マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

天王寺かぶらは野沢菜の親

2006年12月02日 | あべの&天王寺
Ringo0612021

始まりは友人からの一通のメールです。
「今朝の毎日新聞に私が載っています。
 26ページです。
 コンビニへ行かれたら見てくださいね」

今日は母のところへ行ったので
駅のキオスクで毎日新聞を買い電車に乗りました。
電車の中で26ページを開くと友人のことが大きく掲載されていました。

11月9日のブログに「りんごちゃんという女性」という題名で
「教育大阪 Vivo la Vita」という月刊誌に
友人のりんごちゃんのことが載ったと書きました。
今日もそのりんごちゃんが毎日新聞に載っているのです。

PTA活動、地域活動、タウン誌の編集長とたくさんのことをしてきた
彼女の今の肩書きは「天王寺かぶらの会 事務局長」です。

実は私たちの地域の「天王寺かぶら」は、長野県の野沢菜の親なのです。
江戸時代(1756年)に野沢温泉村の健命寺の和尚さんが
京都に行った帰り、おみやげに天王寺かぶらの種を持ち帰りました。
それを信州の地にまいたところ、葉や茎が大きく成長したそうで
それが今の「野沢菜」なのです。

今年はその持ち帰った時から250年にあたり
彼女は11月初めに長野県野沢温泉村で開かれた
「野沢菜250年法要」に参加してきたとあります。

話は11年前にさかのぼります。
彼女は私たちの住んでいる地域の特産物は何かと調べていたら
天王寺かぶらのことが大正時代の天王寺村誌に出ていたそうです。

Ringo0612022

その種を天王寺の種苗店で見つけ
地域の小学校で栽培してもらったりしているうちに
この活動が一気に注目を浴び「復活会」から
「天王寺かぶらの会」へと発展して
彼女が事務局長を務めることになりました。

さらに毛馬きゅうりや田辺大根や勝間なんきんなど
大阪の伝統野菜の復活へと繋がりました。
当時は天王寺かぶらのことをテレビ局が取材に来て
夕方のテレビニュースやドキュメントなどで放送されました。

あれから11年。
彼女は今でも地道に活動を続け
先の「教育大阪 Vivo la Vita 10月号」の掲載と共に
今日、また毎日新聞へ掲載されたようです。

毎日新聞26面は「おおさか」の地方版です。
それの「やっぱり けったいでんな」という欄です。
毎日新聞社の記者、松井宏員氏が彼女の話を聞き記事にしたものです。
この欄は1998年11月にスタートして、今日で終了となりました。
彼女に「トリ」の記事を書かせてほしいと依頼があったそうです。

Ringo0612023

彼女は息子の友人のお母さまで
もう知り合って23年になる。
いつも楽しいことを共有しながら
私もりんごちゃんと一緒にたくさんの活動をして来ました。
最も輝いていたあの時代を思い出すと懐かしさがこみ上げてくる。

新聞の掲載はとても嬉しく、今夜は家族で喜びました。
いつも輝いている友人がいるから、私も輝いて生きられる。

私にとっての友人は宝石よりも輝いて、金貨や銀貨より重い。
人生で素晴らしい友人にめぐり合えることは、富を築くより幸せ。
青臭いい方だけれど、マジでそう思っています。

なおこのエントリや写真は本人から許可を頂いて書いたものです。



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