興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

「○○なんだろうと思います」 (気になる言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
 テレビの討論番組や報道番組で、コメントを求められた大学の先生などがよく使う言葉。
「それが(誰それの)思惑なんだろうと思います」
というように使う。
「思惑ではないかと思います」「思惑でしょう」なら違和感はない。「思惑だと思います」も素直な表現。しかし「思惑なんだろうと思います」というと、どこかセンテンスとしてのすわりが悪い。

「○○なんだろう」といういくぶんカジュアルな表現と、「思います」というあらたまった表現とのミスマッチでもあるし、「だろう」と「思う」という二つの‘非断定語’を重ねた、もどかしさも感じられる。

 実際のところ、この表現を使う人はだいたい決まっていて、その人の単なる口ぐせともいえる。知識人は概して断定を好まないのだ。
2006.1.22

お訴えをする (きらいな言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
 選挙の際、立候補者が街頭演説でよく口にする言葉。
「訴える」、「訴えます」でいいと思う。「お訴えをする」は表面だけ丁寧さを装った選挙演説用常套語の安易な使用であり、投票者に対する媚が感じられる。
 選挙演説ではまず何よりもしっかりした中味で勝負してほしい。

 似た言葉に「お示しをする」がある。いまに「お主張をする」なんていう言葉が出てくるかもしれない。

胡椒少々 (好きな言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング

 料理番組で昔よく聞いた言葉。なによりも「コショーショーショー」という音の響きがいい。

 たしかに胡椒は「少々」がいいようである。杓子に1杯も入れた日には、料理はだいなしである。
 一方、ペパーの効いてないステーキなんて、クリープを入れないコーヒーよりも間が抜けている。

 ‘Variety is the spice of life.’という表現が英語にはあって、「変化こそ人生を面白くするものだ」という意味とのこと(新グローバル英和辞典)。
 料理においても人生においても、「少々」のスパイス(胡椒)は味わいを深めてくれるのだ。

 日本語には「ワサビの効いた表現」という言葉がある。ものを書くからには、たまにはピリッとひきしまった気の利いた表現をしたいものである。
2005.07.02


「お願いしてもよろしいでしょうか?」 (気になる言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
「ここに印鑑をお願いしてもよろしいでしょうか」
 これは先日、ある信用金庫で、新しい口座を開こうとしたときに行員に言われた言葉。
 この「お願いして(も)よろしいでしょうか」、または「~していただいて(も)よろしいでしょうか」という言い方は、最近あちこちでほんとうによく聞く。とくに若い人の口から聞くことが多い。
 いわばお伺いを立てる表現で、たしかにへりくだった感じがするし、ていねいといえばていねいである。
 しかし、時にていねいすぎると感じることがある。

「(お願いして)よろしいでしょうか」はもともと同意または許可を求める表現で、依頼や要請をするときの言葉ではない。
 銀行口座開設時に印鑑が必要なのは手続上必須で、客に許可・同意を求める筋合いのものではない。客は口座を開設する意思をもってその場にのぞんでいるのであるから、「ここに印鑑をお願いします」で十分と思う。

 なんでもかんでも「よろしいでしょうか?」ですまされてしまうのは、逆に話し手の安易さを感じてしまう。

 何か月か前、有楽町のあるうどん屋に入り、おカネを支払うとき、レジの若い男性店員に、
「980円いただいてもよろしいでしょうか」
と言われた。
「いやだ」とは客に決して言われないことが‘想定内’であるからこその物言いである。
 これなら今あちこちで不評な「980円になります」のほうがまだわかる。
2005.05.21

ひとかたけ (好きな言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
「一片食」と書く。ひとかたき、ともいう。
 一回分の食事という意味である。
 わたしが小さい頃、この言葉を母がよく使っていた。「これでひとかたきになる」と。
 収入も多くなく、食べるものにも時に事欠く状況では、例えば少しばかりの冷えた蒸かしイモでも、分けあって立派なひとかたけになった。
 わたしの家がというより、昔はどこの家でも多かれ少なかれそういう状況だったと思う。
 わたしが中学生だった昭和30年代の前半には、貧しくて学校に弁当を持ってこれない級友もいた。
「ひとかたけ」という言葉には、一食一食を工面せねばならない気苦労と一回一回の食事の得難さ、ありがたさが含まれていたように思う。

 向田邦子のエッセイのどれかにもこの言葉が出てきたが、飽食の時代といわれてひさしい現代、いずれ死語になってしまうのだろうか。
2005.05.21

含羞 (好きな言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
 はにかみ、はじらい、恥ずかしいと思う気持ちのこと。
 人は大人になるにつれ次第にこの気持ちを無くしていくのかもしれない。
 自信と誇りを持つことと、高慢でないこと、謙虚であることとは両立するのである、と信じよう。
 御辞儀草(おじぎそう)のことを含羞草とも書くそうである。

2004.11.21

余裕で間に合う (気になる言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
「出発時間には余裕で間に合う」というように使う。
「そんな(簡単な)ことは、余裕でできるよ」という風にも使われる。
 わたしの感覚では、「出発時間には十分間に合う」「そんなことは簡単だよ」と言いたいところだ。
 今から20年ほど前に、わたしの子供たちが小さいころに使うのを聞き違和感をもったが、それなりにわかりやすいなとも思った言い方だ。
 新しい世代の言葉なのかもしれない。

 先日、バスの中で、そのバス会社が羽田行きのバスを大幅増便したという広告チラシを見つけた。そこにこういうキャッチフレーズが使われていた。
「これならゆとりで飛べる!」
 若い世代が、企業の第一線でキャッチコピーも考える立場になったということか。

ひと煮立ち (好きな言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
 煮物をしている鍋などで、最後にさっと沸騰させること。
 みなで豚汁鍋を囲んでいて、ジャガイモもゴボウも大根も豚肉もぐずぐず煮えてきた。テーブルには七味の小瓶もある。めいめいの取り皿も準備できた。
 味噌で味を調えると、湯気の中からおいしそうな匂いがただよってくる。そこに包丁を入れた豆腐を、まな板からそろりと入れる。すると鍋の沸騰がしばしおさまる。
「さあ、あとひと煮立ちさせれば食べられるよ」
と、こういうときに使う言葉である。
 煮立ってくるまでのしばしの間、ビールを飲みながらみなが鍋を見つめている。おたがいの幸せが伝わってくる一時である。

つましく・つつましく (好きな言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
 つましい(倹しい、約しい)とは無駄使いせずに暮らすことであり、つつましい(慎ましい)とは控え目であるというような意味である。
 ところが、つつましいを、つましいという意味で使う誤用をときどき見かける。
 「つつましく暮らす」と書いてあって、前後の文脈から倹約して暮らしている状況を表現したかったのだなと思われるケースである。

 「つましい」も「つつましい」も、いまや絶滅危惧語なのだろうか。
 わたし自身は日頃から、つましく、つつましく生きたいものと思っている。思うだけでなく実践しろ、と言われそうだが……。

目が点になる (気になる言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
 「目が点になる」という言葉には、「おどろく。びっくりする」という意味のほかに、「あきれる」という意味もありそうである。
 若い人たちのあいだで使われだした新しい言葉だと思う。
 意味するところはわかるが、わたしは自分では使いたいとは思わない。まだ新しすぎるように思えるからである。
 (大方の慣用句辞典には載ってないが、三省堂の『故事ことわざ・慣用句辞典』と講談社の『これは使える「体ことば」辞典』にはすでに載っている)

 もう一つ、新しい言葉に、「頭(の中)が真っ白になる」というのがある。
「急に緊張を強いられる場面に遭遇し、何を言ってよいかわからなくなる」というほどの意味である。これもわたしはあんまり使いたいと思わない言葉だ。
 (これはまだ、どの慣用句辞典にも載ってないようである)。

 同じような意味の言葉に「パニくる」というのがあるが、このほうがまだ抵抗感が少ない。

煮含める (好きな言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
「煮含める=煮物で、材料に味が十分しみ込むまで煮る。含め煮=野菜・乾物類を、汁を多くして軟らかく味がしみるように煮ること。」(広辞苑)

 広辞苑では味がしみ込むまで煮る、とあるが、実際は煮続ければ材料に味がしみ込む、というものでもないそうだ。
 しばらく煮込んだら、いったん火を止めてしばらく待つ。ものによっては一晩置く。その間に味はしみていくのだという。そのことをわたしは最近になって知った。
 「そんなの、煮物の基礎の基礎、常識だよ」
という声も聞こえてきそうだが、料理というものをあまりしないわたしには新鮮な響きがあった。

 煮すぎないよう頃合を見はからって火を止める。そして待つ。つまり、「煮含める」には手間とひまがかかるのである。
 そして何よりもこの言葉には、その手間とひまを惜しまず他者においしいものを食べさせたいという愛情がこもっている。
 反対語は、「煮焦がす」。

「降り乗り続いて願います」 (気になる言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
「降り乗り、続いて願います」
 これは、駅のホームでよく聞くアナウンス。「乗り降り」でなく、「降り乗り」。
「それを言うんなら乗り降りでしょう。いくら降りる人が降りないと、乗る人が乗れないからったってえ・・・」
と、「降り乗り」という言葉の使い方はまちがいだろうと思っていたが、広辞苑を引くと、これが載っていた。

「おりのり(降り乗り・下り乗り)」
 (1)おりることとのること。のりおり。
 (2)かけあい。談判。

とある。これは、知らなかった。
言葉はいろいろな形で使われている。人間、何事に対しても謙虚にならなきゃいけませんね。

「いつもきれいにご利用いただき・・・」 (気になる言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
「いつもきれいにご利用いただきありがとうございます。駅長」

 駅のトイレで、この張り紙をよく見つける。
 これは駅員の人たちが本音を言っていない。いつも手洗いをきれいに使ってもらってありがたいと思っていないのに(思っている人がいるかもしれないが、現に汚いことが多い)、むしろきれいに使え、と怒りの言葉さえぶつけたい(のではないか)のに、このように言うのは、乗客に対する遠慮か。
 気持ちはわかるが、一つ間違えると卑屈である。

「手洗いは皆の使うところ。おたがいのために、また掃除する者のためにも、きれいに使っていただきたいと思います。時には、せっぱつまってやむなく汚すこともあるでしょう。それも仕方ありません。でもそんなときには、できるだけ自分の責任できれいにしましょう。 当駅清掃管理者」
と書いてはいかがでしょう。

武士の情け (好きな言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
 勝負に負けた者、弱みを持つ者に、たまたま自分が優位な立場にいるからといって、追い討ちをかけるような辛い仕打ちをしないこと。黙って見過ごすことも武士の情けの内。

 ましてや、自分の評価を高める目的をもって、尾羽打ち枯らしている者に鞭打つような言動、行動におよぶなどは論外である。(こういうヤツが、ままいるんだよな)
 人間誰しも何らかの弱みは持っているだろうし、いつ何時困窮、敗北、絶望の淵に沈むか知れないのだ。

絶品の味 (気になる言葉)

2006-03-06 | 言葉ウォッチング
 テレビの美味探訪番組などを見ていると、ナレーションなどでよくこの言葉を聞く。
 料理のおいしさを表す言葉はきわめてむずかしい。何を食べても「おいしーい」だけではつまらないし、どんな料理も「絶品の味」という紹介だけでは工夫がない。
 かといって、どんな名シェフ、名人板前の高級料理でも、テレビカメラを向けられながら瞬間的に気の利いた言葉で味を表現しなければばならないのも辛いことであろう。
 たとえ、おじや(雑炊)のおこげでも、一人沈黙して、あるいは親しい仲間とリラックスして味わうところにその本来の美味が感じられるのだ。

 先日、ある週刊誌の記事の見出しに「絶品の女優、高島礼子」というのを見つけた。
 記事は読んでないが、これも語彙不足の謗りを免れまい。記事を書いた人は味わってきたのだろうか。