北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ダブルモニターはご用心 ~ エラーコード「0xc0000005」の回避

2017-11-20 22:32:51 | Weblog

 

 9月頃にリリースされたWindows10のバージョンアップがずっとうまくいきませんでした。

 Windows10更新アシスタントというガイドソフトに従って、必要なプログラムをダウンロードして実行するだけという簡単な内容なのですが、いつもあるところでエラーが出て中断してしまうのです。

 何度も「0xc0000005」というエラーコードが出ていて、これをネットで調べるとどうやらメモリ上での混乱が原因らしい。

 パソコンに詳しい方に聞くと、「先行して使っているソフトとの相性がありますよね。できるだけこれらのソフトを一度全部削除してからやってみてはどうですか」というアドバイスをいただきました。

 それならば、ということでウィルスバスターを始め、(これか?)と思うソフトをことごとく外してトライしてみたのですが、やっぱり同じエラーが出てうまくいきません。

 ここでバージョンアップがされないと、ソフトが勝手に動き出して何度も同じバージョンアップのためのソフトをダウンロードしては失敗する、という愚かな行為を何度も繰り返す羽目になります。

 そこで「0xc0000005」というエラーコードで失敗している人の投稿を片っ端から読んでみて、「ディスプレイの設定が悪くて失敗しましたが、購入時の設定に戻したところうまくいきました。特定のディスプレイドライバや解像度との組み合わせで発生する事象かもしれません」という記述を見つけました。

 そこではたと気が付いたのが、(ダブルモニターだからうまくいかないのかも)ということ。

 そこで、セカンドモニターをはずして一面で作業をしてみたところ…、おお、いつもはここで止まるというところを突破して次のステージに進み始めました。

 そして、結果的に無事にバージョンアップに成功。ダメだったらSSDへのクリーンインストールをしなくちゃだめかなあ、とずっと悩んでいたのですが、ようやく胸のつかえがとれました。

 普段は便利に使っていたダブルモニターでしたが、とんだところでつまずきの素になっていました。ダブルモニターの方は要注意です。

 

 気が付いてしまえば、「なんだそんなことか」と思われることですが、そのちょっとしたことに気が付かなくて、前に進めないということって多いですよね。

 そして、機械は融通が利かないので、少しのミスも決して許してはくれません。

 AIが進化して、ほんの少しの失敗には「次はこうやってみたらどうですか?」とアドバイスをしてくれるような人工知能になるとくれないかなあ。

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孫のお遊戯会で背筋が伸びた話 ~ 人は幼子からも学べます

2017-11-19 23:15:37 | Weblog

 今日は孫のお遊戯会でした。

 孫の通う幼稚園は人数が割と多いので、お遊戯会のプログラムが二日間の四部構成になっています。

 そのため、孫の出ない演目を延々と見させられるという事がなく、全体として締まった構成になっています。


 孫は、開会の歌と、演奏、そして歌に合わせて劇をするという三種目に出ていましたが、劇を演じるのにハプニングがありました。

 最近のこうした出し物では、主人公が一人という事がなくて、同じ役の演者が複数という事が当たり前になっています。

 孫の出し物は「さるかに合戦」で、孫の役はお猿さん。

 今回はお猿さんが6人でかにさんも6人。それぞれが左右に分かれて流れる歌に合わせて踊りを踊ります。

 猿が柿の種と交換したおにぎりをかにから取り上げるシーンで、なんと相手役のかにさん役の子が急きょ休んでしまったのだそう。

 孫は列の一番後ろで踊っていたのですが、そのため相手のかにがいなくて、お握りを取り上げるはずが相手がいないために、お握りがないまま取り上げたふりをしてむしゃむしゃと食べたふりで凌ぎました。

 母親の娘は、「練習と違ったけれど、パニックにもならず良くぞできる最善を尽くしたよ。頑張った、良くやったよ」と手放しで褒めまくり。

 なるほど、予定と違うときに冷静に対応するということができていましたか。

 後で本人も、「僕は頑張ったよ」と自慢げだったのでまずは良かった。

 親の知らないところで子は成長していました。


 幼稚園の壁に、『三つの基本』と書かれた紙が貼られていました。

一 『ハイ』の返事
二 靴をそろえ、椅子を入れる
三 正しい姿勢(腰骨を立てる)

 とあります。正しい姿勢なんて、子供の時に注意されたかな。

 大学生や大人になっても、いや大人になったからこそ、姿勢が悪くなっている人って案外多いものです。

 改めて幼い時の教育の大切さがわかります。子供様子を見て、気が引き締まりました。

 人は幼子からも学べますね。 

 

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目に見えて向上するサービス ~ 止まったらそこでおしまい

2017-11-18 18:14:15 | Weblog

 

 昨日は快晴だった安曇野地方ですが、今日は一転して曇りから霧雨。

 朝の光に生える西山(北アルプス)ですが、今日は雲に隠れています。風も冷たくなってきて、「こりゃこちらも雪が降りそうですね」とは地元の方。山はとっくに雪ですが。


        ◆ 


 かつて手掛けたあづみの公園を見学してきました。昨日一緒に飲んだ公園事務所のOBさんたちは、なんだかんだで公園の活動を支えるボランティア活動をしています。

「最初は活動者の一人だったんですが、だんだん歳を取ってきて今じゃあいくつかのグループのリーダーをやらされています(笑)」

 あづみの公園のセンターハウスは「あづみの学校」というテーマで、クラフト体験や自然観察、昔の田舎の暮らしなどが楽しめます。

「稲わらで藁細工を作るんですが、美味しく食べる米の藁って背丈が短いので使えません。そのため、藁細工専用に背の高い稲を作っているんですよ」
「そういう藁の米の味はどうなんですか?」
「へへえ、あんまり美味しくありません(笑)」

 多くのボランティアがいて、地域の人たちの力を借りながら地域の力を生かした公園運営がされているようです。

 私も蕎麦打ちの指導くらいやりたいんですがねえ。


       ◆    

 帰路は、松本から都市間高速バスで新宿まで帰ってきて羽田空港から帰ってきました。

 バスは新宿南口に新しくできたバスターミナル「バスタ」へとはいってきましたが、ここは高層ビルの低層部がバスターミナルになっています。

 一度外へ出ないとJR駅に行けないなど、ややアクセスに難がありますが、後からできたので仕方のないところでしょうか。

 交通拠点のバス計画など、札幌も見習わなくてはいけませんね。


       ◆   

 早めに羽田空港へやってきて、ANA側のラウンジで休もうと思ったら、ラウンジがいつもの4階にありません。

 工事中なのかと思ったら、3階の反対側により大きなスペースで、また電源サービスなどを充実させたパワーアップラウンジとしてより便利になっていました。

 今までは面積が小さくて、すぐに混雑して席を取るのも大変だったのですが、こちらならばゆったりと座れてしかも羽田空港のWi-Fiサービスもあります。

 観光立国の玄関口として、サービス充実が急速に目に見える形で表れています。

 こういうスピード感を持ったインフラの充実って、北海道も大いに学ばねばなりません。

 同じところに留まっていたらそれは競争の中では負けを意味するようです。  

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懐かしの安曇野 ~ 心の風景の定点観測

2017-11-17 23:44:33 | Weblog

 

 今日明日で長野県の国営アルプスあづみの公園事務所OBによる「あづみの会」に参加してきます。

 朝8時新千歳発の飛行機に乗ろうと、5時半に家を出て始発のJRに乗車。FDAで松本空港へ行く手もあるのですが、今回は羽田空港経由で向かいます。

 飛行機が羽田に9時35分に着くと、京急~山手線と乗り継いで新宿から11時発の「特急スーパーあずさ13号」で松本へと向かいました。

 電車で松本へ向かうなんて本当に久しぶりのことで、多分平成11年3月までのあずみの公園の所長をしていた時以来じゃないかな。

 松本駅には13時46分に到着して、かつての事務所の総務課長だったAさんの出迎えを受けました。

「所長、駅を降りたらアルプス口の方から降りてくださいね」

 松本城のある中心市街地は駅の東側に展開しているのですが、西側の出口が空いていて、北へ向かうには便利なのです。

 言われたとおりにアルプス口へ向かうと、なんと出口の部分が新しく大きなガラス仕様の建物になっていて、北アルプスが一望できるのでした。

 この日は天気が良くて、常念岳をはじめ安曇野の西山がはっきりと見えて歓迎してくれるよう。変わらぬ風景に懐かしさもひとしおです。


       ◆  


 私がいたころの旧穂高町は、周辺の小規模町村が集まって今は人口十万人の安曇野市になっています。

 当時お世話になった町長さんも何人かが鬼籍に入られたと聞いて、時の流れを思います。

 あづみの公園事務所同窓会のあづみの会は今回は6人。それも、私が事務所長だった時に課長として働いてくれた人たちばかりが集まって、私の時代の同窓会の様相になりました。

 懐かしくなってそれぞれの年齢を聞いてみると、「私は今年77歳になりました」、「私は74歳、来年から後期高齢者ですよ」と、皆さん結構なお歳になっています。

 なかにはとても70代後半には見えない御仁もいますが、考えてみたら私がこちらで所長をしたのは41歳のころの頃でした。

 皆で集まったところで、今日はあづみの公園を建設している長野国道工事事務所の課長さんやら、管理を担当している財団からも所長さんをお迎えして、最近のあづみの公園の話題について講話をしていただきました。

 あづみの公園では数年前に朝の連続テレビドラマ「おひさま」のロケ地になっていたことがあって、そのときには随分とたくさんの人が訪れてきたそうです。

【「おひさま」ロケ地巡り】 http://loca.ash.jp/show/2011/a2011_ohisama.htm

 当時のエリアは今は公園として開園を果たしましたが、今でもセットの一部は残っていて、安曇野らしい風景として残っています。

 いろいろな工夫をして、これからも来園者を増やしてほしいものです。

 安曇野などという日本のリゾート地に土地勘と懐かしい思い出があって、現地で活躍している友達がいるというのは財産だなあ、と思います。

 転勤生活? いいもんじゃあありませんか!

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懐かしの安曇野旅

2017-11-16 23:07:22 | Weblog

 明日は久しぶりに長野県の安曇野へ行ってきます。

 安曇野は、松本市を南端とする松本盆地一帯を指す地域のこと。

 歴史的には海神である福岡当たりの綿津見命を祖とする氏族で、大体が海沿いに北上してきたと思われるのですが、川を遡ったのか、標高800mほどの松本盆地にもその名を残しています。

 今は安曇野市となった旧穂高町にある穂高神社にはお船祭りという、船同士をぶつけ合う勇壮な祭りが伝わっていて、高原の土地柄ながら、海とのかかわりが随所に見られ、摩訶不思議な歴史があるんでしょうね。

 そんな安曇野地域ですが、平成9年から11年までの約3年間を国営アルプスあづみの公園事務所長として過ごし、初期の公園づくりに携わったのはよい思い出。

 明日はその当時に一緒に苦労した人たちが集まるというので、声がかかって同窓会をしてこようというのです。

 安曇野を離れて十数年が過ぎていますが、いまだに声がかかるのがうれしいところですね。


 それにしても安曇野は本当に素敵な土地でした。

 北アルプスの山並みはきれいだし、自然は豊富で蕎麦がうまい。

 ただ一つ大変だったのは、住民の人柄のクセがすごいこと(笑)。

 権威には反発し、自分自身の目で人品骨柄が試されます。しかし日常の態度や行動でひとたび受け入れてもらえると、もうなんでもOKのような、はっきりしたところもあります。

 逆に受け入れられないとなると、人付き合いは相当難しいだろうな、と思う地域でもあります。

 さて、どんな風に変わったでしょうか。

 僕の思い出にある安曇野は、17年前のもの。冒頭の写真は、10年前の松本駅です。変わったのでしょうか。

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まずは自分からしっかりしよう ~ 掛川の生涯学習と報徳思想の親和性

2017-11-15 23:37:28 | Weblog

 

「本来は行政の仕事のはずなのですが…」というセリフを聞くことが多くなりました。

 最近は行政もサービスだ、という風潮が強くなる一方で、もともとは住民や各個人が担うべき事柄までも行政に押し付けて事足れり、とすることが多くなっています。

 行政だって打出の小槌を持っているわけではないので、行政経費を自らが生み出すというわけには行きません。

 自分たちで稼げる税金のほかに、国や道などからの交付金や補助金、さらには自らの借金である起債事業などによって予算を調達して、その範囲でできることをしているにすぎないはずです。

 行政ができるサービスを現代社会の力とすると、それと各個人の力を足したものが、得られる満足のように思われます。

 しかしこの考え方には、先に行政のサービスがあって、その恩恵を受けてから後に自分の持っている資産や能力を足そうという、考えがにじみ出ているように見受けます。

 今日のような行政が発達していなかった昔は、まず自分というものがあって、それができるだけ頑張るのだけれども、足らざる部分や、社会の助け合いによってなされる支援というものを期待するという順番だったはずです。

 それがいつの間にか、「税金を払っているのだから、行政のサービスを受けるのは当然」というところから出発してしまっていて、自らの努力を出し渋るような風がまん延しているように感じられます。

 二宮尊徳が生きた江戸時代末期などはまさに、そんな行政サービスの力がほとんどなかった時代であり、だからこそまずは自分を律して生活を確立したうえで、その余剰分を推譲した(出しあった)うえで、地域で困っている者を助けようという順序がありました。

 報徳の精神でお金を集めた際には、誰にお金を貸すべきかを皆の投票で決めた、ということもあったようです。

 お金を借りるうえでも、地域に困窮の度合いや誠実さなどが認められて初めて借りられるという制度でした。

 掛川の生涯学習運動と言うのは、そうした報徳記の考え方をベースにして、まずは自分をしっかりと律して、自分でできることはやれるようにしてから、周囲を助けたり助けられたりしよう、ということではなかったか、と思うのです。

 掛川の生涯学習と報徳思想の親和性は、そういうところに垣間見られるのです。

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大谷翔平投手もそうだったのか~十勝で報徳を語る

2017-11-14 23:35:45 | Weblog

 

 今日は帯広へ出張。

 帯広地区の舗装事業関係者と発注者との意見交換会があるので、オブザーバーとして参加したのです。

 地域の中にはいろいろと細かい課題があるので、意見交換を通じて改善が図られることを期待したいところです。

 さて、十勝と言えばやはり報徳。豊頃町に二宮尊徳の孫が入植し、また帯広では依田勉三が晩成社をつくって開拓に乗り出した、記念すべき土地です。

 しかしそんな話題を振っても、報徳を知っている人は約半分ほど。

 豊頃町に小学校5年生までいたという方は、「そういえば、そんなことを学んだ記憶がありますが、あまり大事だとは思いませんでした」とのこと。

 心に染みるまでには時間がかかります。


       ◆ 


 先週掛川へ出かけたて榛村さんに会ったときに、報徳社の方からこんな話を聞かされました。

「報徳を学ぶ三大高校といわれるのが、西の報徳学園、静岡の掛川西高、そして岩手の花巻東高校です。花巻東高校はホームページを見ても、報徳を学んでいることがわかります」
「へえ」

「先日、榛村社長(大日本報徳社なので、「社長」という)が花巻東高校を訪ねたんです。最初はただ訪問するだけのつもりだったのですが、本社の社長が来るというので、結局学校を上げて体育館に生徒が集まってくれて、榛村社長の講演を聞くような形になりました。そのときに感想文が寄せられたりもしているのですが、本当に高校段階でしっかりと報徳に基づく人格教育がなされているな、ということがよくわかる訪問でした」
「そうなんですか」

「花巻東高校の代表的な卒業者が、西武ライオンズの菊池雄星投手と日本ハムファイターズの大谷翔平投手ですが、二人とも高校卒業後すぐにプロ野球の世界に飛び込んで、優秀な成績を収めていながらも、驕るようなこともなく穏やかで誠実な感じがよく出ています。あれが報徳を学ぶ高校を卒業したから、と思うと、さもありなんと思いますね」

 
 確かに、優秀な成績にもかかわらず真面目そうな人柄が二人ともよく出ていると思います。

 若い時から人格を陶冶するということの大切さはつとに言われますが、なかなかできることではありません。

 大谷君はいよいよ大リーグに挑戦するということですが、報徳精神を抱いて世界に羽ばたいてほしいものです。

 十勝の地で報徳を語った夜でした。

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「智よりも情熱のあるなしが問題になるのだ」(安藤翁語録)~ 報徳講演録

2017-11-13 23:21:21 | Weblog

 

 今日は午後に、(一社)北海道建設業協会港湾・漁港部会の依頼を受けて、講演をしてきました。

 普段ならば「二宮尊徳と報徳思想」についてお話をするところですが、今回は港湾漁港部会からの依頼、ということで、「報徳の三賢人」の中から、漁村の振興に力を注いだ安藤孝俊さんに少しスポットを当てた内容としました。

 北海道における「報徳の三賢人」とは、酪農家たちを集めて雪印の基礎を築いた黒澤酉蔵、ホクレンの基礎を築いた小林篤一、そして困窮する漁民と漁村を救い振興に努めた安藤孝俊の三人です。

 北海道では、開拓初期に札幌の創成川の基となる大友堀を作った大友亀太郎や、十勝の依田勉三など、報徳の哲学で開拓に入った一団がいましたが、その後昭和十年代になって、富山県から北海道庁の経済部長に転任してきた遠山信一郎氏が報徳を勧めたことによって、道内各地で報徳が盛んになりました。

 このときに感じるものがあって、報徳の精神で事業を勧めたのが上記で述べた、黒澤酉蔵であり小林篤一でした。

 ところが安藤は、「報徳は知ってはいたが、それほど勉強する気にもならずにいた。また遠山部長がやろうというから勉強を始めた者たちは、おべっか使いのようで気に入らなかった」と最初からの報徳には馴染めずにいたようです。

 それが自身の漁業協同組合とその信用部門である信漁連を預かる立場になってから、これを本当に実のある形で進めるにはどうしたら良いか、ということを真剣に考えてたどり着いたのが報徳の仕法でした。

 彼はこう言っています。

「二宮先生の哲理を見なさい。これを採る、採らないは別だよ。何も宗教か何かのように信仰せよなどと言うのではない、私は真理があると思っている。このような偉人が日本にもいたのだという事を知るだけでも良い」

 二宮尊徳は、その死後に敬愛する者たちから崇敬されるあまり、各地に二宮神社や報徳神社が立てられ、さながら宗教的な趣がついてまわるようになりました。

 しかし安藤はそういった風を排して、その真理に気が付き、この方法しかないことに気が付いたのでした。

 漁民たちには、「酒を飲むなとは言わない。ただ今日四合飲むところを三合にし、三合飲むところを二合にし、明日にその一合分を推譲するのだ。そうやって一年も経てば船や網の借金を返すところまで行くだろう」と言って、日ごろの行いを正しました。

 不漁にあえいだ某漁協で、組合長が信漁連に30万円の借入をもとめたところ、「貯金を行うことが条件だ。家計を担当する女性に無駄を見直して貯金するよう指導せよ」と諭し、それをきっかけにして漁協に婦人部が奮起して、貯蓄実行組合を立ち上げ、この動きが全国の漁協婦人部の創設に繋がった、というエピソードも伝わっています。

 運動に早くから女性の視点を入れさせるというのも実に的を射た発想で、今日的です。

 そうやって貯蓄を奨励して、これを基金にして漁民の経済状況を改善していったのです。

 

          ◆ 


 実は先週掛川へ行って、かつて使えた榛村元市長さんにお会いした時に、榛村さんから一冊の本を頂き蒔いた。

 それが『二宮尊徳に学ぶ報徳の経営』という本で、この本の冒頭の部分に17ページにわたって榛村さんが「報徳とまちづくり」に関する寄稿をしているのでした。

「ちょうど届いたところだから一冊差し上げますよ」と言って一冊頂いたのですが、まさに今日の講演のためにも随分と参考になりました。

 思いが通じれば、こうして救いの手が現れるというのが面白いですね。

 報徳について思いのたけを吐き出した一時間の講演でした。御清聴、ありがとうございました。


 

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これを忘れるのか? ~ 忘れるにもほどがある

2017-11-12 22:39:53 | Weblog

 

 無事に二日間にわたる都市計画学会の学術研究発表会が終わりました。

 学生さんのアルバイトにも協力してもらいながらの運営でしたが、それぞれに役回りを得た幹事さんたちの献身的な協力によって、滞りなく日程を終えることができました。

 個人的にイベントの多い今月のなかでも最も神経を使う大きなイベントだったので、無事に終了してまずはほっと一安心です。

 さて、運営の本部スタッフとして受付周辺で遊軍として会場を見回っていましたが、初日からポロポロと忘れ物が出始めました。

 ちょっと知り合いからは、「チェックの折りたたみ傘を忘れたと思うので、うちのスタッフが明日行ったら渡してほしい」という連絡があったのはまだまし。

 持ち主の表れない忘れ物も多く、傘やハンカチなどの定番のほかに、マフラー、パーカーなどの衣料もありました。

 二日目は4時くらいまでの日程の中で、3時半までにキャリーケースが二個本部に届けられました。

「こんなの、本当に忘れるかね?」
「しかも二個ですよ!」

 そうこうするうちに、6会場ある教室それぞれにプログラムを終了したところから三々五々、参加者たちは帰って行き、残っている人がどんどん少なくなっていきます。

「残りの中にこの忘れ物の主が本当にいるのかなあ?」

 運営スタッフ一同からは、次第にあきらめムードが漂い始めます。

 東京からサポートに来てくれた本部の職員の方は、「忘れ物があったら、最後は段ボールに入れて、全部本部に送って下さい。その後は本部で管理しますので」とこちらも万が一の対応を伝え始めます。

「今までにもこんな忘れ物ってありましたか?」
「それが結構あるんですよ。スーツを一式会場に忘れて行った、というのもありましたね。キャリーケースは本人が会場を離れて駅まで行ったところで気がついて戻って取りに来た、というケースがありましたけど、本当に忘れて行った人はまだいません」

 ここでキャリーケースが残されたらおよそ初めてのケースです。

 …と、最後の教室が終わって、ぞろぞろと降りてきた人の輪にダメ元で「忘れ物はありませんか、これは違いますか?」と訊いてみると、「はい、僕のです、すみません」と一人。

 しかも続いていたもう一人は、「僕が二回の片隅に置いていたのですが、いつの間にかなくなっていました」とこちらも無事に持ち主に戻ってゆきました。

「良かったー(笑)」

 もしかしたら東京で預かることになるかもしれなかった本部の方もほっと一安心。

 自分が落とし物をしたとして、見つけてくれた人が自分にたどり着くような事前準備なんてしていますか?

 スマホなどもセキュリティをかけていると悪い利用はされないでしょうが、自分にすぐに戻ってくるのも難しいかもしれません。

 ハードケースの中に名前と連絡先を書いておきましょうか。本気で考えるようになりました。

 研究発表会に参加、運営に当たってくれた皆様に重ねて感謝申し上げます。

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ただ声を出す、そのことが難しいわけ

2017-11-11 23:30:34 | Weblog

 

 いよいよ今日と明日で、都市計画学会学術研究論文発表会が開催です。

 会場は北大の情報科学研究棟という、工学部の中でもひときわ奥まったところにある建物。
 研究発表は六つの教室を使って、朝9時40分から始まります。

 今回の大会における私の一番のミッションは、昨日のエクスカーションを無事にこなすことだったので、今日からの研究発表ではさしたるお役目はありません。まあ、遊軍として足りなさそうなところを補うようなつもりでおりました。

 なので、ちょこちょこと受付周りでたむろして様子を見回ります。

 こういう研究発表会って、最初のコマに合わせて参加者がどっと来るのかと思いきや、実に五月雨にだらだらとやってきます。

 あまり関心のない分野のコマもあるでしょうし、自分の出番が遅ければそれに合わせてくれば良いだけのこと。

 受付は集中して混雑したり、波が去ると暇になったりを繰り返しています。


 そんな中、受付の中に無料の無線LANサービスがありました。この二日間だけ有効のアドレスとパスワードを発行して、参加者に通信の便宜を図ろうというもので、さすがは大学の設備だと感心しました。

 ところがその案内がいただけません。一応受付のところに「Wi-Fi」と書かれているのですが、それが何を示すのかわかりにくいのです。

 受付のところにはアルバイトの学生さんが座っているのですが、前を通る人にかける声は小さいし、何よりタイミングが悪い。

 思い余って、横の開いた席に座ることにして、「無料の無線Wi-Fiサービスあります。ご利用ください」と声掛けの手伝いをしてあげました。

 そのうえで、「こういうのは、声をかけるタイミングと声量がどちらも大事なんだよ。向かいの受付で参加料を支払うのに一生懸命になっているときに声をかけても聞こえちゃいない。いろいろ終わって、(さて…)と一息ついた時が声掛けのタイミングだよ。でもその声が小さいとやっぱり聞こえない。声をかけるんだったらお腹の底から太い音圧の声をかけなくちゃいけないよ」

 言われた学生さんは「そうですね」とは言うものの、「じゃあやってごらん」と言われて彼が発した声はやっぱり私の合格点には達しません。

「ははは、まだまだ恥ずかしい気持ちが声に出てしまっている。恥ずかしさが吹っ切れるまでにはまだ人生修業が必要かな」

 ただ「声を出す」それだけのことが結構難しい。「今、これくらいの大きさの声を出すんだよ」とやってみせてもできないの。面白いものですね。

 私もいい歳になったので、多少おせっかいながら、こういうことが大事なんだという事をちょっと力説しました。

 そろそろちょっとくらいうざがられても、後ろに続く人たちに役立つような声を出していかないといけない気がしています。

 思ったことはすぐにやった方が良い。チャンスはすぐに失われていくのです。

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