私は生涯学習と言うことに力を入れている。専門は電気工学だが、文系一般にわたっても学ぶのは好きだ。書評も生涯学習の一環として書いている。教えるのも割と好きで、電気技術者を目指す人向けに記事を書いたりしている。そんな私の取り組みのヒントになるかもと思い、本書を読んでみた。
本書は、著者の分身と思われる「先生」が中学生の「サチ子」と小学生の「ショウ」の二人に勉強の面白さを教えていくという形で展開していく。対象となるのは、「国語」、「英語」、「算数・数学」、「理科」、「社会」の主要5科目。そして「探求」。
本書に述べられていることで、次のようなことには賛成である。すべてのことには理由があり、理科はそれを調べる学問であるということ。しかしまだ理由の分かっていないものも多いので、それを解明出来たらノーベル賞が貰えるかも。また、社会は決して単なる暗記課目ではなく、他の出来事の間に関連性があるという見方で学んでいけば、楽しく学ぶことができるということ。
ただ「なんがい」と聞いただけで「3階」の事だと分かるというのは言い過ぎだと思う。「かい」ではなく「がい」というのは3階だけだというのがその理由だ。いろいろ調べると「何階」を「なんがい」と読む人はけっこういるようだ。だから「なんがい」と聞いただけでそこが3階だと判断することはいささか早計ではないだろうか。また私自身は「3階」を「さんがい」とは言わず「さんかい」という。ついでに言うと「4階」を「よんがい」と言われてもそう違和感はない(自分では使わないが)。本書には「あ行+ん+あ行」の言葉の場合、後ろのあ行の言葉には濁点がつくことが多いと言っている。それでは「反対」はどうなのか。「はんたい」とは言っても「はんだい」とは言わない。「多い」と言っているので、例外があってもいいのだが、このような例外を探してみるのも良い勉強になるのではないだろうか。(pp19-20) つまり、書かれていることを鵜呑みにせず反例になりそうなものを探してみるのも大切だろう。
「算数・数学」の章では偏差値の事に触れていないのはどうしてだろう。今や数字だけが独り歩きしている観もある偏差値だが、あれは母集団が同じでないと比べられない。例えば偏差値が70といっても、平均値が20点の母集団の中で比べるのと平均値が80点の母集団の中で比べるのは全く違うと言うのは言うまでもないだろう。
また、「探求」の章では大学では、答えのない問を考え続けることが求められる。ただ教授の話を聞いたり、先行研究とか論文を読んで勉強したりするだけでは、卒業すらできない(pp170-171)と言っている。本来はそうなのだが、残念ながら、世の中にはそれで卒業できる大学がほとんどだろう。おまけに先行研究とか論文を読んで勉強したりするのは少数派で、家では殆ど勉強せず講義にさえ出席していれば、自分は勉強していると勘違いする。これはアニメなどの影響もあるだろうと思う。
ただ生徒が小中学生ということもあり、さすがに大人の学びのヒントとなりそうなものはあまり見当たらなかった。
☆☆☆