チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

ここさん、2歳おめでとう。

2018年07月11日 | ここ

曇、26度、88%

 ココさん、2歳になりました。我が家に来て、まだ1年とふた月です。いろんな方達のご縁でココさんは我が家にやって来ました。私の思い入れもあって我が家にやって来ました。9ヶ月になっていましたから、小さい可愛い時期は過ぎていました。 飛行場で受け取って、我が家にやって来たその時の写真です。痩せっぽっちで骨が手に触りました。飛行場から我が家までの車中小さなピンクのクレートの中で暴れていました。今とちっとも変わりません。この1年と2ヶ月、病気もしませんでした。ただただ、毎日元気の塊で動き続けています。「ココさん、2歳おめでとう。どんなお母さんなんだろうね?いつか高崎に会いに行こうね。」

 ちょうど1週間前、京都から戻る新幹線に乗る前にイノダコーヒに行きました。注文したのはカフェオレとラズベリーのトルテです。 ウィンドーにあったトルテを見て懐かしく思いました。ひと昔前の洋菓子です。大きさも十分。30年ほど前は私もこんなケーキを作っていたんなあと思い出します。「そうだ、来週はココさんの誕生日、ラズベリーのケーキを作ろう。」甘酸っぱいプチプチの種が入ったババロアとスポンジを合わせて底にはクッキーの生地も敷きました。ラズベリーはいちごより真っ赤です。ケーキの上にかけたナパージュはラズベリーの汁だけでこんなに鮮やかな色です。 

 4分の1ほどに切ったラズベリーのトルテを「さあ、どうぞ。おめでとう。」 このすぐあと少し小さく切ってあげました。瞬く間に食べあげて、今は私の足元で寝息を立てています。

 モモさんが逝ってしまった後の日々を一緒に過ごしてくれています。ココさんの超が付くほどの元気で活気をもらいます。先日、ココさんを動物病院にお預けしました。「まだまだ元気ですねえ。そろそろ落ち着くかと思ってましたが。」と先生。私思っています、ココさんのじっとしていないのは、性格です。きっともっと歳を重ねてもココさん動き回っていますよ。「ココさん、ありがとう。」

 

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串田孫一 「笛を吹く画家」

2018年07月10日 | 

晴、25度、84%

 丸2日間雨降りでした。朝はいつもの時間に目が覚めます。走りにも出かけられません。庭の仕事もできません。本棚を覗いたら、1冊だけ残した母の本が目に入って来ました。家の整理をしてどのくらいが経つでしょうか、読もう読もうと思いつつ今になりました。ちょうど雨の日にもってこいの本のような気がします。読みさしの本は後回しにして、ページをめくりました。

 1986年刊行の串田孫一の「笛を吹く画家」です。串田孫一、哲学者、随筆家、登山家、管楽器を趣味に持ち、本の装丁まで手がける多才な方です。私が日本を離れる前には至る所で串田孫一に名前を見ることができました。代表作とも言える「山のパンセ」は幾度も読み返しています。 昨日見ると折り返しまで入っています。

 雨の音を聞きながら、いつものようにベットにごろりと横になっての本読みです。読み始めると言葉が転がるように胸に響きます。最近の作家の本ではこうは行きません。きれいな日本語という意味ではありません。奥深い日本語とでも言いましょうか。言葉が心に届く感じがします。「わざわざお越しくださって。」など「わざわざ」が「態々」と書かれていたり、その度に学生時代にまだ沢山本を読みたいと駆られていた頃を思い出します。「笛を吹く画家」は随想集です。巻末に串田孫一が書いています。随想だから事実かというと半分は想像もあると。事実だけではない余韻が残ります。

 早速昨日、串田孫一の本を2冊買いました。古本を買うつもりで出かけたのですが、行きつけの古本屋は定休日でした。  買ったのは新しい本です。

 家に戻り、夕方の芝刈りの前に「緑の色鉛筆」を紐解きました。本の中から栞が一枚出て来ました。最近の作家の中では好きな堀江敏幸がこの「緑の色鉛筆」に寄せた言葉でした。 今日も時間の合間を縫って読み進めます。しばらくは串田孫一の世界にとっぷりと浸かるつもりです。私が色鉛筆、クレヨンが好きなのは昔読んだ串田孫一のエッセイのおかげです。2005年に他界なさったと昨日知りました。

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台風の後、大雨の後

2018年07月09日 | 日々のこと

曇、24度、88%

 台風7号が九州に接近している中を、私は東に向かって京都に行きました。福岡はお昼前ごろから雨風ともに強まったそうです。その翌日、台風の過ぎ去った福岡に戻りました。帰途の電車の中心配なのは庭のことでした。福岡に近付くと他所の家々の庭の様子を見ます。家に戻り雨戸を開けました。思った通り、野菜や花が倒れています。

 台風は予想より九州に接近して通りました。上陸したわけではありません。出かける前の日、支柱の強化をして行ったにも関わらず、私より背が高くなったトマトやキュウリは前傾、その前に植えているピーマンも根こそぎ倒れています。グラジオラスは花が地面についています。ココさんをお迎えに行くまでのちょっとの時間、支柱の立て直しをしました。落下したピーマン割れの入ったトマトです。 翌日は暑い1日でした。実が割れたトマトは虫が入っていることもありますから、加熱して食べます。 丸のままフィッシュボールのスープに入れました。少し酸っぱいスープです。

 その晩から福岡地方は大雨に見舞われました。風はありません。ただただ大雨です。庭の一部は5センチほどの水が溜まりました。その後、大雨の特別警報まで出ました。ところが街中はいたって普通に人が歩いています。同じ区の隣町まで避難勧告が出ましたが、この辺りは水害のないところです。雨が上がって庭に出ると、またしてもトマトは割れて、ピーマンは落ちています。ココさん、トマトを狙っています。このトマトたちもスープで少し煮て、 ラムチョップの付け合わせにしました。茎についているトマトですが実の割れ目の汁を狙ってコバエのようなものが舞っています。そのままお口にポイとはできません。

 自然災害だけはどうしようもありません。つい今しがたも震度4の小さな地震がありました。雨が多くても少なくても農作物には影響が出ます。風もまた避けられない。夏場は家を空けるのを控えるつもりです。旅行に行くなら寒い冬、そんな気持ちになりました。

 京都から帰ってセミの抜け殻がいくつか庭に散らばっていました。セミの声はしません。雨上がりの昨日の昼過ぎ、か細い声でセミが鳴き始めました。ほんの数分のことです。いよいよ暑い夏が始まりそうです。

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京都ぶらりそして自分への土産

2018年07月08日 | 旅行

曇、22度、95%

 京都に着いたのは9時少し前、11時にお約束の友人宅は清水寺の下、産寧坂にあります。京都駅すぐ近くのホテルに荷物を預けてのんびりと歩いて行くことにしました。京都はご存知のように碁盤の目です。分からなくなれば人に尋ねます。神社、仏閣、名所は小学の中高学年の時、毎年母に連れられてやって来たので今回は行かないことに決めています。

 スタコラと歩き始めました。歩くこと自体は問題ないのですが、途中失敗したなあと思います。京都の暑さです。なんと表現していいのか、暑さの質が香港とも違います。盆地のなせる技です。しかも友人宅を訪ねるために、ワンピース、普通の靴という出で立ちです。ワンピースには裏地まで付いています。まあ、五条の大橋も渡りました。もうすぐです。 大橋の上から鴨川を眺めました。この3日後、大雨で水位が上がり濁流と化した鴨川です。およそ駅から歩いて40分後、最後の坂を上がりました。友人宅の2階からの景色です。 このお部屋は静かですが、すぐ下を行く観光客が見られます。御霊前に挨拶して、山崎に行くという私を駅まで送ってくださいました。

 山崎から京都に戻るのに阪急電車を使いました。目指すは「錦市場」です。中国人、西洋人の観光客の多いこと、錦には京都独特の食材を見に行くことと、包丁の「有次」行くのが目的でした。「有次」の物は今は無くなった日本橋の高島屋のコーナーで、ほとんど揃えています。折角なので、お店を覗きました。鰹箱の刃の研ぎは宅急便で送ればやってくださるそうです。お姉さんと話していると、今まで見たことのないものが目に飛び込んできました。早速使い方を教えてもらい、私への土産としました。 中身は、使ってみてからお披露目します。錦市場から歩いてお次に向かったのは、三条河原町です。

 三条河原町の老舗の針屋さん「みやす針」に行きました。 細い路地が入り口です。 この路地を抜けると坪庭が広がります。 飛び石を渡ってお店に入ります。京都ならではの風情のあるお店です。お店といっても針専門、小さな間口です。お客も私一人、針のことをあれやこれやら教えていただきました。 この針だけは自分への土産に決めていたものです。友人たちへの土産も買って、ホテルに戻ろうとバスに乗りました。バスに揺られていると「みやす針」のおじさんの話が頭をよぎりました。バスを降りてすぐに「みやす針」に電話します。「明日の朝一番に伺います。全部取り置いてください。」パグの友人たちのために、 この待ち針を買いました。向かって右、パグのまち針です。これは香港にいるとき京都の友人が送ってくれたものです。お飾りのまち針ですが、針山にこのまち針が刺さっていると、気持ちが和みます。パグのまち針をあるだけ取り置いてもらいました。

 翌朝、雨が降ったり止んだりの中をバスで三条河原町に行きました。開店時間にまだ間があります。そこで寺町通をぐるりと回ります。京都鳩居堂の前を通ったとき、急に母とこの店に来たことを思い出します。小学の頃のことです。河原町の教会のどなたかに会いに行った母が帰りに鳩居堂に買い物に行きました。町屋造りのその店に母を思い出しました。「みやす針」に戻ると、先代のおじいさんが掃除をなさっていました。 

 路地を抜けて坪庭に出た途端、大雨です。おじいさんが傘をさしかけてくれました。小さな動物のついたまち針は、40歳代の女性が一人で作っていらっしゃるのだそうです。その方が最近、「作るのがしんどい。」と言ってるとお聞きしたことが、2度も「みやす針」を訪ねた理由です。次回行ってもパグのまち針はないかもしれません。雨が止むまでのしばらくの間、おじいさん、おじさんにお店の話やら針の昨今をお聞きすることができました。

 京都駅から産寧坂、山崎でも大山崎美術館の往復、京都の市中とよく歩いた1日でした。さあ、次回はどこをどう歩きましょう。大雨の後の京都を思いやっています。見出し写真は、雨の「みやす針」の坪庭です。しっとりとした風情です。

 

 

 

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ハモが食べたい、鮎もいいなあ

2018年07月07日 | お外の食事

曇、22度、95%

 京都に行くとなると食べたい物もいっぱいあります。とは言っても一泊2日の短い時間です。そしてこれまた食べ物も出会いです。

 博多からの新幹線、駅弁を買いたいと思います。ところが朝の1便、6時10分発です。コンビニは開いているのですが、駅弁は売っていません。地元の温かいご飯も楽しみですが、駅弁の蓋をとったときのワクワク感は格別です。ちょうどお昼時、京都から山崎に向かう在来線に乗りました。京都駅で出汁巻入りのお弁当を買いました。関西の出汁巻と関東の出汁巻、お味が違います。薄味の出汁巻と大きな煮豆がホッとするお弁当です。在来線ですのでテーブルもなく、膝の上で蓋をとりました。そしてお腹が空いているので写真を撮り忘れています。

 山崎から京都へは阪急電車、これは途中から地下鉄になります。向かう先は、錦市場です。錦市場のあたりで大きな氷を食べたいなあ、などと思っています。とにかく暑い。電車を降りてぷらぷらと歩きます。市場のアーケードが見えるところに湯葉屋さんがありました。表には「湯葉鍋」と書かれています。「美味しそうだな。」一旦行き過ぎました。時計を見たらもうすぐ3時です。湯葉の誘惑に負けてお店に入りました。

 老舗の湯葉屋さんです。湯葉鍋ができるまでお店の方に湯葉の話を聞きました。香港にいたときのようにたっぷりと湯葉を食べようと思えば日本ではかなりの出費です。話を伺った方、こちらの社長さんでした。お店には私しかいません。お鍋を作ってくれた店員さんとこの社長さん付きっきりの中でお鍋をいただきました。

  少し湯葉を食べてしまって慌てて写真を撮りました。乾湯葉を使ったお鍋です。少し甘めのお出汁がついてきます。湯葉の下には鶏肉を叩いたお団子が入っています。 乾湯葉は壊れます。その壊れた湯葉を使った炊き込みご飯。この後豆乳を使った小さなデザートがありました。京都のお豆腐も美味しい。ところが湯葉とお豆腐では大豆から違うことも初めて聞きました。

 お腹がいっぱいで錦市場です。かき氷は入りません。大きく巻かれた出汁巻がまた誘惑します。「あれも一本食べたいなあ。」稚鮎の天ぷらも売っています。「これも食べたいなあ。」でもお夕飯のハモのために我慢しました。

 お夕飯のハモ尽くしは、湯引きのハモ、天ぷら、お吸い物もちろんハモ寿司も。あいにくこちらも写真がありません。食べたかったハモ、満足です。

 翌日、帰りの電車の中では駅弁ではなくデパートの地下で普通のお弁当を買いました。「田ごと」の2段お弁当です。 ハモ寿司、卵焼きも入っています。鯛の押し寿司、湯葉巻き、胡麻豆腐。パクパクと京都を出て新神戸を出たところでごちそうさま。好きなものを最後に残して楽しみにします。新神戸を出て食べたのは、 この3つ。

 鮎は次回の楽しみです。よく食べました。

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大雨警報だというのにお散歩に

2018年07月06日 | ここ

雨、24度、92%

 昨日の午前から降り出した雨はだんだん強い降りに変わりました。ちょうど北部九州豪雨からまる一年目です。

 朝は重い雲がかかる中いつもの時間にお散歩に出ました。いつものコースです。途中、ビニールに入ったたくさんの折れた傘、飲料水のアルミ缶が大きく積まれています。福岡は夜中にゴミの回収がありますから、道にゴミが積まれているところを目にすることはありません。このゴミの山を見たココさん、急に立ち止まりました。一歩も前に足が出ません。 耳は後ろに倒れ、目は怯えています。ココさんと同じ高さで見ると、確かに怖い。「大丈夫だよ、怖くないよ。」とゆっくり横を通りました。

 ココさんの夕飯は夕方のお散歩の前です。ココさんが夕飯を食べている間も福岡の天候を気遣う息子からメッセージが入って来ます。お外は雨音もはっきり聞こえるほどの雨降りです。「ココさん、雨だけどお散歩行く?」聞くまでもなく玄関向けて走って行きました。仕方ありません。私もレインコートを着ました。 ココさんもレインコートを着て準備万端。その時、腕の時計がぶるっと震えて、 「強烈な雨」を知らせてくれました。ココさん行く気満々です。玄関を出て、20メーターほど歩きました。「ココさん、お散歩する?」 少し気持ちが萎え始めているココさんです。仕方ない、近道で一角をぐるりと回って家に戻りました。ココさんトイレをする間もありません。

 傘をココさんにかけていたにも関わらずココさんのお顔もずぶ濡れ。私の半身ずぶ濡れ。一目散で家に入りました。

 まだ今日、明日と雨が降り続くそうです。「ココさん、お散歩どうしようかね?」悩める私です。

 

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大山崎山荘美術館

2018年07月05日 | 旅行

雨、26度、94%

 40年ぶりの京都でした。着いた時は晴れていて京都らしい暑さです。博多を朝一番に出る新幹線に乗ると京都へは9時前に着きます。友人の霊前を訪れて、予てから行きたかった美術館へと向かいました。京都から電車で30分、国鉄「山崎」  にある、大山崎山荘美術館です。小さな美術館で建物と庭を見たいと思っていたところ、折良く「ウィリアムモリス」の特別展がかかっていました。 駅から歩いて15分、小高い山道にその美術館はありました。アサヒビールの初代社長の別邸として建てられたものです。

 ウィリアムモリスのことを知って既に40年以上、 20代の初めの頃、デザイナーとしてのモリスではなく詩人、作家としてのモリスに興味を持ちました。当時はモリスの布や壁紙などは日本ではほとんどなかったと思います。 「イギリスデザインの父」ともいわれるモリスです。イギリス統治下の香港に向かう時はモリスのいろいろなものが見られると期待しました。あいにく香港でもモリスの布や壁紙はありませんでした。大山崎山荘美術館では、モリスが起こした当初の布や壁紙、印刷の文字、などの展示がありましたが、数はごく少ないものでした。

 建物と庭を見るのが目的です。人も疎らな館内、庭園を回りました。 週日にも関わらず、訪れる人があるのは昨今のモリスブームでしょうか。モリスのマグカップなどまであるのはいかにも日本らしく思います。

 長年胸に温めていたモリスの布を私の家のテーブルクロスに求めました。今、日本では日本製の布と、アメリカ製、イギリス製と3種類の布が売られています。微妙に色目が違います。私が一枚一枚と買った布はイギリス製です。

 30年日本を離れていました。日本国内を旅行することもありませんでした。会いたい人、行きたかった美術館や場所、ゆっくりと訪ねたいと思います。手入れの行き届いた建物と庭を後に、京都への帰途は阪急「大山崎」から電車に乗りました。

 

 

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新幹線に乗って京都へ

2018年07月04日 | 

曇、26度、京都

 昨日早朝、台風が近づく福岡を後にしました。新幹線に乗って京都に向かいます。新幹線に乗るのは、あの日以来です。のぞみが待つそのホームは、まさにあの日モモさんと息子一家と降り立ったホームでした。1年5ヶ月ぶりの新幹線です。モモさん、前日は5時間以上の飛行機に乗り、初めてホテルに泊まり、初めて電車に乗りました。東京から博多まで5時間、博多駅のこのホームに降りた時、私は大仕事を無事終えたと安堵したものです。

 今回は京都に向かいます。旅程は東京までの約半分。水田に青い稲がそよぐのを見ながら、東に向かいます。福岡から岩国までは小雨でした。次第に雨は止み、青空が広がって来ます。私は台風から逃げている格好です。

 車窓に広がる景色を見ながら、モモさんと新幹線に乗っていたあの日は外の景色など見ていなかったことに気づきます。季節は違って、田んぼには何もなく山には雪が見えていたはずです。何も記憶にありません。ただただ、キャリーバックにいるモモさんを気遣う5時間でした。

 早朝に家を出るので、ココさんは前日からお泊まりです。7月3日、この日に京都を訪ねたいと思っていました。やっとその願いを果たせました。私より若い友人の命日です。4年前、ちょうど福岡に戻っていた私に訃報が入りました。暑い午後でした。翌日には香港に帰りました。葬儀にも出られず、やっと昨日、友人に無沙汰を詫びることができました。

 友人が生まれ育った土地、空気の匂い。その人の面影が浮かびます。話し出したら止まらない、どこか男性的なきっぱりとした性格の人でした。時々、「真奈さん。」と言う低くくぐもった彼女の声が聞こえます。

 新幹線の中でも、京都に着いてからも私の手首の時計は、 福岡の雨風は非常に危険だと告げます。この3年間、気がかりだったことを一つ終わらせることができました。今日は台風が過ぎた後の福岡に戻ります。また来ますよ、会いに。

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ピノキオのマグカップ

2018年07月03日 | 身の回りのもの

雨、24度、80%

 マグカップは主人と私のコーヒを飲むためにあります。時には息子家族が来た時の朝のそれぞれの飲み物が入ります。全くの普段使い、家の者しか使いません。昨年、ピノキオのマグカップをいただきました。左の種を蒔いているピノキオのカップです。

 マグカップは2つづつしか買いません。カップソーサーがついたカップは6組8組と揃えています。主人と私が使うマグカップは2つで十分です。ピノキオの絵のマグカップも一つではと思い、もうひとつ探しました。このピノキオの柄で一番人気があるのは、青い鳥とピノキオが描かれたシリーズです。ところが青い鳥のシリーズは製造が終わっていて、今売られているのは種を蒔いているピノキオの柄です。洋食器の探し物をする時、アメリカの「リプレイスメント」という会社を利用します。カップアンドソーサーのお皿だけが割れてしまった時、探せばお皿だけでも売ってくれます。ただ新品ではなく中古のこともあります。ジアンの動物柄のマグカップはお嫁さんが割ってしまったので、この「リプレイスメント」で探して求めました。運良く新品でした。リチャードジノリのピノキオで探しても、青い鳥は売り切れています。そういう場合は欲しいものを登録しておくと、見つかった時に知らせてくれます。

 探し始めて半年、偶然、日本のサイトで新品の青い鳥のマグカップを見つけました。送料が国内ですから安くて大助かりです。早速プチンと押しました。主人が戻った翌朝届きました。香港の家にも一番古いマグカップが2こあります。マグカップは手頃な値段で買えますが、これ以上は要りません。息子一家がやって来てもこれで十分使い回せます。ピノキオの柄が2つになって、なぜかホッとしています。

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グラジオラス

2018年07月02日 | 庭仕事

曇、27度、79%

 春先、グラジオラスの球根を植えました。5月の終わり頃からまっすぐな平行葉脈の葉が出て来ました。この剣のような葉が中国の人にも好まれます。「唐菖蒲」と言われ、縁起を担ぐ香港では旧正月、春節の花の一つです。今考えると、あの寒い時期にグラジオラスを咲かせるということは温室栽培だったのかもしれません。私の背丈ほどもある色とりどりのグラジオラスを年末ともなれば抱えて歩く人を見ました。

 数日、雨足の強い日が続きました。花が咲き始めたグラジオラスです。植えた球根は様々な色が入っていました。細く鋭い葉が倒れてはと支柱を立てました。夜中の雨と雷、朝が明けると数本グラジオラスが倒れています。雨の中大きく咲きました。家に活けることにしました。昨日は青空が広がりました。 10数個植えたグラジオラスは一つまた一つと咲きます。香港で見ていたグラジオラスの花の色と庭のグラジオラスの色が違うように思います。香港のグラジオラスは色が濃厚でした。ところが日本のものは花びらが透き通るような軽やかな色の花です。ピンクも黄色ももっと濃い色合いの香港のグラジオラスでした。色の好みも国民性を感じます。

 雨に打たれたバラも首から折れていました。 

 紫陽花は少しづつ色を秋色に変化させています。この雨ですっかり華やかな紫陽花からシックな紫陽花に変わりました。 

 グラジオラスはそんなに好きな花でなかったのに、庭に植えたのはきっと香港を懐かしむ気持ちからだと思います。紫のグラジオラスの球根を植えたはずです。初めて見る紫のグラジオラス、どの蕾かなと待ち遠しく思います。

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