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北京の天安門廣場で起きた痛ましい事件から、今日で25年が経ちました。あの日、天安門廣場で亡なくなった人の数は、この4半世紀を過ぎた今も、未だ確かな数が解らないそうです。
あの日、イギリスのBBC、アメリカのCNN,香港の亜洲電視だけが同時に現場の様子を世界に流しました。1989年の今日のことです。当時、香港はまだイギリス領、中国返還を8年先に控えていました。香港の人たちの反応は、中国共産党への強い憤りでした。翌、6月5日は、香港中の学校は休校となり、亡くなった方達への哀悼の日となりました。
8年先の中国返還を喜ぶ人はすっかりいなくなり、この日から、香港人のカナダ、オーストラリア、アメリカへの移民が一気に勢いを増しました。民主的でない中国共産党の下に置かれるのは、まっ平という思いだったのでしょう。アメリカ領事館の横に並ぶ人の数が多すぎて、長い長い列が出来ていたことを思い出します。その後いつだったかは覚えていませんが、香港は中国とこの天安門事件については一線を画すという条例を作りました。それは、中国に返還された現在も残されているそうです。香港人は、あくまでも民主政治の元にあるべきだという強い理念だと思います。
当時、香港に住んでいた方は覚えていらっしゃると思うのですが、香港以外では知られていないひとつの事があります。あの天安門廣場での映像が流れた後、香港人の間から、第2次世界大戦下の日本が中国にしたことを彷彿させると、反日感情が一気に吹き出しました。その頃日本は好景気で、確か香港に在留する日本人の数も年々増えている頃でした。日本企業の進出も目覚ましい時代です。今のようにインターネットが発達していませんでしたので、学校や会社を通して、領事館から、人ごみでの日本語を慎むように、出来るだけ人の集まるところには出向かないようにとお達しが出ました。
この反日感情は、毎年南京事件の前後には必ず吹き出して来るものです。最近では尖閣諸島の問題の時に、いくらかの人たちがデモをしたり領事館へ抗議に出向きます。永年の香港生活で、反日感情というものにも慣れてきましたが、香港に来てさほど経っていなかった25年前のこの6月は、戦々恐々と生活をしたものです。こうした、政情不安が走ると、香港人はお米を買い溜めします。日本のオイルショックの時のようです。どのスーパーのお米の売り場も空っぽ。私など、出遅れてしまいました。その後、何か危ないなと感じると、香港人と一緒にお米の買い溜めをするようになりました。
先月、香港に64記念館が出来ました。何故、香港に?と私は思います。訪れる人の7割が中国本土からの観光客だそうです。そして、彼らが初めて64の実態を知ったと言って帰って行くのだそうです。
24年前から、香港島ビクトリアパークでは、天安門事件を悼んでキャンドル集会が催されます。年々、参加者が増えています。今夜も20万人を超すと予想されています。私も家で静かに祈ります。