平常心是道 びょうじょうしんこれどう
先月訪れた平林寺の受付でいただいた短冊に書いてあった言葉です。(写真)
短冊の裏にこんな解説がありました。
「南泉禅師(中国の名僧・748~834) の言葉。 平常心は一般に平穏な少しも外物に動じない落ちついた心のことと解釈されていますが、禅宗では日常ありのままの心、すなわち、惜しい・欲しい・憎い・かわいい等の煩悩そのままが平常心であり、それに徹して生活してゆくことが道であり、禅の真髄であると教えております。」
これは意外でした。
事にあたって動じない心、すなわち平常心 (「へいじょうしん」 とも読む) を養うために、禅宗では座禅などの厳しい修行を行なうのだろうとばかり思っていたのに、いとも簡単に 「煩悩そのままが平常心である」 と言い切るとは・・・。
やや拍子抜けがしましたが、この解説、一方でわたしにとってはとても得心がいくものです。
「ものに動じてもいいんだよ。 煩悩は誰にもあるものだ。 そんなことで自分を責めなくてもいい」
という、いわば慰めと励ましを逆に感ずるからです。
凡人・俗人の我田引水的解釈かもしれませんが・・・。