prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「チア・アップ!」

2020年07月16日 | 映画
ダイアン・キートンを中心にして老女たちがチアリーディングをするという話。

話としてはいいのだけれど、正直、若者も出てくるし、若い子たちのチアも見られるので、画とするとその中で勝ち抜くとなると、ちとキツい。
二段三段のピラミッド状になるなど、ヒロインたちにはもちろん無理。

クライマックスでちゃんと演技するのはいいけれど、それ以上突き抜けるところがあまりなく、バトン演技を付け加えるだけだとちょっと物足りない。

基本通り作っているわけだが、それ以上でもそれ以下でもない。
病気や死の扱いが軽すぎる感じもする。

ダイアンが、だぼっとしたジーンズをはいて出てくるのは「アニー・ホール」の頃に普段着をマニッシュなファッションとして着こなしていた延長上だろうが、かなりもっさりした感じなのは狙いなのかどうか微妙。




7月15日のつぶやき

2020年07月15日 | 映画


「カセットテープ・ダイアリーズ」

2020年07月14日 | 映画
イギリスに住むパキスタン系の青年がアメリカのロックスター、ブルース・スプリングスティーンの歌に(それから歌詞に)雷に撃たれたような衝撃を受けてから物書きの世界に向かっていく。

スプリングスティーンの追っかけになるとか、ロッカー気取りになるとかでなく、自分の才能を生かす道を見つけ、親とも対立するが最終的に否定するのではなくいったん離れてから帰ってくる着地がさわやか。

主演の青年のビベイク・カルラ、頑固だけれど愛情深い父親役のクルビンダー・ギール、上級階級の出だけれどその欺瞞やレイシストに怒りを持つ恋人役のネル・ウィリアムズほか出演者がみな素晴らしい。

スプリングスティーンの一番有名なBorn In U.S.A.が会話のなかには出てきても歌そのものは出てこない。
「星条旗万歳の歌だろ」「バカ、ベトナム帰還兵の歌だ」というのは、あるある話。というか、自分も前はそう思っていた。

スプリングスティーンのライブのチケットを買っても、ライブ自体がドラマで機能することはない。
むしろ家族の問題に帰ってくることに結び付く。

あらかじめ書いた入賞した原稿を朗読していたのが、途中からその時の自分の主に父親、それから仲間に対する気持ちを率直に話すクライマックスがとてもいい。

スプリングスティーンというと、「ブラックレイン」のロケで大阪に来たマイケル・ダグラスが高倉健がおっちゃんたちに大人気なのを見て、ブルース・スプリングスティーンみたいなスターなんだなと思ったと語っていたけれど、そういうものかな、となんとなく納得した。
それにしても、これだけ大々的にスプリングスティーンの曲を使って、そのアイコンを生かした映画が成立するというだけでも驚く。




「ペイン・アンド・グローリー」

2020年07月13日 | 映画
アルモドヴァル版の「 8 1/2」みたいな一編。

作品を長らく作れなくなっていた映画監督(分身といっていいアントニオ・バンデラス、実に渋くいい味になった)が盟友だった俳優との再会や、母親との関係が交錯し、ラストで鮮やかにさまざまな要素がぴしっと一体化するのが、名匠の腕という感じ。

ドラッグを使用する描写がかなり堂々と出てくるのにちょっと驚いた。
半ばは合法ドラッグではあるのだが。




7月12日のつぶやき

2020年07月12日 | Weblog

「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」

2020年07月11日 | 映画
エル・ファニングの童顔で無邪気で身体はむちむちというルックスが、今のアレンの性的スキャンダルをどうしても連想させるのが困ったところ。
アレンがあれだけホームグラウンドにしていたニューヨークがどこかよそよそしい感じに写る。

ヴィットリオ・ストラーロのゴージャスな色調が現代が舞台なのにちょっと懐古的な味をつけた。

シャラメの生活環境の贅沢さとその象徴のような母親がどんでん返し式に逆転する鮮やかさ。

ティモシー・シャラメもジュード・ロウもリーブ・シュレイバーも全部ちょっとづつ]昔のアレン自身に見える。
もっともアレンが美男だったりセクシーだったりする俳優たちに託していい格好をしているのかというと、アレン自身さえない運動神経ゼロかというとまったく違うらしい。





「2重螺旋の恋人」

2020年07月10日 | 映画
フランソワ・オゾン監督が『17歳』のマリーヌ・ヴァクトと再び組んだコンビ作。

オープニングで長い髪をばっさり切ってまったく印象を変えるのが、前作からのイメージチェンジであると共に、もう一人の自分もいうモチーフにつながるのが見終えるとわかる。

すこぶるコケティッシュな美人ぶりは健在で、脱ぎっぷりもよく、言うとなんだけれど、どこぞの国みたいにCM出演をにらんで自粛しているようなセコさがないのがいい。

正直、モチーフは手塚治虫になじんている日本人にとってはお馴染みに近いので、なーんだという感じがなきにしもあらず。

美術館に行くシーンが頻出して、画面自体もモダンアートみたいなのも魅力。



7月8日のつぶやき

2020年07月09日 | Weblog

「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」

2020年07月08日 | 映画
物欲がないというのはわかりやすいけれど、デ・クーニングを撮るのに興味を特に示さないというのは、むしろ切り捨てること自体が欲望みたいになっている感すらある。

清貧の思想好き(それも一種の贅沢なのだが)の日本人に受けそう、というかもう受けてる。
雨粒が好きだというのが作品からもわかる。
今回、コロナで各種展覧会がストップしたのを受けて再度展覧会が開かれるとのこと。






「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」

2020年07月07日 | 映画
「若草物語」および「続・若草物語」の内容の映画化であるとともに、いかにして「若草物語」という小説=本が生まれるに至ったかのドラマでもある。

初めて原稿料を手にしたジョーが街かどを走る導入部から、四姉妹が揃っていた子供時代とばらばらになって暮らしている現在とが交錯させて、まだ現実の風にさらされず夢うつつでいられた時期と、さらされざるを得ない時期とを対立させながら見せていく。

それがさらにジョーが執筆する小説の内容にまで分離して、しかし純粋に創作意欲のまま発表できるわけではなく、出版社の編集長の要求に従ってヒロインを結婚させざるをえないのをジョーとベアのそれのイメージシーンに置き換える、その意に染まぬところは創作の場であっても経済が絡む以上(結婚は経済です、というセリフは最重要のひとつ)結婚同様現実原則も入ってくるのを示す。

それは映画という経済が特にシビアに問われる表現の場にある作者たちの実感でもあるだろう。

前回のウィノナ・ライダーがジョーを演じたギリアン・アームストロング監督(女性)版では、女性蔑視丸出しの発言をしているオヤジたちを前にむっとしたジョーを、ガブリエル・バーンのベアが思っていることを言ってごらん、というように後押しして、ジョーに意識の愚劣さを指摘されたオヤジたちがそんな風に反撃されるとは思ってもいなかったように茫然とするシーンが胸がすく感じだったが、フェミニズム寄りの解釈の映画化としても今回のはまた一歩踏み込んだ感。




「CLIMAX クライマックス」

2020年07月06日 | 映画
タイトルの出方が大胆というか、めちゃくちゃ。
いきなりエンドタイトル風のローリングタイトルが出て、真ん中あたりで使用曲タイトルがバカに大きな字で出て、ラストに題名が出る。
いつもながらのギャスパー・ノエで、作り方自体のケレンで見せるみたいなところあり。

出演者のダンサーたちのインタビューの異様に単調な積み重ねに、うって変わって個々の目覚ましく個性的で即興的なダンスがえんえんと続く。
それからLSDを飲まされたダンサーたちが狂乱する様がこれまたえんえんと積み重ねられる。

やたらしつこい繰り返しと、唐突な転調。
ダンスの迫力はあるけれど、わざと生理的にしんどくしているのを、斬新な表現と勘違いさせるように仕立てているのではないかという疑問は湧く。






7月5日のつぶやき

2020年07月05日 | 映画

「エジソンズ・ゲーム」

2020年07月04日 | 映画
いったん完成してから製作者ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ・パワハラ(というか、完全に暴行脅迫)が明るみに出て名前を外して再編集しディレクターズ・カットができたのが2017年、日本ではさらにコロナ禍で公開が遅れやっと公開にこぎつけられたいわくつきの映画。
製作にマーティン・スコセッシが名を連ね、スコセッシ作品の編集者セルマ・スクーンメーカーの名前もエンドタイトルの謝辞の相手として認められる。

とはいえ全米に電力網を敷くのに直流電流派のエジソンと交流電流派のウェスティングハウスとのいわゆる電流戦争というモチーフをよく取り上げたと思う。

エジソンの天才は誰もが知るところだが、直流にこだわり交流を否定する偏りや歪みが強調されていて、一方で実業家ウェスティングハウスの途中までのフェアな態度と対照的。

しかしウェスティングハウス側もビジネス戦争状態になってくるとそうも言っていられず手を汚すことになるが、描写自体が戦争モードに振り切っていない割に人命尊重の理念も入っているのが煮え切らない感じを残す。
初めエジソンの研究所にいた二コラ・テスラが結局ウェティングハウス側についたり、投資家J・P・モルガンも同様の動きを見せるあたりも同様。

カンバーバッチは偏った天才ぶりはお手の物なのと、いかつく怖い役をやっていることが多いマイケル・シャノンをむしろ逆の役に振った工夫。

エジソンの発明には映画もあるわけだが、ただどちらかというと一人づつ個別に覗くキネトスコープを構想していたので、がらも大映写を大勢で見る形式はむしろリュミエールにお株を奪われた感だったので、つまりビジネス化には電流戦争同様に失敗しているわけでラストのまとめ方は若干強引。

交流電流の危険性を証明するのに動物で実験するというのはエグい(例のこの映画では動物は傷つけられていませんという定番のタイトルがラストに出る)が、その対象になった数々の動物をフィルム状のコマ割で見せのそのあげくに電気椅子で人間の死刑が実施されるのは、電流と映像が共に二十世紀を(必ずしもいい方にではなく)変えたという意味を重ねているのだろう。

音楽が電子音楽ががんがん入ってきて、画作りもデザイン自体は19世紀末のクラシックムードをデジタル技術で思い切りスケールアップしているのは古い革袋に新しい酒を入れたというところ。

シカゴ万博の光の洪水は映画「私の二十世紀」のようでもあるし、またこういう万博が人類と科学の進歩を無邪気に称揚する場でありえたのは二十世紀までのことだとも改めて思った。




「ランボー ラスト・ブラッド」

2020年07月03日 | 映画
一作目を除いて全部外国で大暴れしていたランボーだが、今回は故郷を地獄に変えて敵を誘き寄せて戦う。
どうやって敵を誘き寄せたのかはっきりしないが、ランボーがはっきり名乗りをあげて誘うところを見せて欲しかった。

故郷のはずの牧場をベトナムでゲリラがトンネルを掘りブービートラップを仕掛けるあたり、ベトナムと「古き良き」アメリカのどっちがランボーの故郷になったのかわからない。

撮影がブルガリアやスペインでも行われたのはエンドタイトルでわかるし、何とかロフ、何とかコバといった東欧系の人名がずらりと並ぶ。

政治的要素を抑えぎみにして、アメリカを代表して戦うといった趣の二~四作目より個人的な事情に納めた感。
使う武器もやたらと強力なものではなく、代わりに手作り感を強調している。




2020年6月に読んだ本

2020年07月02日 | Weblog
読んだ本の数:22
読んだページ数:4957
ナイス数:0

読了日:06月01日 著者:ヒロ・マスダ



読了日:06月02日 著者:大野裕之 著




読了日:06月11日 著者:かわぐち かいじ




読了日:06月11日 著者:かわぐち かいじ




読了日:06月11日 著者:かわぐち かいじ




読了日:06月11日 著者:かわぐち かいじ




読了日:06月11日 著者:かわぐち かいじ




読了日:06月11日 著者:中村光




読了日:06月12日 著者:山本 芳久




読了日:06月12日 著者:



 
読了日:06月12日 著者:村上もとか,かわのいちろう




読了日:06月14日 著者:亜樹直,オキモト・シュウ




読了日:06月14日 著者:亜樹直,オキモト・シュウ




読了日:06月14日 著者:尾瀬あきら




読了日:06月14日 著者:尾瀬 あきら




読了日:06月14日 著者:尾瀬あきら




読了日:06月14日 著者:恵本裕子




読了日:06月14日 著者:恵本裕子




読了日:06月16日 著者:西岡 善信




読了日:06月23日 著者:細野晴臣








読了日:06月26日 著者:内田 樹,観世 清和