大江戸寺社繁昌記 (中公文庫) | |
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中央公論新社 |
江戸の庶民が、いかに現世利益を神仏に求めていたかは、「江戸のはやり神」(宮田登:筑摩書房)などに詳しいが、本書、「大江戸寺社繁昌記」(鈴木一夫:中公文庫)」は、江戸時代に、そんな風潮の中で、特に目立った信仰風景を展開していた15の寺社を紹介したものである。
とにかく江戸の庶民の御利益を求めるパワーというのはすごかったらしい。霊験があれば、例え、大名家の藩邸に祀られている神さまだって群がってくるのだ。大名家の方も、そんな庶民の信仰を利用して、自分の領地で信仰されている神様を江戸屋敷に分社し、ちゃっかりと賽銭集めをしていたというから面白い。
例えば、久留米藩有田氏は、久留米城下から、水天宮を分霊し、江戸藩邸に祀った。久留米藩の屋敷神にすぎなかった水天宮が、なぜか江戸庶民の人気を呼び、藩邸でも、毎月日を決めて参拝を許した。もちろん、目当ては賽銭である。これが、多い年で1700両にも達したというから、賽銭といってもばかにできない。
また、讃岐の高松松平氏、多度津京極氏、丸亀京極氏は、それぞれ金比羅さんを、屋敷神として祀っていた。丸亀藩では、やはり日を決めて庶民の参拝を許したという。もちろんしっかりと賽銭箱は置かれていたようだ。
自分の領地に、有名な寺社がなくとも、なんとかこの流れに乗ろうと、上総久留里藩では、地中から出てきたという怪しげな不動尊を売り出そうとして、幕府から罰せられたという事件もあったというから、江戸庶民の屋敷神フィーバーがいかに凄かったかが分かるというものだ。
この他、銭形平次で有名な神田明神、庶民に親しまれた浅草の浅草寺など、繁盛していた寺社の様子が紹介される。後利益の有るものには、なんでも飛び付こうとする江戸庶民のパワー。その一方で、それを煽って、ちゃっかりと利益を得ようとする者たち。そんな人々で成り立っている花のお江戸は、やっぱり面白い。
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