先般帰省した折、散歩がてら、「秋芳洞」の方まで歩いてきた。この「秋芳洞」は、現在では「あきよしどう」が正しいとされているが、昔は「しゅうほうどう」と言うことの方が多かった。今は美祢市と合併してしまったが、秋芳洞のあった自治体は「秋芳町(しゅうほうちょう)」だったので、こちらの方が自然な感じがする。
なお、このあたりの地区名は「秋吉(あきよし)」と言い、秋芳洞の上の山の部分は「秋吉台(あきよしだい)」であるからややこしい。同じ場所の上と下で「秋吉」、「秋芳」と書いてどちらも「あきよし」と読ませるのだから。もっとも、「秋芳」を「あきよし」と読ませるのは、そうおかしなことでもないようで、苗字に「秋芳」と書いて「あきよし」という人もいた記憶がある。
ここを「あきよしどう」と名付けられたのは、まだ皇太子だった昭和天皇である。だから、「あきよしどう」、「しゅうほうどう」のどちらが正しいのか、当事の町の関係者が、わざわざ宮内庁まで聞きにいったらしいから、ご苦労なことだ。
そして、ここが秋芳洞のバスセンター。ここに来るのも久しぶりだ。
この写真は、秋芳洞の入り口に続く、土産物屋が並ぶ通りだ。この写真では、人が少ないようだが、これはなるべく人がいない時を狙って撮ったため。実際には、かなりの人出だった。まだまだ、秋芳洞も捨てたものではない。しかし、この辺りは、宿泊するところが少ないので、観光客は通り過ぎていくだけ。これが、ここの一番大きな課題だろう。