道央の恵庭市の方から、「今度自転車によるまちづくりに関するシンポジウムをしようと思っていて、講師をお願いできませんか」と相談を受けました。
この方はどうやら私の掛川時代の活動をずっと覚えていてくれたらしく、東京での三年間にわたるポタリング生活の中でお会いしたこともあったのです。
恵庭市では既に市民委員会を作って自転車のまちづくりに関する報告書もできつつあるようですが、それをさらに発展させたいというお考えのよう。
掛川では生涯学習とその帰結としてのスローライフ運動に三年間携わることができましたが、その一環として自転車によるまちづくりにも加わることができました。
掛川の自転車によるまちづくりには、先に『自転車ありき』ではなく、わがまちを良く知りわが町を誇れるようになる生涯学習運動がその底流にあります。
そのうえで、わがまちを良く知るためのツールとして自転車を使ったまち発見やサイクルツーリズムというイベント、さらにはロコ・サイクルガイドという観光的要素を加えるという形で進化してきました。
掛川などは自転車道が整備されているとか、ハード的に優れたことをやっているわけではなく、あくまでも地域の事物を巡るツールとしての自転車がその出発点になっているわけです。
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自転車によるまちづくりを考える上で陥りがちな大きな間違いが二つあります。
一つは、自転車道を整備するために自転車によるまちづくりをしなくてはならないといったハードを先行させてしまう考え方です。
これは畑を耕す前に種を植えるようなもので、本末が転倒しています。自転車に乗ることを楽しみとする人たちがいるからこそハードが生きると考える方が発展性があるのです。
そして二つ目の間違いは、自転車の楽しみを一つに統一しようという考え方です。
今日自転車は、9,800円のママチャリから何十万円もするスポーツバイクまで性能面での幅も広く、乗る方の意識も大まかに言って、①通勤・通学・買い物用の日常生活で便利な乗り物、②まちを巡って観るためのポタリングと呼ばれるような街乗りの乗り物、③何キロもの長距離を速いスピードで走り体を鍛えるためのスポーツとしての乗り物、などのカテゴリーの違いに分けられます。
だから本来は、これらのカテゴリー別の自転車によるまちづくりがあるべきなのですが、しばしばこれを一つの方向にまとめあげようとして委員同士での意見の統一ができなということがおきがちです。
私自身はまちを見物するポタリングの道具としての自転車に重きをおいていますが、これだって他の人から見れば変わった趣味に見られても不思議ではありませんね。
自転車に乗る目的をまずよく考えておくことが必要です。
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さて、今回の講演依頼ですが、そんなわけで生涯学習まちづくり的なアプローチでの自転車によるまちづくりの理念について語ることは私でもできるのですが、それを実践する事例紹介となると最近の掛川からは離れてしまっているので私が話すのは適切ではないと考えました。
そこで逆提案として掛川でそれを実践しているサトー君も招いてくれないでしょうか、とお願いをしたところ前向きに考えてくださるとのことで、サトー君とのダブル講演あるいは対談や鼎談形式にしようかと検討してくれることになりました。
実はサトー君は「静岡空港を使ったサイクリスト交流という話も進めたいですね」という考えを持っていて、夏は内地のサイクリストを涼しい北海道で楽しませて、冬は北海道のサイクリストを温かく歴史的な事物も多い静岡で楽しませるという交流にも夢を膨らませています。
以前著名な自転車専門誌の編集長だったMさんと話した時には、「掛川の自転車まちづくりは他の町の5年くらい先を走っているんだよ」と言われましたが、ハード論を先行させるまちづくり論ではおそらく永遠に掛川には追いつかないようにも思います。
まちづくりの理念を市民の多くが共有するって案外難しいものなのです。
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さて、恵庭市でのシンポジウムは10月10日(月・祝)になりそうです。
自転車に乗る人だけのイベントではなく、その楽しみ方、使い方を知らない人にも聞いていただけるようなものにしたいものです。