prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」

2020年07月07日 | 映画
「若草物語」および「続・若草物語」の内容の映画化であるとともに、いかにして「若草物語」という小説=本が生まれるに至ったかのドラマでもある。

初めて原稿料を手にしたジョーが街かどを走る導入部から、四姉妹が揃っていた子供時代とばらばらになって暮らしている現在とが交錯させて、まだ現実の風にさらされず夢うつつでいられた時期と、さらされざるを得ない時期とを対立させながら見せていく。

それがさらにジョーが執筆する小説の内容にまで分離して、しかし純粋に創作意欲のまま発表できるわけではなく、出版社の編集長の要求に従ってヒロインを結婚させざるをえないのをジョーとベアのそれのイメージシーンに置き換える、その意に染まぬところは創作の場であっても経済が絡む以上(結婚は経済です、というセリフは最重要のひとつ)結婚同様現実原則も入ってくるのを示す。

それは映画という経済が特にシビアに問われる表現の場にある作者たちの実感でもあるだろう。

前回のウィノナ・ライダーがジョーを演じたギリアン・アームストロング監督(女性)版では、女性蔑視丸出しの発言をしているオヤジたちを前にむっとしたジョーを、ガブリエル・バーンのベアが思っていることを言ってごらん、というように後押しして、ジョーに意識の愚劣さを指摘されたオヤジたちがそんな風に反撃されるとは思ってもいなかったように茫然とするシーンが胸がすく感じだったが、フェミニズム寄りの解釈の映画化としても今回のはまた一歩踏み込んだ感。