文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

評伝 小室直樹(上)

2021-02-12 09:11:41 | 書評:小説(その他)

 

 小室直樹さんといえば、もう亡くなられて10年になるが、「変なおじさん」と記憶している人も多いものと思う。

 確かに、「変なおじさん」なのだが、私は小室さんを評価している。「変人」だけど「天才」だと思う。それは、別に彼の政治思想に共鳴しているからではない。小室さんの「論理の方法」(東洋経済新報社)を読んでからで、小室さんは、論理を使いこなすためには、まずモデルを作ることの大切さを喝破しているからだ。モデルによって分析を行うことは理系の人たち(少なくともあるレベル以上の人たち)には常識的なことなのだが、小室さんは社会科学においてもモデルの重要さを説いている。これは目から鱗が落ちるようなことだ。本書は、その小室さんに関する評伝である。

 彼は、東京で、母チヨの姓を持つ爲田直樹として生まれた。その後父である小室隆吉が認知し、更には、父と母が結婚したため小室直樹となった。しかし、比較的裕福だった小室家も父が亡くなり、生活が厳しくなる。そのため小室さんは母の生まれ育った会津の地で叔母に育てられた。彼は、極貧の暮らしながら、旧制会津中学から新制会津高校に進み、そして、学部は京大理学部数学科を出て、修士は大阪大学経済学研究科、博士は東大法学政治学研究科で取っている。この間色々あったようだが、彼の進む道の変遷はなかなか興味深い。

 西の天才が南方熊楠なら、小室さんは東の天才と言えるだろう。その過激な物言いに、反発も多かったが、彼の弟子と言われる人も多い。彼は酒と猫を愛したが、暮しぶりは清貧そのもの。晩年、著書がベストセラーになったりしたので、少し裕福になったが、それでも派手な暮らしとは縁がなかった。

 小室さんは多くの著書を書いているが、時代の流れとともに多くが忘れ去られていっているように思う。このような中でこういう人がいたという評伝を著すことは大切なことだろう。本書は分厚く、上下巻に分かれており、それぞれ700ページ弱あるが、内容がなかなか興味深く、直ぐ読み終えてしまった。

☆☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大人も知らない夢の見つけ方 女子高生と魔法のノート

2021-01-29 10:20:14 | 書評:小説(その他)

 

 このタイトルを見て、最初はノートをいかに効果的につかうかについてのノウハウが綴られているものかと思ったが、どうも主人公が自分のやりたいことを見つけるというストーリーの方が中心のようだ。

 主人公は、紫藤結月というダンスに夢中な星桜高校の2年生。彼女はダンス部に所属しているが、その部は実力主義でダンスの上手い人が学年に関係なく、センターで踊れる。ところがある時、次の大会は3年生がセンターで踊るので、1,2年生はバックやサポートを宜しくと言われた。どうもセンターで目立つと大学の推薦や奨学金などで有利になるらしい。対立する3年生と1,2年生。

 それを解決するのが、振り付けを任された結月というわけだ。ストーリーは結月がフィンランドからやってきたというブルーベリーの妖精・ブルブル君に教えを受けるという形で進んでいく。果たして結月は3年生も1,2年生も満足できるような解決策を見つけることができるのか?

 しかし、学力でなくダンスで入学できる大学って本当に大学と言う名に値するのだろうか? 就職にしても体育会系が有利だという事も聞く。私などは、それが大学本来のあり方を歪めているのではないかと思う。素朴な疑問がある。どうして女子(全部とは言わないが)はダンス系が好きな子が多いんだろう。

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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思い出のスケッチブック

2021-01-27 08:58:45 | 書評:小説(その他)

 

 本書は、「くまのプーさん」の挿絵画家として知られる著者が、78歳のときに発表した自伝エッセイ集である。描かれるのは、彼が7歳~8歳までの思い出。著者の何気ない日常風景を通じて描かれる、ビクトリア朝後期のロンドンの様子だ。

 しかし、著者の記憶力には驚く。振り返って自分のことを考えると、7歳や8歳のころの記憶は殆ど残っていない。それを自分よりはるか歳をとってから、子供のころの思い出を書いているのだ。それも一冊の本にできるほど。面白かったのは5月1日に行われる「緑のジャック」のエピソード。仮装した一行の中に、女装した男がまじっており、それがよほど怖かったらしく、著者のトラウマになったようだ。(pp60-61)

 ただ心理学の教えるところによると、記憶というものは、そのまま頭の中に残っている訳ではない。色々な情報から脳が再構成するものだ。だから本当は違うということがあるかもしれない。皆さんはないだろうか。例えば同じ出来事でも自分の覚えていることと人が覚えていることが違う。懐かしい場所に行ってみると、自分の記憶にあるものと違っていたということが。

 だから書かれていることが必ずしも正確だとは思わないが、それでも、本文を線画で描かれた挿絵と一緒に読むと、ヴィクトリア朝後期の風俗がどのようなものか伺え、なかなか興味深い。挿絵もレトロな感じでなかなかいいので、これらの挿絵だけでも本書を出す意味が合ったと思う。 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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観念結晶大系

2021-01-15 10:11:28 | 書評:小説(その他)

 

 本書は、添付の帯によれば「思弁小説」に分類されるらしい。この「思弁小説」というのがよく分からなかったので調べてみた。どうも「Speculative fiction」の訳で、SFに哲学的な要素を入れたものらしい。

 「哲学」と聞いた時点で、私の読書欲は大分低下したのだが、一応文字が書いてあれば何でも読む私。試して見なくては本当のところは分からない。しかし、正直本書を読み進むのに苦痛さえ感じた。タイトルに「観念」とあるように、本書はあまりにも観念的なのだ。

 普通はプロローグで読者の興味を引くのものなのだが、私にはそういうことは全くと言っていいほどなかった。

 恐らく本書の評価は両極端に分かれるものと思う。私などは根が理系人なのでそれほど高い評価はつけないし、読んでいて何回放り投げようと思ったか分からない。何が言いたいのかよく分からないからだ。しかし、文系文化人は、そこが良いと、本書を高く評価するかもしれないと思う。

 私の場合は、本書を読んでまず思ったのは、もう二度と「思弁小説」なるものに手を出さないぞということ。


 それにしても、この本を読んでいると理工関係の専門書を読みたくなるのはどういう訳だろう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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紙屋ふじさき記念館 物語ペーパー

2020-11-14 09:01:23 | 書評:小説(その他)

 

 10年以上前に亡くなった小説家を父に持つ吉野百花と紙会社藤咲産業の記念館館長藤崎一成の繰り広げる、紙をめぐる以下の3つの物語。なおここで言う紙とは和紙のことである。

〇第一話 本美濃紙
 百花は友人の荒船莉子と一緒に美濃紙の一日紙漉き体験に参加する。

〇第二話 garden diary
 百花は、shizukuというアクセサリーブランドを展開している渕山雫の新シリーズgarden diaryのパッケージを考えることになった。この話では、面倒臭いキャラが登場する。一成の従兄で社長の息子。本社営業課長の浩介だ。彼は一成とソリが合わず、記念館不要論を唱えていた。

〇第三話 物語ペーパー
 日本橋で「文字箱」という本の店をやるという一成の先輩・綿貫のために、百花は和紙を使った新しい商品を考える。

 特に大きな事件が起きる訳ではないが、和紙の可能性を切り開く百花を応援したくなってくる。また、和紙に関する様々な知識も得ることができ、この方面に興味がある人にはおススメ。

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

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桜の森の満開の下

2020-10-24 08:28:23 | 書評:小説(その他)

 

 桜には二面性がある。「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃」と呼んだのは西行法師だが、桜が満開の時は本当に美しい。しかしあっという間に散ってしまう、その潔さが日本人の心に響いたのだろう。桜は日本人の最も愛する花だと思う。

 一方満開の桜は、人々の心に不安を掻き立てるものでもある。梶井基次郎は、「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる」と言った。これはそんな二面性に満ちた物語だ。

 昔、鈴鹿峠のある山に一人の山賊が済み始めた。その山賊がある日一人の女を8人目の女房にするためにさらってきた。ところがその女はかなりアブナイ奴で、山賊の女房たちを、女中として使う一人を除いて山賊に殺させる。

 都に住むようになった山賊たちだが、女は人の首を欲しがった。首で遊ぶためだ。山賊は女のために沢山の首を狩ってきた。しかし彼はそんな生活がいやになり、山に帰ろうと思う。女も山賊についていくという。ところが、桜の森で満開の桜の下に来た時、事件が起きる。

 この作品は、以前紹介した「夜長姫と耳男」にも負けない驚くようなグロさなのだが、不思議な耽美に溢れている。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

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忘却についての一般論

2020-10-16 08:21:31 | 書評:小説(その他)

 

 アンゴラは元ポルトガルの植民地で、独立したのは、1975年のことだからまだ独立して半世紀も経っていない。 首都はルアンダ。しかし独立後も順調とはいかず、内戦状態が2002年まで続いた。米ソがそれぞれ別の組織を支援した、代理戦争でもある。本書は、この内戦時代のアンゴラを舞台にした物語である。

 この物語は、アンゴラ内戦に関するノンフィクションかと思ったのだが、

これからお読みいただく物語はフィクションである。(p7)

と明記されている。

 主人公は、ルドヴィカ・フェルナンデス・マノ(ルド)というポルトガル生まれの女性。両親は亡くなり、唯一の肉親である姉の結婚に伴い、アンゴラの首都ルアンダの高級マンションの最上階に移り済んだという設定だ。しかし独立後の内戦が勃発し、姉夫婦が行方不明になる。ルドは、部屋の入口にセメントで壁を作り、犬のファンタズマと一緒にマンションに閉じこもって過ごす。しかし、この作品は、ルドのことだけが書かれているわけではない。書かれているのは、混乱したアンゴラの様子。

 本作品を読んで感じたのは、西洋植民地主義とマルクス主義のひどさ。どちらも世界に混乱をもたらしただけだ。

 ところで、この作品にはあまりヤマのようなものが感じられない。ただ黙々と書かれているという感じだった。まあ私の読んだアンゴラ文学第1号としては記念すべき作品だろう。

☆☆☆

 

 

 

 

 

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名人伝

2020-10-14 08:33:47 | 書評:小説(その他)

 

 この物語の主役は、趙の邯鄲の都に住む紀昌という男。天下第一の弓の名人になろうとしていた。紀昌は、まず世間で弓の名手と言われている飛衛に弟子入りする。この飛衛の教えを端的に言えば、「瞬きをするな、ものを良く視ろ」ということ。このために紀昌が行ったことが笑えるのだが、この修行の成果として、錐で瞼を突かれても瞬きをせず、ものがものすごく大きく見えるようになった。何しろ虱が馬のように見えるのである。これは、オンーオフが可能なのだろうか? 作品を読む限り、常にオン状態のような気がする。それだと却って不便だろうと思うのだが、

 そしてここからが紀昌の紀昌たるところ。飛衛が生きていると自分が一番になれないということで、師を亡き者にしようとする。幸いにも二人の闘いは引き分けに終わったが、そのとき飛衛が言ったのは、

<なんじ(原文は人偏に爾)がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大行の嶮に攀じ、霍山かくざんの頂を極めよ。そこには甘蠅老師とて古今を曠する斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯に類する。>



 要するに、飛衛はこのアブナイ弟子を甘蠅老師に押し付けたのである。甘蠅老師の不射之射を見た紀昌は、この老師の元で9年間修行をすることになる。どんな修行をしたのかはこの作品に分からないと書かれているが、紀昌は別人のようになって帰ってきた。

<以前の負けず嫌ぎらいな精悍な面魂はどこかに影かげをひそめ、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変っている。>



 これを見て以前の師匠の飛衛は紀昌のことを天下一の名人だと絶賛する。紀昌は、以前のようにアブナイやつではなくなったのだが、飛衛の絶賛具合にも何か意図があると勘繰るのは私だけであろうか。しかし紀昌は二度と弓をとることはなく、死ぬ1,2年前には、とうとう弓と言う名前も、その使い方も忘れてしまっていたのである。なんか今だったら何かの病名が付きそうな話であるが、もちろん、この作品ではいい話として纏めている。どこか私のツッコミ魂が出てきそうな話だった。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

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魔宴

2020-10-06 09:42:25 | 書評:小説(その他)

 

 

 本作は、著者の回想録、つまりは私小説だ。著者のモーリス・サックスは、奥付の著者紹介によれば、ユダヤ系でパリ生まれ。少年時代から作家を志し、ジャン・コクトーやココ・シャネルなどの庇護をうけ、最後は第二次大戦末期にドイツ軍に銃殺されたという。

 著者は自分が女だという気持ちがあるようだ。

<私は女の子になりたいと心底願っていたので(中略)これは私が四歳の頃の話であるから、すでに同性愛の兆候は明らかであったと言わざるを得ないだろう>(pp17-18)



 今なら「性同一性障害」などの診断が下されるのだろうが、当時は残念ながらそのような概念はなかった。そしてキリスト教的な価値観に照らせばは(彼は、1925年にキリスト教(カトリック)に改宗している)、同性愛は忌み嫌われるもの。昔は、死刑が当然だった。かっての日本のように衆道という文化はなかったのだ。ただ、こういう記述もあるので、女性が絶対だめだという訳ではなかったようだ。

<その豊かな生活を邪魔したのがリズベットだった。彼女は私に性体験を与えた最初の女性である。>(p170)



<男になってから、私は女性の愛人を四人しか持たなかった。男たちとは数えきれないほど愛し合ったから、それに比べればあまりに少数だし・・・>(p175)



 四人もいれば十分だと思うが、その後の記述から薔薇寄りの今でいえばバイセクシャルだったのだろう。

 このような記述もある。

<私の場合、盗みは思春期以前に始まっていた。>(p23)



これも今なら、クレプトマニア(窃盗症)と診断されるのだろう。

 これも特筆すべきだろう。

<過去にも私を苦しめた、生まれつきの虚言癖が再び鎌首をもたげてきた。>(p98)



これもパーソナリティ障害のようだ。書いてあることをそのまま信じれば作者は、色々な問題を抱えていたようである。

 本書を読んでいても、私には、そう面白いとは感じられなかった。シニカルな語り口は私の好みなのだが、もってまわったような言い回しも多く、早熟の子供が、知っていることを精一杯散りばめて、一丁前のことを言っているだけとしか思えないのだ。一生懸命偽悪ぶって、自分の性癖をこれでもかというくらいカミングアウトしているように感じる。この辺りは、私が基本的に理系の人間で、文学読みではないというだけのことかもしれないのだが。

☆☆

 

 

 

 

 

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外科室

2020-10-05 15:08:50 | 書評:小説(その他)

 

 

 泉鏡花の外科室。医学士・高峰と貴船伯爵夫人の秘めたる恋を描いたものだ。しかし、不倫を描いた作品という訳ではない。二人は、9年前、まだ高峰が医学生だったころ、小石川植物園でほんの一度きりすれ違っただけなのである。しかし、2人はこの一度きりの出会いで恋に落ちた。そして、その秘めた恋を大事に守ってきたのだ。

高峰はかの婦人のことにつきて、予にすら一言をも語らざりしかど、年齢においても、地位においても、高峰は室あらざるべからざる身なるにもかかわらず、家を納むる夫人なく、しかも渠は学生たりし時代より品行いっそう謹厳にてありしなり。予は多くを謂わざるべし。



 そして時代は巡り、伯爵夫人は、業病に侵され手術することになる。その手術をするのが高峰医師というわけだ。しかし、伯爵夫人は、手術に麻酔をかけることを拒否する。麻酔をかけられると、夢うつつのうちで、秘めたる思いを暴露してしまうかもしれないと思ってだ。

「そんなに強しいるなら仕方がない。私はね、心に一つ秘密がある。痲酔剤は譫言を謂いうと申すから、それがこわくってなりません。どうぞもう、眠らずにお療治ができないようなら、もうもう快らんでもいい、よしてください」



 そして、とうとう麻酔なしの手術となる。しかし、伯爵夫人は無茶苦茶な行動をする。

「痛みますか」
「いいえ、あなただから、あなただから」
 かく言い懸かけて伯爵夫人は、がっくりと仰向つつ、凄冷極まりなき最後の眼に、国手をじっと瞻りて、
「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」
 謂うとき晩し、高峰が手にせるメスに片手を添えて、乳の下深く掻き切りぬ。医学士は真蒼になりて戦きつつ、
「忘れません」
 その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿。伯爵夫人はうれしげに、いとあどけなき微笑を含みて高峰の手より手をはなし、ばったり、枕に伏すとぞ見えし、脣の色変わりたり。

 

青山の墓地と、谷中の墓地と所こそは変わりたれ、同一日に前後して相逝けり。



 文語体なので読みにくいが、昔はこんな恋もあった。直ぐエッチなことをしたがる今の恋人たちには、爪の垢でも煎じて飲ませたいと思う。ところで、麻酔なしで骨を削るような手術は、気絶でもしない限り、絶対と言ってもいいほど不可能だと思うのだが。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

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