ブログ仲間のフラ夫さんが、ご自分のブログで、放送大学の面接授業に関する記事を書かれていたので、内容的にはあまり関連はないのだが、面接授業について最近思うことを書いてみたい。
私が放送大学に入ってから、もう十数年が経ち、3回目の卒業も射程距離に入っている。この間、仕事のための引っ越しもあったため、学習センターは2回変わっており、今所属しているところが3つ目となる。最初入ったのは山口学習センターだったが、在籍期間が短く住んでいたところからはかなり不便なところにあったため、面接授業は履修しなかった。本格的に、面接授業を履修し始めたのは、次の鳥取学習センターからである。(といっても、年に3~4科目程度だが)このペースは、現在の広島学習センターに所属が変わってからも保ち続けている。
不思議な事に、鳥取時代に受けた面接授業の多くは、今も内容がある程度は頭の中に残っているのだが、広島で受けたものは若干の例外を除いて、奇麗さっぱりとメモリーが消去されてしまっている。
これには、私が歳をとって授業での集中力が無くなったことや、昔ほど熱意がなくなっていることもある程度関係しているのかもしれない。しかし、一番の原因は、授業のスタイルが大きく変わってしまったことにあるに違いないと思う。
鳥取時代の先生方は、授業時に、かなり多くの資料を配ってくれた。それは、ご自身の著書からの抜粋で会ったり、関連文献のコピーだったりして、かなり中身は濃かった。それらを熟読しただけでも、その分野に関しては多くの知識が得られるし、何より、きちんとした言葉で書かれているため後で読んでも分かりやすい。先生方は、それらを参照しながら、要領良く授業を進めていたと思う。
ところが、最近は、ほとんどがパワーポイントのようなプレゼンテーションソフトを使った授業であり、配られる史料もそのコピーのみというのが多い。確かに、プレゼンテーションソフトを使うと、聴く方に、何となくわかったような気にさせることは比較的容易いように思える。だからビジネスで良く使われるのだろう。しかし、これを教育に使うとどうか。単に表面だけ舐めたようなことになりがちで、実は何も分かっていなかったということが多いのではないだろうか。厳しいことを言えば、プレゼンテーションソフトを使った授業は、教える方が楽をするだけのものではないかと考える。おまけにプレゼンテーションソフトで作った資料は、言葉が省略されているためスカスカで、後で読んでも何が書いてあるのか良く分からないようなものも多い。
もちろん、本来の大学の授業と言うものは、授業だけで全部が理解できることは想定されていない。だからこそ、教科書を使うなり、もっと詳しい資料を配るなり、参考書を指定するなりして、学生たちがもっと深いところを自分で勉強できるような工夫も必要ではないかと思う。面接授業は、講演会ではないのである。
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私が放送大学に入ってから、もう十数年が経ち、3回目の卒業も射程距離に入っている。この間、仕事のための引っ越しもあったため、学習センターは2回変わっており、今所属しているところが3つ目となる。最初入ったのは山口学習センターだったが、在籍期間が短く住んでいたところからはかなり不便なところにあったため、面接授業は履修しなかった。本格的に、面接授業を履修し始めたのは、次の鳥取学習センターからである。(といっても、年に3~4科目程度だが)このペースは、現在の広島学習センターに所属が変わってからも保ち続けている。
不思議な事に、鳥取時代に受けた面接授業の多くは、今も内容がある程度は頭の中に残っているのだが、広島で受けたものは若干の例外を除いて、奇麗さっぱりとメモリーが消去されてしまっている。
これには、私が歳をとって授業での集中力が無くなったことや、昔ほど熱意がなくなっていることもある程度関係しているのかもしれない。しかし、一番の原因は、授業のスタイルが大きく変わってしまったことにあるに違いないと思う。
鳥取時代の先生方は、授業時に、かなり多くの資料を配ってくれた。それは、ご自身の著書からの抜粋で会ったり、関連文献のコピーだったりして、かなり中身は濃かった。それらを熟読しただけでも、その分野に関しては多くの知識が得られるし、何より、きちんとした言葉で書かれているため後で読んでも分かりやすい。先生方は、それらを参照しながら、要領良く授業を進めていたと思う。
ところが、最近は、ほとんどがパワーポイントのようなプレゼンテーションソフトを使った授業であり、配られる史料もそのコピーのみというのが多い。確かに、プレゼンテーションソフトを使うと、聴く方に、何となくわかったような気にさせることは比較的容易いように思える。だからビジネスで良く使われるのだろう。しかし、これを教育に使うとどうか。単に表面だけ舐めたようなことになりがちで、実は何も分かっていなかったということが多いのではないだろうか。厳しいことを言えば、プレゼンテーションソフトを使った授業は、教える方が楽をするだけのものではないかと考える。おまけにプレゼンテーションソフトで作った資料は、言葉が省略されているためスカスカで、後で読んでも何が書いてあるのか良く分からないようなものも多い。
もちろん、本来の大学の授業と言うものは、授業だけで全部が理解できることは想定されていない。だからこそ、教科書を使うなり、もっと詳しい資料を配るなり、参考書を指定するなりして、学生たちがもっと深いところを自分で勉強できるような工夫も必要ではないかと思う。面接授業は、講演会ではないのである。
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