京都の家の庭の隅っこに石臼がいくつも転がっていました。
↓ そして今の家の庭にも、使い込んだ石臼がいくつかあります。
↓ お隣りには、とても大きくて立派な石臼が庭に埋もれていて、回覧板を届ける度に気になります。
いつ頃まで使われていたのでしょう?
小さな石臼は「きな粉」や「はったい粉(麦こがし、こうせん)」を作るのに使ったのかな。
大きな石臼では米や糯米、蕎麦、古米などもひいていたかもしれません。
この回転式の石臼は、なんと紀元前500年ころギリシャで発明されたそうです。
複数の人力やロバの力を借りて回すものや、風力、水力を動力にしたものや、色々な仕組みの石臼が作られたそうです。
大量に製粉できるようになったことで、
パン(小麦粉)の文化が大きく広がったのだと思います。
日本では、回転式の石臼が一般に普及したのは江戸時代の中頃らしいです。
それまで日本では専ら臼は、搗いて使うものだったそうです。
回転式の石臼の刻み模様はほぼ世界中同じ!
回転方向は反時計まわり(例外もある)というのも面白いです。
確かに右利きの場合、
左回りの方が腕に無理がない気がします。
図書館でこんな本を見つけました。
山から岩を切り出して石臼を作る職人が現在もいるのです!
この本では23項目の伝承の技が紹介されています。
もう少し深い取材をしてほしいと感じましたが、
項目が多いので仕方ないのかなと思います。
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『野山の名人秘伝帳』ウナギ漁、自然薯掘りから、野鍛冶、石臼作りまで
かくまつとむ 著 農山漁村文化協会 2009年
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今も石臼を使って蕎麦やお茶を楽しんでいるグルメがいるようです。
石臼が、ネットで売られています!
炒り豆を石うすでひいて作ったきな粉、美味しいだろうな!
夢のような体験ですね!
子どもの頃の幸せな記憶は一生の宝物、と思います。
コメントありがとうございます。
数日前のブログに「山がない」と載っていたのが
気になって、グーグルなどで見てまわっりました。
紀伊半島へは7回ほどいきましたが、
みんな海辺で山が迫っていたように思い出します。
あとからテレビなどで見た光景で上書きされてしまったのでしょうかね。
近所に製粉してくれるところがあったのかもしれませんね。
紀伊半島の太平洋岸沿、伊勢~志摩~熊野は、山がいきなり海に落ち込んでいるような感じで、たまに車で出かけると目が回りそうになります。
崖の下のような所にも、小さな港が見えて、かつての交通手段は船だった、もしかしたら、今もそうかもしれない、と思えるほどです。
でも私が住んでいる所は伊勢平野の真ん中で、平たいのです。
紀伊半島にもいろいろな部分があるという当たり前のことだけど、住んで初めて知りました。
コメントありがとうございます。