勝海舟や龍馬を世話した当時の商人・小曽根乾堂(けんどう)の子孫の小曽根邦二郎氏が証人として登場。
勝海舟が咸臨丸で出発した頃、勝の長崎の現地妻が妊娠五ヶ月で、勝の出立後生まれた娘が小曽根家に引き取られた、と語る。
妻のお龍が止まって月琴を弾いたとか、龍馬が他の侍と一緒にされないよう白袴をはいて闊歩していたとか。
海外渡航を勝手に企てて割腹した近藤長次郎の墓に刻まれた龍馬の文字を見せる。跳ねるような線が組み合わさった独特の字体です。
長崎の苦力街の三階建て木造の今にも崩れそうな建築の映像にかぶせて、上海生まれのチャイニーズに混じってかなり日本人がいたというインタビューが流れる。
長崎の史跡の保存が悪いのは、長崎の商人は旦那気質で番頭任せだったので開国とともに入ってきた旅の人(よそ者)に追いやられ、旅の人は保存には興味を持たなかったからだというのが邦二郎氏の分析。今ではどうなっているのか。あのボロい三階建てが残っているとは思えないが。
伊丹十三がタバコをすいながらインタビューする。今だと考えにくいですね。
12 勝海舟の長州談判
同志社大学に左翼のタテカンが出てます。
勝の大言壮語癖にツッコミが入る。
慶喜の命を受けてしぶしぶ長州征伐の尻拭いの調停を頼むにあたって自分の胆力で快刀乱麻を断つ如く解決したかのような老年(のメイクをしている)の勝の証言のあと、伊丹十三自身が若い勝をびしびし問い詰めるのが可笑しい。
勝が厳島神社に十両の金子をつけて奉納した刀というのを神社側に検証したら(検証役を勝に扮する山本學がやるのがまたおかしい)、賽銭箱の横に勝手に置いていっただけだ、と実物をみるとこれがチンケな刀なのです。
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