透明人間そのものを描くのではなく、ストーカー的な透明人間につきまとわれて、周囲からはいもしない幻覚を見て錯乱して暴れているようにしか見えず、狂人扱いされるように追い込まれてていくヒロインの側から描くという切り口がコロンブスの卵的な新しさ。
昔の「ガス燈」みたいなニューロティックなサスペンスの再現みたいなのが面白く、異常な独占欲と支配欲の持ち主の男からどうヒロインが逃れるのかというドラマとしても見られる。
夫は自殺したというけれど、親族(つまりヒロイン)が確認しないのに死亡が認定されるものだろうか、とか、逃げる時に置き去りにせざるを得なかった飼い犬が世話する人間が屋敷にいなくなっても生き延びているのはなぜ、とか見ていて疑問に思うところがいくつも出てきて、後で一応つじつまは合うようだけれど、きちんと謎として売って後で説明するといった結構を成していないので、ちょっともやもやする。
透明人間といっても、カメラを一面にとりつけ撮影した映像を再現するシートを着ることで周囲に溶け込む究極のカメレオン状態なので、周囲から「見えない」invisibleが、透明ではない。
本当に人間が透明になったら目の部分も光が突き抜けてしまうから当人も何も見えなくなってしまうというパラドックスがあるわけだが、このカメレオンスーツではその心配はない。