生理的な生々しさ一本ではなく、相手も銃をもっているという意識が当然の前提になっているから、銃が見つからない限り(結局おもちゃのピストルもうやむやになってしまう)尋問ならぬムリな自白の強要のエスカレートにしかならない堂々巡りの没論理をくっきりと描けた。
ジョン・ボイエガの警備員が警官に混ざって一歩間違えたら暴徒の仲間とみなされるのではないかというヒリヒリするような恐怖感が貼りついている。
暴徒自体の存在も冒頭がはっきり描いているが、過剰な取り締まりがそのまま地続きで描かれ、構造として安直なカウンターに即結びつくのを端的に見せる。
秀作、には違いないが、そう言われて収まることを映画自体が拒否しているような映画。
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