 
 家族に対して、周りの人たちに対して、
 最後に「ありがとう」と言いながら、
 そして自分も相手からありがとうと
 言ってもらいながら生を全うできるのも、
 よき生だと思うんです。

 そういう生を全うする人を、
 私は人生の実力者と呼んでいるのです。
 

---------- 【引用ここまで】 ----------


 「人生の実力者」とは面白い表現です。

 私は人間は何度も生まれ変わって魂が成長しているのではないか、と思うことがよくありますが、そうすると今回の命は何を学ぶステージなのかな、と考えます。

 それで、きっと知らないことに触れて、「そうだったのか」と思う経験を重ねることは魂を育てることに繋がっているに違いない、と思い生涯学習を実践しています。

 夏休みの宿題は期間限定ですが、人生の宿題に期限はありませんね。
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釧路の夏を彩る釧新花火大会

2011-08-16 23:45:24 | Weblog
 人口約190万人の札幌でも花火大会はついに北海道新聞社による一度しかなくなってしまったのだそうです。

 かつては北海タイムス、朝日と三回もあったことを思うと隔世の感がありますが、現実は厳しいもの。

 そんな中地方都市の方がかえってこの点は頑張っていて、帯広が道新と十勝毎日の二つの花火大会があれば、ここ釧路には釧路新聞社ががんばっています。今日はその釧路新聞主催の「第53回釧新花火大会」が催されました。

 日中は時折強い雨が降っていて今夜の開催が危ぶまれたものの、午後2時くらいには開催を決定。余程天気予報がしっかりしているのか、花火の始まろうとする19時ころは雨が上がっていました。

 風が弱くて煙がなかなか散りませんでしたが、新釧路川の河川敷は観客席の背中から吹く風のおかげで煙がこちらに来ることもなく、条件としては良好な方だったでしょう。


    ※     ※     ※     ※     ※




 今年の花火大会では、会場を北の鶴見橋から南側の鳥取橋までの間をたっぷりと有効に使って、三カ所から同時に打ち上げる「三カ所ワイド」や五カ所から同時に打ち上げる「五カ所ワイド」という見せ方が加わって、視野一杯に花火を見せるのが上手でした。


   【これが五か所ワイドだ!】


 また単調になりがちなところでは創作花火コレクションと称して、「夜空の昆虫園」と称する虫に似せた花火や、「みんなの人気者」と称してアニメキャラクターなどに似せた花火が打ち上げられました。

 確かに似ているものには歓声が上がる一方で、似ていないものには子供たちからの「えー?」という辛辣な批評が沸き起こり笑いを誘います。


   【タコの花火】


   【イカの花火】


   【クラゲの花火】


   【野菊の花火】  



 釧新花火大会の目玉の一つは会場の広さを存分に活かした幅600mのナイアガラ大瀑布。皆立ち上がるものだからよく見えないのです(笑)。



   【定番、600mのナイアガラ大瀑布】


 クライマックスは五カ所ワイドでコンピューティングショットと銘打った大スターマイン。地上での花火と五カ所で打ち上げられる上空の花火が見事にシンクロして巨大な花火の絵が広がりました。

 デジカメの28mmほどの画角では到底入りません。ところが現場で会ったカメラ好きの知人が見事にデジカメの画面に収めていたので驚いてカメラレンズは何かを訊いてみると、「10mm!それより狭いと収めきれませんよ!」とこちらはうまく撮れたのでそれなりに嬉しそう。

 釧路の後一度の花火大会は9月に入ってからの「大漁どんパク」のときなので、夏休みの思い出になるのは今日の釧新花火大会だけ。

 短い釧路の夏を彩る花火大会。今日はどんな思い出になったことでしょう?







   【視野いっぱいに大きな花火でした、今年もありがとう】
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今年も8月15日

2011-08-15 23:53:11 | Weblog
 戦後66回目の終戦記念日の今日、釧路では戦没者追悼式ならびに慰霊大祭が市内の護国神社で挙行されました。

 会場には釧路市内だけではなく釧路管内の町村からの遺族会に首長、議員なども参加して、式典は厳粛な雰囲気のなかで執り行われました。

 この式典も回を重ねて66回となりましたが、年々遺族は高齢化してゆき、参加者も減少しつつあります。

 かつては用意した千席では座りきれなかったほどの参加者が、今では席を減らしてなお空席が目立つようになりました。




 拝殿前に飾られる献花も、かつては何段かになっていたものが今ではきわめて少なくなっています。
 
 志半ばにして亡くなられた英霊の御霊には謹んでご冥福をお祈りします。

 しかし、遺族ではない行政の関係者の多くが戦後生まれとなった今日、戦没者追悼の意味は、遺族の心情をおもんばかるだけではなくその後の日本を背負ってきた者として、改めて考え直す時期に来ているのかもしれません。

 戦争とはなんだったのかがすぐに頭に浮かぶ世代と、教科書でしか知りえない世代とのギャップは埋まりにくいかもしれません。

 戦後奇跡的な経済復興は果たしたものの、これが英霊たちが望んだ社会だったのかどうか。

 私たちは戦後、何を取り戻して何を失ったのでしょうか。


 いずれにしても、志を果たそうと思えば果たせる環境になった今日、私たちは何をなすべきかを良く考える一日であってほしいものです。 


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断捨離とモッタイナイのバランス

2011-08-14 23:15:51 | Weblog
 短かった夏休みも今日でお終い。夕方の汽車で釧路へと戻ってきました。

 札幌では、氷のできなくなった冷蔵庫に見切りをつけて買った新しい冷蔵庫の搬入を今日の午後に見届けることができました。

 冷蔵庫を取り替えるに当たっては中に入っていたものを改めて確認することになり、以前使った残りの蕎麦粉などなんとなく取ってあった食材もこの際処分することにしました。

 冷凍にした蕎麦つゆなどは結構もつのですが、冷凍室も溶けかけていたしこれからもしばらく食べなさそうなのでこれも処分。勇気をふるってもったいなさと決別です。

 まだ食べられるものを捨てると、「もったいない」と言われますが、実は冷蔵庫のスペースだってもったいないし、捨てればよいような物を取っておいて部屋を狭くしているのももったいない話。

 ぱっと決断して捨てればよい物を、もったいなくて捨てずにいるために、心の中にいつも引っかかって悩んでいるのも心のゆとりのムダかも知れません。

 こうしてみると、「もったいない」という言葉を直接的な捨てる対象にとらわれずに、その影にある本当にもったいないもの、惜しむべきものは何なのかを考えた方がよいかも知れません。






【断捨離】
 先日紹介した映画「コクリコ坂から」では、映画の場面として汚い部室を大勢の学生が大掃除するシーンがあります。

 この映画の試写会を「断捨離」アンバサダー(伝道師)の川畑のぶこさんが見て、膝を叩いたということが彼女のブログに載っていました。

 「断捨離」とは、「自分と身のまわりのモノとの関係を問い直し
今の自分にとって『不要・不敵切・不快』なものを『断ち・捨て・離れる』片づけのアプローチ」と川畑さんは定義づけています。
 
 彼女はこの考え方を知ってから身の回りの片づけがどんどん進み、環境だけでなく精神まですっきりした生き方を実践できるようになり、以来、この精神を「断捨離」として世に進める活動をしています。

 もったいない、の裏側で、豊かな日本だからこそ「モッタイナイ」と「断捨離」との精神的なバランスを取ることが大事なように思います。

 さて、私も部屋を片付けなくては。


 「断捨離的映画(?)試写会へ」川畑のぶこblog
  http://bit.ly/r8AAg7

【断捨離のすすめ】川畑のぶこ オフィシャルサイト 
  http://www.dansharian.com/
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夏休みの宿題

2011-08-13 23:45:05 | Weblog
 墓参りの一日。両親と妻、それに結婚した娘夫婦も連れてワゴン車で賑やかに走ってきました。

 お墓は岩見沢と虻田にあって、方向としては反対で走行距離も結構長いのすが、高速道路のおかげで時間も疲労も少なくてすみます。

 もっとも朝一番の旭川方面へ向かう高速道路は北海道には珍しく各所で渋滞が発生していて、さすがに混雑が激しいようでした。まあ本州に比べるとカワイイものではありますが。


 車中で夏休みの宿題が話題になりました。




 私は小学校低学年の時の絵日記に、毎日「のんべんだらりとした一日だった」と書いた記憶があるのですが、それをそのまま提出したんだったかどうかは定かではありません。その後手直しさせられたんだったかなあ…。

 娘の旦那さんは、「夏休みの宿題で、月の観測をテーマにしたことがあって、毎夜月の形を観察しようとしたんですが、一週間くらい曇りの日が続いて月が見えなかったんです。夏休みが終わってみるとなにも描いていない日がぽかっと一週間くらい空いたんですが、それを見てすぐ上の兄から『この間は何やってたんだ!』と叱られて、不条理だな、と思いましたよ」という思い出。

 
 そう言えば私のある知人は、「夏休みの日記の気温と天気なんて普段調べてないものだから、もう終わる頃になって気象庁へ教えてもらいに行ったものですが、気象庁の方も心得たもので、もう配るようなプリントができていたんですよ。まあ困り果てた結果、専門家を訪ねて教えてもらうという行動に繋がったことが一番社会性が育ったんじゃないかな(笑)」と言っていました。

 
    ※    ※    ※    ※ 


 小学校高学年の夏休みには、モーターで動くスキーリフトを備えた長さ1メートル以上のスキー場の模型を作って提出したこともありましたがあれは我ながら力作でした。

 これなどは今思えば、夏休みの自由制作などという考えは全くなくて、時間があるから純粋に作ってみたくて没頭したのでした。

 夏休みも後一週間。

 学校に作品を持って行くあの頃の自分は何人いるでしょう。 

 
  
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