文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

夜長姫と耳男

2020-09-22 14:53:18 | 書評:小説(その他)

 

 耳男はヒダの職人。耳が兎のように長く大きい。顔相は馬そっくり。親方はヒダ随一の名人だと言われた。その親方が夜長の長者に招かれたが、死期が近かったため、代わりに行くことになった。長者の娘である夜長姫のために仏像を作れという依頼だ。呼ばれたのは耳男の他に青ガサとフル釜(実際に来たのは息子の小釜)。姫の気に入った仏像を作った者には、遠い国から連れてきた美しい機織り女のエナコ(江奈古)を褒美に与えるという。

 しかし耳男には、姫が気に入るような仏像をつくる気はなかった。恐ろしい馬の顔の化け物をつくる決心をしていたのだ。嘲りの視線でエナコを視たが、事件が起きる。少々の舌戦の後、エナコが馬男の片耳を持っていた懐剣でそぎ落としたのだ。

 何日かの後、耳男は長者に呼び出される。ヒダからよんだ職人の片耳をそぎ落としたことはヒダのタクミ一同やヒダの国人に申し訳が立たないと、耳男の斧でエナコの首を打てと言うのだ。しかし耳男はエナコに耳を切り落とされたことが虫ケラにかまれたようだといって、エナコを殺さなかった。しかしエナコは、姫に与えられた懐剣で耳男のもう一つの耳もそぎ落としてしまう。もうむちゃくくちゃだ。エナコはサイコな人間だったのだろうか。

 しかし一番サイコなのは夜長姫だ。なにしろ、疫病で人々が死ぬのを喜々として見ていたのだから。

 耳男は、化け物の像をつくるために蛇を捕まえ、生き血を飲んだり、像にぶちまけたり、蛇を天井から吊るしたりしていたのだ。耳男の小屋は、無数の蛇の骨がぶら下がっていたのだが、それを見ても喜ぶ始末。

 耽美なテイストの作品だが、読む人によっては苦手かもしれない。その意味で読み手を選ぶ作品だろう。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

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じごくゆきっ

2020-08-22 09:22:11 | 書評:小説(その他)

 

 

 本書は、桜庭一樹さんの短編7編を収めた短編集である。収められているのは、「暴君」、「ビザール」、「A]、「ロボトミー」、「じごくゆきっ」「ゴッドレス」、「脂肪遊戯」の七つ。簡単にそれぞれを紹介してみよう。

〇暴君
 主人公の金堂翡翠は、益田市から松江市にあるミッション系の女子中学校に通っている中学一年生。ある日、帰る途中で小学校の時同級だった三雲陸のお腹に出刃包丁が突き刺さっており、彼の妹や弟が殺されていた。

〇ビザール
 主人公の近田カノは25歳のOL。転職先の隣の課のおじさん更田と恋仲になる。二人は、7年前土砂崩れで壊滅した同じ町の出身だった。このままうまくいくと思われた二人だが事件が起こる。

〇A
 Aは50年前のアイドル。彼女は、事故で目覚めることのない15歳の少女と接続することにより、再びセンセーションを巻き起こす。

〇ロボトミー
この話は、僕(鷹野)と優埜(ユーノ)の結婚式の場面から始まる。ユーノの母親はとんでもない毒親で、まったく娘離れしていない。僕たちは半年で離婚になる。その後再開したユーノは病に侵されていた。

〇じごくゆきっ
 主人公の女子高生金城は、副担任の中村由美子先生と2人で、なぜか鳥取砂丘へ行くことになってしまう。

〇ゴッドレス
 主人公のニノは父の香(かおる)から呼び出される。香は同性愛者で、彼の女友達が体外受精でニノをつくった。香はニノに勉という男と結婚しろという。勉は香の恋人で、ニノと結婚すれば家族になれるというのだ。ニノは香からDVを受けて、支配されていた。

〇脂肪遊戯
 第1話の「暴君」と続く話で、そちらにも出てくる田中紗沙羅の物語。彼女は小学校では美少女だったが、思春期を迎えると美少女のままぶくぶくと太りだした。その理由が明らかになる。

 桜庭さんの作品は好きなのだが、ツッコミどころも多い。名前や設定が変なのが多いのである。もうひとつ地理的な感覚も変だ。あの名作「砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない」には海野藻屑というトンでもない名前が出てきたし、七竈という美少女もいる。この短編集では田中紗沙羅が変と言えば変なのだが、トンでもない名前は見当たらない。ただし紗沙羅の設定が、「整った目鼻立ち。横幅は少女二人分。巨漢の美少女。」(p13)と、やっぱり変なのである。

 地理的な感覚に関しては、例えば主人公は、益田市から松江のミッション系の女子中学校に入っている。本文にも松江は益田の「近くの都会」(p8)と書かれているが、益田市は島根県の西のはずれ。殆ど山口県である。一方松江市は島根県の東の端、隣はもう鳥取県だ。両者の距離は160㎞以上もある(注:益田駅~松江駅)。決して近くはない。他の作品には、下関にサンゴ礁の島があったり、中国一の大都会だったり・・・。伯備線の近くに余部鉄橋があると言ったり。

 帯やカバーの後ろ側には「「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」の後日談を含む」と書かれており、期待していたのだが、結論を言うとどの話が該当する作品かよく分からなかった。おそらく隣の県の益田市の話である「暴君」と「脂肪遊戯」がそうなのかなと思う。しかし、「砂糖菓子の弾丸」の舞台は鳥取県境港市だ。地理的に離れすぎている。
 
 ミッション系の女子中というのは2005年までは松江にあった(現在は共学)。当時の時刻表は分からないが、今だったら特急に乗らないと始業時間に間に合わない。各駅に乗れば片道4時間程度かかるので、山陰線の便利の悪さを考えると、益田から松江に通学というのは、まずありえないと思う。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

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雨の降る日は学校に行かない

2020-08-14 09:38:15 | 書評:小説(その他)

 

 相沢沙呼さんは、私が好きな作家の一人だ。本書は短編集で、6篇の短編を収めている。最初の「ねぇ、卵の殻がついている」と最後の表題作、「雨が降る日は学校に行かない」は後者が前者の前日譚になっている。保健室登校をするナツとサエの物語である。

 本書には、この他に、「好きな人のいない教室」、「死にたいノート」、「プリーツ・カースト」「放課後のピント合わせ」の4編が収録されている。登場人物はどれも女子中学生。女子はそれでなくとも同調圧力が強い傾向があるのに、この年代は特にそうなのだろうか。そして描かれるのはこの同調圧力になじめない女の子たち。

 保健室の長谷川先生がサエに言った言葉が胸を打つ。

「小町さんは、学校に行けないんじゃないよ。学校に行かないだけ。先生は、そんな生き方があってもいいと思う。本当は勉強するのに、教室に閉じこもる必要なんてないはずなんだ。学校が世界のすべてじゃあないんだよ。(以下略)」(雨が降る日は学校に行かない p248)



 解説で声優・タレントの春名風香さんは長谷川先生にも否定的だが、こういう先生が一人でもいればだいぶ雰囲気は変わると思う。

 それにひきかえこいつはだめだね。担任の教師・川島だ。

「小町はさ、そんなふうに自分の主張を通さないでいるから、男子にちょっかいかけられるんだよ。もっと飯島みたいに明るい子を見習ってさ、教室の雰囲気を盛り上げて、みんなと仲良くなれるようにしようよ。なあ?」(雨が降る日は学校に行かない p230)



ちなみに飯島というのは、サエをいじめていた女子である。最悪なのはこんな教師ばかりいるとき。解説で春名さんが「ぶんなぐりたい」(p267)と書いていたが、その気持ちはよく分かる。

 ところで、相沢さんは男性である。それも1983年の生まれというから、もうアラフォーのおじさんだ。それなのに、どうして多感な時期の女子中学生の心理をこのように鮮やかに描けるのだろう。

☆☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

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小夜子先生の美尻

2020-08-08 08:28:48 | 書評:小説(その他)

 

 主人公の秋場慎一は高校2年生。銀行員の父親の転勤に伴い、東京から月見ヶ丘市に引っ越してきた。転校した月見ヶ丘学園は、元伝統ある女子高で、前年度から共学になっている。ただし、この2年はテストケースで男子は1割しかいない。だから生徒はあまり男子に慣れていないようだ。

 慎一君、さっそく3年生の女子にいたずらされる。そういえば共学になったのが2年前なので3年生には男子がいない。だから女子は男子に興味深々。慎一君、ちょうどよいターゲットになったみたいだ。それを助けてくれたのが音楽教師の藤木小夜子先生。美人でスタイルの良い小夜子先生に年上趣味の慎一君の欲望がムクムクっと・・・。ブツを引き出して先生に出血しているといけないと、先生に見せたり、触ってみてといったり、最後はもちろんドッキング。ちなみにタイトルは、小夜子先生のお尻の形がとても綺麗なことから。綺麗なお尻に萌える人をビジリアンというそうな。

 これを皮切りに慎一君のモテモテ人生が始まる。学園長の豪徳寺友里恵。3年生のいたずら女子のリーダー美貴子。小夜子先生の姉でバツイチの美佐子など。もう次から次に慎一君は頑張る(何を?)。特に小夜子先生にはものすごく頑張る。

 これ確か、雑誌に連載されていたような記憶があるんだが、調べてみても分からなかった。昔の記憶は当てにならないことは、時々実感するので、もしかすると気のせいだろうか。誰ですか、慎一くんのような高校生活を送りたかったという人は。そりゃ男子の夢だけど。まあ、夢は夢で終わるよ(笑)。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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東雲侑子は短編小説をあいしている

2020-08-04 09:22:01 | 書評:小説(その他)

 

 主人公は三並英太という私立央生高校の生徒。この作品は「東雲侑子シリーズ」三部作の最初の巻となる。巻が進むにつれ、学年が一つづつ進むというのがこのシリーズの特徴だろう。

 英太の入った高校では、全員が部活に入らなければならないというおかしな校則がある。しかし、図書委員になれば、部活に入っているとみなされ、拘束時間も短い。

 という訳で、帰宅部希望の英太は図書委員になったのだが、彼と同じ日にカウンターに座っているのが同級生の東雲侑子。

 彼女は、いつも無表情で、不愛想で、いつも何かを読んでいる。何を読んでいるのかと聞きだすと、読んでいるのは、短編小説らしい。

 ところが、ひょんなことから、彼女が西園幽子と言う名前で作家活動をしていることを知る。彼女は短編しか書かない。

「人間ってとてもちっぽけで、小説にしてみればせいぜい原稿用紙50枚とか60枚とかの短編小説みたいな人生しか送れないんじゃないかって」(p78)



担当編集者からも長編を書いてみたらと勧められていたこともあり、長編小説を書いてみようとした東雲に、英太は、長編を書くために彼氏役をして欲しいと頼まれる。東雲は恋をしたことがないというのだ。これをきっかけに、二人の距離は次第に近づいていくという1種の恋愛小説というところか。

 つまりは、男女が恋人同士になるきっかけは、ひょんなことからだということか。

「俺、彼女できたかも」(p302)



 さて、二人の関係はどう進展するのか。

 

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

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レインツリーの国

2020-07-13 09:18:41 | 書評:小説(その他)

 

 主人公は向坂伸行(さきさかのぶゆき)という会社員。大学を卒業して入社3年目である。昔読んだラノベが気になり、その作品の感想を求めて、あるブログに行き当たる。そのブログの名は「レインツリーの国」。運営していたのはひとみという女性。

 伸行は、そのブログの管理人に向けて「伸」というHNでメールを送る。これが伸とひとみの出会いの初め。

 メールのやりとりをしているうちに二人は実際に会うことになる。彼女は、映画は字幕付の洋画でないといけないと言い張り、エレベーターで定員オーバーのブザーが鳴っても知らん顔をしている。メールをやりとりしていた時は、聡明さが伺えたのに、そんな彼女の態度に、伸は腹を立てる。

 実はこれにはある原因があった。2人は、ぶつかりながらもしだいに距離を詰めていく。そう一言で言えば、この作品は二人のラブストーリーなのだ。

 レインツリーとはアメリカネムノキの別名。ひとみ的には、レインツリー=ネムノキ。その花言葉は、「歓喜」、「胸のときめき」。つまり「レインツリーの国」とは「歓喜の国」、「心ときめく国」という意味だ。それは、ひとみがあこがれた世界。(p219)

 有川さんの作品らしく、最後には甘い甘い読後感が残る。

 

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

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嵐の守り手1.闇の目覚め

2020-07-11 09:31:52 | 書評:小説(その他)

 

 珍しいアイルランドのファンタジー。舞台はアランモア島。この島は、時が何層にもなっている。この島に夏休みを利用して、姉のタラとアイルランドの首都ダブリンからやってきたのがフィオンという少年である。ちなみに、アランモア島もアイルランドの西にある実在の島である。

 訳者あとがきによれば、本作は、三部構成が予定されているものの第一部ということで、既に原書第二巻は刊行されており、来年3月には第三巻も刊行される予定だという。

 この闇とはアイルランド神話に出てくる戦いの女神モリガンだ。対するはアイルランド神話の最高神ダグザ。しかし、この作品の中では二人とも魔導士という設定になっている。モリガンは長い年月復活の時を待っている。目覚めてはいるが完全に復活はしていないようだ。このモリガンの復活を阻止するというのがこの作品のテーマのひとつだろう。

 これに対して、モリガンを復活させようとしているのが、ソウルストーカーと呼ばれるモリガンの手下。アイヴァンという男だ。

 タイトルの嵐の守り手とは、キャンドルの中に天気を封じる力を持つようだ。ついでにその時の時間も。これが本作品では、かなり大きな働きをする。

 しかし、一巻に出てきた伏線の多くは回収されていない。特にギフトに関する部分。おそらく次巻以降に回収されるものと思うが。この島には、いくつかのギフトを与えるものがあるが、フィオンの挑んだのは海の洞窟だけだ。姉のタラを救出するという流れででてくるのだが、別に何か力を得た訳ではない。

 二つ目のささやきの木も出てきたが、キャンドルに封じられた、別の時間での出来事だから、フィオンがこの時間の中で直接体験したわけではない。あと二つあるが、これらは名前しか出ていないのである。

 全体を見渡せば、フィオンが嵐の守り手として成長する物語というところか。これからどう展開していくのだろう。

「ぼくが、<嵐の守り手>になったの?」「おまえが、<嵐の守り手>だ」祖父はそういうと、ぎゅっとフィオンの手をにぎった。(pp329-330)



 それにしてもフィオンが嵐の守り手になったら、島にずっといなくてはならないので、学校の方は大丈夫かとつい心配してしまった。

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

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サガレンと8月

2020-06-25 10:21:04 | 書評:小説(その他)

 

 サガレンというのは、樺太今のサハリンの古い呼び名だ。賢治は、最愛の妹トシの死の翌年、サガレンを旅している。まだ、樺太の南半分が日本だった、1923年(大正12)のことだ。表面上は、樺太の王子製紙に勤める先輩に教え子の就職を頼むためだったが、実はトシの魂の行き先を求めて旅をしたと言われている。

 それでは、なぜ彼は北に向かい旅をしたのか。皆さんは北枕という言葉を知っているだろうか。実は涅槃経に、お釈迦さまが入滅したときに頭を北にしていたと書かれている。そこから北は特別な方向となっているのだ。法華経は日蓮が最高経典に位置付けていたが、涅槃経も重視している。賢治が法華経に帰依していたことは有名だ。賢治は、トシの魂も北に向かったのだと考えたのだろう。

 さて作品の内容について紹介しよう。タイトルからサガレンの8月の風景を描いたもののように思うかもしれないが、実は違う。本書の内容を一言で言うと不思議な話と言うことだろう。

 最初は、内地の農林学校の助手で標本を集めに来たという人物の描写で始まる。しかし、途中から、なぜか唐突に、タネリという少年を主人公にした童話に変わる。タネリというのは、サガレンに暮す先住民の少年を念頭に置いているのだろうか。ところがタネリは犬神によって蟹に変えられ、ちょうざめ(原文もひらがな)の下男にされてしまう。肝心のオチの部分は書かれていない。原稿が喪失したのか、それとも元々かかれていなかったのか。本書には(以下原稿空白)と書かれている。

 ちょうざめが登場するというのがいかにもサガレンらしいが、かっては北海道にもいたらしい。この物語は、まだ構想段階で、おそらく賢治が生きていたら、これからどんどん書き直していくようなものが、彼の死によって表に出てきたのだろうと思う。そういった意味では、なかなか興味深い。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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山嵐

2020-06-01 09:00:33 | 書評:小説(その他)

 

 富田常雄さんによる柔道小説の傑作「姿三四郎」のモデルとなったと言われる講道館四天王の一人西郷四郎の一代記。ちなみに富田さんの父は、同じく講道館四天王の一人である富田常次郎である。この作品にも実名で登場している。なお、タイトルの「山嵐」は四郎の必殺技である。

 富田さんは、姿三四郎のモデルは西郷四郎ではないといっていたようだが、あまりに共通点が多く、どう考えてもモデルにしているのではないかと思う。

 会津藩士の子として生まれた四郎は元々の姓は志田だった。しかし会津藩家老だった西郷頼母の養子となったことから、姓が保科、西郷と変わっていく。陸軍士官学校に入るために東京に出てきたが、小柄な体格だったため果たせず、講道館を創立した嘉納治五郎に見いだされて、天神真揚流柔術の井上道場から講道館に移籍し、講道館の発展のためになくてはならない人物となる。

 しかし、四郎は苦悩していた。軍隊も警察も薩長の出身者で占められ、師の嘉納に対しても色々思うところがあった。嘉納が海外へ視察に行き、その間講道館の師範代を任されたが、四郎は出奔してしまう。彼の夢は大陸にあった。しかし、嘉納にはアンビバレントな感情を持っていたようで、その一方で、四郎は嘉納のことを慕ってもいたのである。彼の心が作品から伝わってくるようだ。

 本書の内容は、どこまでが史実で、どこからかフィクションかよく分からないが、大東流合気柔術の武田惣角と稽古をして、ころりとやられたり、八極拳の李書文と戦い辛勝したというのはフィクションだと思う。

 四郎は持病のリウマチが悪化し、その最後を尾道で迎える。享年56歳。早すぎる死であった。嘉納は、その死に際して講道館6段を追贈している。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

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荒野のおおかみ

2020-05-28 09:30:03 | 書評:小説(その他)

 

 本書は自ら荒野のおおかみを自認するハリー・ハラ―という人物が間借りしていた部屋に残した手記とそこに記された「荒野のおおかみについての論文」が主な内容である。このハリー・ハラ―という主人公のイニシャルは作者のヘルマン・ヘッセと同じもので、巻末の訳者によるあとがきによれば、「50歳のヘッセを記念する仮借ない自己告白」(p276)だという。

 訳者も指摘していなかったが、ヘッセの作品にはニーチェと仏教の影響が強いことは、以前指摘した通りである。この作品にもそんなところが垣間見える。

 例えば、ニーチェ

「ハラ―は悩みの天才であること、ニーチェのよく言っていることばの意味で、天才的な、無際限な、恐ろしい苦悩の能力を養ったことを、私は知りました。」(p14)



 二―チェは、「悲劇の誕生」において、理性的なものをアポロン的と呼び、本能的なものをディオニュソス的と呼んだ。もしかすると、ハリーの人間的な部分と本能的な部分をこの二つに例えているのかもしれない。しかし、ニーチェは悲劇をこの二つを統合するものとして考えた。そうすると荒野のおおかみにおいての悲劇とはなんだろう。確かに手記は悲劇的な終わり方をしていたが。

 仏教については、次の記述に気が付いた。

「(前略)人間は百もの皮からできている玉ねぎである。たくさんの糸からできている織物である。古いアジア人はこのことを認識し、正確に知っていた。仏教のヨーガ(瑜伽)では、個性という錯覚を取り除くための正確な技術を発見した。(後略)」(p73)



このような記述もある。

「(前略)仏陀を解する人間、人間性の中の天国と深淵とをほのかに感じる人間は、常識や民主主義や市民的教養の支配する世界に生きるべきではないだろう。(後略)」(p79)



 実は、この作品は、専業学生のころ一度読んだことがある。その時はそうは思わなかったのだが、今回読み直してみて、かなり病的な文章ということを感じた。とにかく何が言いたいのかよく分からないのだ。

 その頃はこんな言葉はなかったのだが、今はぴったりの言葉がある。それは「厨二病」という言葉だ。なにしろ自分のことを「荒野のおおかみ」なんて呼ぶこと自体、かなりの重症だろう。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

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