北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ゲームを断捨離 ~ 持ち続けていてももう遊ばないよね

2021-08-21 21:53:25 | Weblog

 

 子育てで帰省中の次女が「この際テレビゲーム類を断捨離しよう」と提案。

 確かに今までにたくさんのゲーム機器を買いましたが、今では遊ぶわけでもなく、ただ古くなるばかり。

「歳を取ってすることがなくなったら、むかしなつかしいげーむでもするようになるのかなあ」と思っていましたが、そんなことにはなりません。

 そもそもテレビとつなぐのにももう古い仕様になっていて、「今時こんなかたちでつないでも画像もきれいに映らないでしょ」と言われ、確かにそのとおり。

 次から次へと新しいゲーム機器もソフトも販売されている昨今、懐かしいだけのゲームをするだけの時間的余裕はもう期待できません。

 娘はせっせと片づけを始めたのですが、「そういえば箱はどこかにあるの?」と言い出して、ありそうな納戸を探しまくって、ようやく一つの納戸の奥から埃にまみれた箱を取り出してきました。

 娘は「手が空いたら売ってくるよ」と売り先も決めている様子。

 かつて大はまりしたバイオハザードシリーズなどはもったいないような気もしますが、本当にやりたければまた買えば良いのでしょう。

 初期のころは、動かないゾンビと動き出すゾンビの画像の違いが分かってしまったものですが、今日そんなソフトはもうありません。

 青春の一コマではありますが、これらもまた時代とともに過去の思い出にする時期かもしれません。

 また一つ断捨離が進みます。

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良型のヤマベを妻が釣る ~ さすがのビギナーズラック

2021-08-20 23:57:00 | Weblog

 夏休み最後の思い出作りに、久しぶりに妻と一緒にちょっと離れた渓流へ向かいました。

 妻はここのところ、同居している娘と孫のサポートに関心が移っていて、あまり外に出なくなっていたのです。

 北海道も久しぶりに厚さが戻ってきて、日陰は涼しいものの太陽に照らされるようなところでは首筋がひりひりするくらいの陽射しです。

 車を停めたところから釣り上がってみましたが、それほど魚影は濃くありません。

 普段はイワナの川なのですが、今日の私と遊んでくれたのはニジマスばかり。

 それでもだんだんに釣り上がってゆくと上流では少しずつ魚影が濃くなってきました。


 すると少し上流のちょうど良さそうな溜まりで釣っていた妻が「うわーん!」と叫び声。

「どうした?」
「出たけどバレた」

 残念! そこから先はなんどやってもフライが見切られてしまった様子。

 そこで「フライを変えてやってみよう」と、魚にはたまらない羽虫のフライにチェンジ。

 そうして再チャレンジを繰り返すこと数度。

「出た!」

 出ました。それも良いサイズの魚です。

 ここのところほとんど釣れていなかった妻なので、ネットでのランディングに手間取りましたが、最後は無事に網に収めて自力で釣り上げることができました。

 見てみると胴が太くてドンコロの25センチクラスのヤマベではないですか、良い大きさです。

 焼いたらさぞ美味しかろうという魚体ですが、川の主には丁重に帰っていただきました。

 私のニジマスよりもずっと価値ある一匹でした。


    

     ◆


 帰りに車のところに戻ると、もう一台の車が止まっていました。

 (後ろから追いかけてきた人はいなかったなあ)と思っていると、上流から自転車に乗った若者がやってきました。

「自転車で上流へ行って釣っていたんですか?」と訊くと、「はい、ここは川沿いに林道があるので、思いきり上流まで行って釣ってきました」とのこと。

 なるほど、車で行けるところには限界がありますが、そこからの自転車ならばもっと上流部への距離が稼げるというわけです。

 いろいろなやり方で皆ポイントを探しているようです。

 夏の良い釣りが楽しめました。

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ゴールドから普通へ格下げ ~ 運転免許更新

2021-08-19 23:06:11 | Weblog

 

 来月の誕生日を前にして、運転免許の更新に行ってきました。

 幸いなことに今回も裸眼運転がOKとなり、眼鏡使用を逃れることができましたが、乱視が進行していて次はあやしそう。

 折角のゴールドだった免許も、この5年の間に3度もスピード違反で検挙されて、今回は違反講習2時間付きです。

 しかし逆にじっくりと2時間の講習を受けることで、普段の運転の至らない部分を顧みることができました。

 「こちらが優先の道路で、横からの道には一時停止があったとしても、一時停止を無視して突っ込んでくるかもしれない、という予測をする」

 頭ではわかっていても、普段の運転ならば「突っ込んでくる方が悪い」くらいにしか考えておらず、なかなか行動には移せないものです。

 何年かに一度は、安全講習って行っておくべきですね。

 どなたさまも運転はご安全に。

 

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人口減少を救う「関係人口」を考える ~ 「関係人口の社会学」を読む

2021-08-18 23:08:57 | 本の感想

 

 いよいよ人口減少局面に入ったわが国では、特に都会よりも地方部で人口減少が顕著です。

 そもそもなくなる高齢者が増えつつ子供が生まれない社会になりながら、進学や就職の際に子供たちは都会に移ってしまいます。

 人口の問題は地域を支える上では大切なことですが、もう人口増感が望めない地方にとって、「住む人が減ったら地域は再生できない」のでしょうか?

 今日は帯にそう書かれている本『関係人口の社会学』(田中輝美著 大阪大学出版会)を読みました。

 著者の田中輝美さんは島根県の新聞社勤務の後にフリージャーナリストとなり、島根に住みながら地域のニュースを記録し続けました。

 その後社会人ドクターとして母校の大阪大学で再度学び、社会学として"関係人口"を定義づけ地域再生に果たす役割を明らかにしようとし、その博士論文をベースにまとめ上げたのが本書です。

 
     ◆


 もう30年以上も前の時代には、将来の人口減少を補うキーワードとして「交流人口」が話題になりました。

 地方をもっと訪れる人が増えて、そこで経済活動をして地域を支えるという思惑で、そのための施策として地方にオートキャンプ場を作ることが奨励されて、現在は第二次のオートキャンプブームと言われています。

 しかし本書では、「そうした交流は、単なる地方の消費で終わるか、地方では農村の担い手として期待されたものの"交流疲れ"ということもあり、交流が崩壊した例も少なくなかった」とされています。

 このコロナ禍で、東京を始め大都会を脱出する傾向が増えたとはいえ、地方が求めるほど「移住人口」は増えていません。

 やはり特定の地域に思い切って移住してくるというのは、かなりハードルが高い移動現象と言えるでしょう。


【そこで「関係人口」の登場】
 今回話題の関係人口とは、「交流人口と定住人口の間にあるもの」とか、「地域に多様に関わる人々=仲間」とされたり、「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」といった定義づけがされてきました。

 結果的に本書で著者は、関係人口を「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」と定義づけました。

 しかしここで注意が必要なことは、「関係人口」はそのまま地域再生の主体とは同じ意味ではない、と著者は指摘します。

 本書ではその後に、地方部で外からよそ者を招き入れて地域を劇的に再生させた事例として、島根県海士町、島根県江津市、香川県まんのう町をとりあげています。

 そして、劇的な再生とは地域の課題が解決の方向に向かったということであり、そもそも地域の課題とは、地元における主体性の欠如である、と看破しています。

 そしてもしも再生がなされたとすれば、その主体はやはり地元の人たちであり、再生のきっかけがよそ者の到来であったことを指摘しています。

 このあたりで読んでいる私と指摘になったことがありました。

 それは著者が「関係"人口"」と言いながら、成功事例として登場するよそ者は、ごく少数のスーパースター的な白馬の騎士のように感じられることです。

 私の関係人口のイメージは、たとえば「ふるさと納税」のように、遠くにいながらもその町のことを多少は気にかけていて、自分たちができる範囲で尋ねたりその町のために寄付を始めなにがしかの力添えをする"人々"というものでした。

 ところが本書ではそこがいつのまにか「優秀なよそ者」の姿の印象が強くなってきています。

 著者は「関係人口は数より質だ」とか「関係人口もいつかはその町を去って良い」と表現していますが、そこにはやはり特定少数の人が見えてきます。

 地域住民の考えを変えさせて行動変容を起こすほどの変化をもたらすようなよそ者とは、単にその町が好きだというレベルを超えています。

 また登場するのは、移住してきたすぐは住民から疎まれながらもひざ詰めで関わってゆくことで次第に信頼を得て活躍が始まるようなレベルをもった超人に映ります。

 しかしそのあたりは著者も良くわかっていて、「関係人口と言うその意味に、総数ではなく質のことを指しているのを矛盾している」、また「本書ではそこに検討が加えられなかった」と述べています。

 
 著者は「人口減少が問題なのは、単に数が減ることではなく、地域の人々が自らやるべきだという主体性を失ってゆく『心の過疎』が生じるからだ」と指摘していることは、地方を見分しながら痛切に感じることです。

 そしてその地域住民の主体性も、日常の中から変えることは難しく、そこに"よそ者効果の刺激"によって、最後は「やはり自分たちがやらねば」という気持ちになることが重要だと述べています。


【コロナ禍での補稿】
 最後に本書では、コロナ下における関係人口論として、地元を実際に訪ねられなくても「応援消費」によって地域を支えようとする動きが増えたり、「オンライン関係人口」で関わりを維持しようとする動きなどを紹介しています。

 どのような人と、どのような質の関係を保ちながら、どのような地域課題を解決しようとしているのか。

 まずは地元民が、心の過疎を脱却してその課題を真剣に考えて共有する動きが必要なのです。

 
【最後に掛川の生涯学習として】
 本書の問題意識は、人口減少によって地域の課題を解決するすべが失われてゆくことを、よそ者からの関わり・支援によって解決に向かわせるにはどうすればよいか、ということが発端になっています。

 そしてそれは、私にすればすでに昭和50年代にかつての榛村元掛川市長が感じていた過疎の問題にほかならないと思います。

 そのときから始まった掛川の生涯学習運動は、地元の人たちがまだ顕在化していない課題を感じ取ることができるような感性を育てようとする試みであったはず。

 掛川も、市民自身の考え方が変わるためには「生涯学習が必要」で、具体的実践的な人材育成講座である「とはなにか学舎」のようなシステムにも外部からの講師を招き寄せて、市民の刺激剤としていました。

 そこで学び育った市民は地域活動を下支えして今でも地域の心のリーダーとして活躍している人が何人もおり、そのようなシステムは「地域学」として、自らの地域を学ぶ運動へと発展しています。

 行政のトップリーダーである市長自身に、地域課題解決のためのファシリテーターや思想家としてのいくつもの能力が重なっていた極めて幸運な時代を目の当たりにした私としては、若い世代にそのような新たなリーダーの登場を願います。

 地域のファンを増やし、外部からのサポーターを増やすような「関係人口論」は今後ますます盛んになるに違いありません。

 本書は、今後のために関係人口とはなにか、を学んでおくための一冊です。

 「夏休みの読書感想文」として。

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70年代ブラスロックバンドのシカゴを完コピ ~ Leonid & Friends の演奏を聞いてみて

2021-08-17 23:56:51 | Weblog

 

 ネットサーフィンをしながら、youtubeで70年代からのポップスなどを聴くことが多い私。

 70年代の代表的なブラス・ロックのバンドと言えば"Chicago"です。

 私が最初に聞いたのは、中学1年生くらいだったので、「Question67&68」だったか、それとも「長い夜」だったかそこいらへんが定かではありませんが、まあホーンセクションとギターが印象的な曲だった印象が強くあります。。

 シカゴやボーカルのピーター・セテラの曲も良く聴いたのですが、最近このシカゴの曲を強烈な再現性で演奏するバンドの動画を観ました。

 そのバンドとは「Leonid & Friends(レオニードとその友達)」という集団のこと。

 そもそもが「シカゴ・トリビュート・バンド」という、シカゴをリスペクトして止まないことを自称していて、演奏する楽器も歌も、シカゴそのもので驚きます。

 ロシアのバンドのようで、スタジオはキエフですし登場するメンバーもみなロシア風の名前ばかり。

 曲の演奏は、リーダーで主にエレキベースを演奏しているLeonid Vorobyeb(レオニード・ボロビエフ)さんが全部耳コピで楽譜を作っているようです。

【Saturday in the Partk】 https://bit.ly/3AOWfDr 


 弦楽器も本物だし、ホーンセクション、ギター、ドラムもほぼ完コピ。

 
【If you leave me now】  https://bit.ly/3iW19Zj

 
 紅一点のバックボーカルのKsenia Buzinaちゃんも可愛くてついつい見入ってしまいます。 

【Hard to say I'm sorry】 https://bit.ly/3k55Jn4


 それぞれの演奏者の演奏シーンも見やすくまとめられていて、コピーバンドとして素晴らしいだけでなく、演奏だけでも素晴らしいハイクオリティ。

 さらに同じブラスロックバンドということで、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーの"September"もカバーしていて、こちらも素晴らしい再現性です。

 残念ながら世界ツアーはコロナウィルスの影響を受けているようですが、素晴らしい音楽性に感服です。

 これらの他にもシカゴをカバーした楽曲が多数youtube上にあるので探してみたはいかがでしょうか。

 世界中には素晴らしい才能の持ち主が多いですねえ。ふう。 

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バレてがっくりもカメラに映ってる ~ 一カ月ぶりの釣り

2021-08-16 23:46:25 | フライフィッシング

 今週は夏休みを取って英気を養います。

 少しは夏休みらしいことをしようと、今日は約一カ月ぶりに渓流へ出てフライフィッシングをしてきました。

 朝5時前に家を出て、現地到着が6時。それから午後1時までずっと川をゆっくりと釣り上がりましたが、さすがに足腰が痛い。
 
 Goproを買ってからというもの、釣りのたびに動画を取るようにしていたのですが、今回からは安い三脚を使って遠くから釣りの風景を撮ってみることにしました。

 釣りの風景全体が撮れて、後から見てもわかりやすくなって良いと思ったのですが、バレて全身でがっくり来ているところも映っていて笑ってしまいました。

 今日も魚影は濃いとは言えず、忘れたころに反応があるので焦ってしまいます。

 それでも、狙ったところにフライが届くのにあと10センチ足りなくて、次のキャストでそこにピンポイントで届いたときに魚が食いついてくれる、というのは嬉しいものです。


 しかし、釣った瞬間はなかなか撮れなくて、撮影シーンは釣れない空振りばかり。不思議なものです。

 
 一カ月ぶりの川歩きで足腰がさすがに痛くなってきましたが、川のせせらぎに包まれて心が解放されました。

 北海道はもう夏の風ではありません。

   

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テレビゲームの変遷に見る「豊かさ」と「貧しさ」

2021-08-15 23:20:34 | Weblog

 

 先日、娘の旦那さんである婿さんと、「子どもの頃、どんなテレビゲームで遊んだか」という話になりました。

 婿さんは、「僕は二人いる兄と歳が離れていましたが、長兄はドラゴンクエストで次兄はファイナルファンタジーでした。で僕は、兄たちがこなすゲームを見ているのが好きでしたが、結局はドラクエの方になりましたね」と言って、「ドラクエもⅠ~Ⅵまでやりましたが、機械が変わったところで離れちゃった感じですね」とのこと。

 長女の方は「印象に残っているのはドンキーコングかな。1か2か忘れちゃったけど」と言います。

 私の方は、スペースインベーダーゲームが20歳のときで、その5年後の1983年に任天堂のファミコンが出て、テレビゲームが爆発的に売れ始めたという、いわば人生の真っただ中に始まったゲームだったのですが、案外縁がありませんでした。

 スーパーマリオもやってないし、DQやFFもやったことがなく、唯一はまったのはバイオハザードシリーズでしょうか。

 しかしそれ以上にバリエーション豊かにゲームで遊んだという記憶がありません。

 ゲームに熱中しなかったのは、もう大人になっていたからなのか、ゲームに熱中するだけの時間がなかったからなのか。

 
    ◆


 そんな話が進んだ後に婿さんは、「最近のゲームはプレイヤーに媚びた感じがします」と言い出しました。

「え、どうして?」
「ゲームに使える記憶容量に限界もあったんだと思いますが、昔は回復アイテムや武器を持てる数がすごく制約されていたんです。少ない持ち物の中で、武器を選ぶか回復アイテムを持つかが勝負の分かれ目にもなっていました。それが今ではゲームの記憶容量が膨大になって、回復アイテムも武器もいくらでも持てるようになりました。その選択の妙が失われました」

「なるほど」
「それに、昔のロールプレイングだと、次にどこへ向かったらよいかがわからなくて、何度も回り道をしたり同じ所へ行ったりして、次の目的地を探り当てるまでにすごく時間がかかったんです。
 それが今では案内役がいたりして、次はどこへ向かうべきかを教えてくれるようにもなったりしているんです。プレイヤーがそういう迷う時間に耐えられないのか、時間の節約を求める声が強いのか、そういう変化がありますね」

 なかなか面白い見方です。

「それに、今ではプレイブックが売られたり、先行者が進み方を動画で上げたりして、皆答えを見ながらプレイしている人も多くなりました。そういうところも急いでプレイしたい人が増えたんでしょうね」

 ゲームの種類が増えたというのは、一見豊かなように見えますが、それを数多くこなそうと思うと、限られた時間という制約の中で、効率的にこなしていかないとゲームが進まないというジレンマに陥ってしまいます。

 最近私はテレビドラマを見るときも、必ず予約して字幕付きで1.3倍速で見ることが増えました。

 そうしないと少ない時間で多くのドラマが見られないからです。

 聞くところによると、ネットフリックスなどのネット動画配信サービスでも早回しのモードがあるのだとか。

 果たしてそれって豊かな暮らしと言うことなのでしょうか。

 私たちは「選べる豊かさ」と、「選べる数に翻弄されている貧しさ」とどちらを生きているのでしょうか。

 ちょっと考えさせられました。

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若者よ海に出よう

2021-08-13 23:10:15 | Weblog

 

 ワクチン接種の副反応である肩の痛みは、最悪を100としたら、今朝の段階で60、就寝前の今は20くらいとかなり良くなりました。もう大丈夫かな。

 世間ではもう今日あたりからお盆の入りで、人に会おうと思って電話をしてもお休みと言う方が実に多い。

 わが社は週明けの月・火・水に基本的な夏季休暇として与えられるとのことで、帰省する人・しない人、それぞれの夏休みが始まりました。

 帰省する人も、奥さんやお子さんのいる自宅ではなくご両親のいる実家にするという方や、札幌に単身赴任の人は「奥さんを逆に呼び寄せてこちらで過ごします」という方もいます。

 折角の夏休みですが、様々な行動制限で今年も落ち着かない年ですね。

   ◆

 さて、かくいう私こと、夏休み明けに船舶免許2級を受けることにして果実申し込みをしました。

 別に船に乗って何かをしたい、と言う強い思いがあるわけでもないのですが、釣り仲間が昨年取得したと聞いていて気になっていたものです。

 免許さえもっていればレンタルボートを借りても良いでしょうし、少しだけでも沖へ出れば釣りの釣果も大きく変わるものです。

 まあ今生の人生で見られる景色の可能性が増えるかな、と思った次第。

 免許取得の手順は、学科講習1日、翌週に実技講習1日、さらにその後で学科と実技の試験1日という全部で三日間のコースで、料金は約9万円ほど。

 受付の女性スタッフに、「この試験って落ちる人はいるんですか?」と訊くと、「ええ、たまに(笑)。でもそういう方って、学科講習も真面目に聞いておらず試験に勘で立ち向かうような方ですから、普通に勉強していれば大丈夫ですよ」とのこと。

 考えたら何かの試験っていつ以来でしょう。

 おお、緊張してきたぞ。

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寒くて布団を出しました

2021-08-12 23:30:15 | Weblog

 

 ワクチンを打ってから一日が経ちました。

 昨夜は寝るときまで痛みを感じませんでしたが、朝起きるときから左肩が痛くて寝返りを打つときの痛みで目が覚めました。

 今もまだ痛みが続いていますが、ワクチンが聞いている証だとおもって我慢の時間です。


 それにしても寒い。

 先週までの猛暑はどこへ行ったのか、暑い夏の空気が南下した後には冷たい北の空気が入り込んで、一気に寒い日々となりました。

 ラジオでは「思い余ってストーブをつけました」という人の投稿が読み上げられていました。

 さすがにネタじゃないか、と思いましたが、稚内で128年ぶりに気温が2.6℃になったという報道には、秋を通り越して初冬の寒さを感じます。

 我が家もタオルケット一枚で寝ていたのを、寒くて寝ていられずに羽毛布団を出しました。

 山でも凍死する事故が起きていますし、夏休みのキャンプでも防寒対策を意識しないと思わぬ寒さに震えることになりそうです。

 あまりの天気の急変に体調もおかしくなりそうですが、コロナ禍の中、下手に風邪もひけない日々が続きます。

 九州など前線の南側では災害級の雨だとか。

 まずは健康も災害からも身を守ることを第一に。

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ワクチン接種一度目で感じたこと

2021-08-11 23:25:37 | Weblog

 ようやく一度目のコロナワクチン接種を終えました。

 会場は札幌市内北部の大規模接種会場「つどーむ」です。

 「17時30分から18時」という時間帯の予約でしたが、途中の渋滞に気持ちはやや焦り気味。

 到着は17時40分なので、ちょうどよく現地に到着です。

 広い駐車場から「大規模接種会場→」という看板と案内の方の声を頼りに入り口に向かいますが、三々五々接種を受ける方が集まってきます。

 広い会場内の案内は非常にシステマチックです。

 まず間隔をあけて一列に並ぶと係の人がいくつもある受付のなかで空いた番号のブースを、「〇〇番の窓口へどうぞ」と声を出して指定してくれます。

 ブースの前にもスタッフがいて、手を振って「こちらです」と案内してくれます。

 予約した30分の時間を厳守しなくちゃいけないのかな、と思っていましたが、この時間帯で「18時からと18時30分から」の予約の人も受け入れていたので、少し早く入る分には受け付けてくれるのだと知りました。

 最初は書類の確認で、接種券と当日の健康状態をチェックする問診票の2枚がちゃんと揃っているかどうかを確認します。

 接種券と問診票をバインダーに挟んでくれて、それを持って次は問診票の内容チェックに向かいます。

 ここでも一列にならぶと、間隔をあけて広い空間に大量に配置された机の一つに案内されて、対面で本人確認と記載内容を確認します。

 ちょっと胃痛で飲んでいる薬について修正をした後でいよいよワクチン接種へ。

 こちらは横一列に30くらいのカーテンが施されたブースがあって空いたところは緑のランプがつくようになっているのですが、担当のスタッフが「あちらのランプのところへどうぞ」と案内してくれます。

 私の入ったブースは若い女医さんでした。

 ワイシャツを脱いで左肩を出すと「ちょっとチクっとしますよ」と言いながら注射をしましたが全くその瞬間に痛みはありません。

「全然痛くないんですけど」「あら、よかった」

「一日何人くらいに打つんですか?」「今日は午後からの担当で80人くらいが目安です」

 そんな会話をしましたが、ワクチンブースの中にいたのはせいぜい2分程度でした。

 ワクチンブースの反対側に出ると、そこにいるスタッフが私の書類に終了時刻を書き込んで、たくさんの椅子の一つに案内されました。

 ここでアナフィラキシーショックがないかどうかのために15分待機をします。

 私は終了時刻が17時56分だったので、「18時11分になったら出口のスタッフに書類を見せて退出してください」と言われて椅子に座ります。

 前には副反応の説明が大型モニターに映されていますが、遠いので見えないしよく聞こえない(笑)。

 何事もなく18時11分を迎えると出口のスタッフに書類を見せて時間を確認してもらい、最後にまたずらりと並んだ窓口で最終チェックです。

 ここでは、接種券のシールをはがされ、接種済み欄にはモデルナワクチンのロット番号のシールを貼ってもらって終了。

 この接種済み証明が後々大事になってくるのでしょう。

 そうしてつどーむの建物を出たのが18時15分頃でした。

 つどーむの建物の中にいて一連の手続きからワクチン接種を終えるのにわずか35分しかかかりませんでした。

 手続きや案内のためにおそらく数百人のスタッフがいて、ワクチン接種の取り組みをサポートしてくれていたことでしょう。

 大量の人が集まるとどんなことになるのかな、と思っていましたが、いざ行ってみると実にスムースなのに驚きました。

 副反応もあるかもしれないけれど、社会的厚生のためにはワクチン接種で一人ひとりが自分を守るしかない。

 コロナをそれほど恐れずに旅行に出かけたり、自由に飲食をしたりという健全な経済活動に踏み出せる自分になるしかない。

 僕はそう思います。

 
 

 

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