クレイジーファンの犯行というのは、今風なモチーフでもある。
ポー作品の朗読がふんだんに聴けるのは魅力。詩に限らず散文でもまことにリズムや響きがいい。
犯人の隠し方がうまい。「盗まれた手紙」のごとく見えていても見えない人間を設定していて、ナルホドと思わせる。
撮影がハンガリーで行われたというのがなんだかおかしい。ハンガリーというとトランシルヴァニア=ドラキュラの本場と思ってしまう。とはいえ、暗鬱な天候と風景はぴったり。
ポーと次第に信頼を深めていく警視を演じているがルーク・エヴァンズがいいマスク。
原題はThe Raven。もちろんポーの最も有名な詩「大鴉」のことで、ロジャー・コーマンが映画化したポーもの同原題映画の邦題は、「忍者と悪女」。史上に残る珍邦題です。
(☆☆☆★★)
ちなみに、「ロッキー」一作目の直後のシルベスター・スタローンがポーを主人公にして自分が演じる(!)映画のシナリオを用意していたというインタビュー(1977.3.3)がある。インタビュアーは現在監督の原田眞人(当時、真人)。
スタローン「人は彼をアル中の小男で神経症の持ち主だと信じ込んでいるけど、これはとんでもないことでね。彼の死後、彼の敵だった連中がデッチ上げたことなんだ。真実は、彼はすぐれたスポーツマンであり、レディース・マンとして魅力的な貴婦人方の関心を集め、ウィットに富み、しかも決闘をこよなく愛した『剣豪』でもあった。ぼくは、こういうポーの像をヘンリー・フィールディング書くところのトム・ジョーンズのような、華麗なる無頼漢としてとらえたい。お客は、アクション・アドベンチャーを楽しみながら、偉大なるポーの心境を学んでいけると思う」
実現はしなかったが、どんなものになったのだろう。
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推理作家ポー 最期の5日間 - goo 映画
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伊丹万作「戦争責任者の問題」引用続き「だまされたものが正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはいないのである」「私はさらに進んでだまされたということ自体がすでに一つの悪であることを主張したい」
だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねたるようになってしまった国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである
これって、昭和21年に発表された文章ですよ。いかに日本人が批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまってい続けているか。
石原慎太郎氏が自民党政権で環境庁長官だったとき。水俣病患者の直訴文に「IQの低い人が書いたような字だ」と言い放ち、患者さんの中に「偽患者もいる」と発言し、これを追及されて、胎児性水俣病の患者さんに土下座している写真。 pic.twitter.com/ul1hIIeb
【本棚登録】『100万人の映画教室〈下〉―私の愛する映画たち (SCREEN新書)』淀川 長治 booklog.jp/item/1/4764822…
手塚治虫はエッセイで父親がカラーのホームムービーで南京陥落の提灯行列を撮影しようとして暗くて失敗したと書いていた。 @imaloser15: 【終戦後の日本】 ① 昭和20年でなんとカラー映像!: youtu.be/TYI4E4EcbC8
三村明(「姿三四郎」の名撮影監督)がアメリカで仕事していたのを買われて米軍の要請で広島の原爆投下後の光景を撮ったとき、カラーフィルムを使えたといいます。カラーで撮った方が記録性が高いからだろう。
民主党がダメだから、やれ維新の会だ石原新党だというのを聞いていると、「だまされたといって平然としていられる人間なら、おそらく何度でもだまされるだろう」という伊丹万作の言葉を思わずにいられない。