子供を誘拐されて殺された母親が、神に救いを求めようとしていったん救われたつもりになり犯人に会って「許し」を与えようとしたら、犯人の方が先に神にすがって許されましたとなどと言うもので、かえって憤懣の行き場がなくなってしまう。
一種の「神の沈黙」劇で、神父や信者にいとも穏やかに微笑をたたえて神の愛を説かれる腹立たしさ、そんなものが救いになるかという感じがよく出ている。
もっとも、もともと発展性がありえないモチーフで二時間半近いのは長すぎ。
韓国ではキリスト教徒は人口の約三割を占めるというが、ベルイマンやブレッソンやタルコフスキーなどに見られるキリスト教的な作家の突き詰めた表現と、韓国人の激しい気性とは相性がいいのか、不自然な感じがしない。日本のキリシタンものはどこか木に竹を接いだみたいになるのだが。
(☆☆☆★)