その中で場面場面によって、たとえば大原櫻子のセリフに合わせて子供はひたすら石を投げ続けるだけでどこまで言っていることの意味をわかっているのか、何を感じているか、は観客の想像に任せるあたり、必要な表現は成立している。
大原がいかにも子供っぽい感じで本物の子供たちとのブリッジ役になっていて、もう一方で戸田恵梨香がしょっちゅう怒っているという図になる。
その戸田がラストでぐっと崩れるところでそれまでどれだけ気を張って闘っていたか一気にわかる。
疎開先の村人たちが明らかに女子供を見下している感じなのがかえって今につながっている。
子供などという役に立たないお荷物を背負い込みたくないという村人の意見に対して、田中直樹の男の先生が「畏れ多くも(と、ここで反射的に男全員の背が伸びる)天皇陛下の赤子(せきし)を立派な兵士に育て上げるのは国民全体の責務ではありませんか」といった巧妙な論理で切り抜けるのだが、これも実は不要か否かで国民を選別する発想には違いないわけで、これまた自然に今につながる。監督脚本(平松恵美子)が女性だからという視点はやはりあるだろう。
出演者の栄養が良すぎるのは、本当に栄養不良にしてしまったら撮影にならないという事情はあるにせよ気になる。そのうちデジタル技術で本当に栄養不良の顔になるよう加工するようになるのではないか。
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