マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

60年前の「こどものとも」Ⅰ

2016-02-06 | book
『こどものとも』が創刊60周年だそうです。
創刊時から愛読していました。
本屋さんなど無い所で生れ育ったので、
本は郵便屋さんが持ってきてくれるものでした。
「こどものとも」が毎月届くのがそれはそれは楽しみでした。

絵本ではなくて字の多い本を読むようになっても、
時々引きずり出しては眺めました。
その後、絵本は少し残して、いとこ等に譲ったりしましたが、
時が経ち、
自分に子供が生まれ、絵本が欲しいと思う頃に、
今度は、近所に住む友人が、
自分ちの子どもは大きくなったので、と「こどものとも」をたくさん譲ってくれました。
「こどものとも」との二度目の出会いでした。
その後もふと目についたものを買ったりして、
今も本棚の片隅に並んでいます。

「はなとあそんできたふみこちゃん」与田準一 作、堀文子 画

今見返してみると、
私はこれらの絵本にしっかり影響を受けている…と改めて思います。

「ちいさなきかんしゃ」鈴木晋一 作、竹山博 画


「でてきておひさま」うちだみちこ 案、丸木俊子 画


「セロひきのゴ-シュ」宮沢賢治 作、佐藤義美 案、茂田井茂 画


「マッチうりのしょうじょ」竹崎有斐 案、初山茂 画 


「ダムのおじさん」加古里子 作、画

(写真の本はすべて1950年代に発行された「こどものとも」です。
 最初は30円、1957年には40円、1959年には50円になっています。)

Ⅱへ続く

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打撲

2016-02-05 | Weblog
またまた教訓です。
「家の中でとび跳ねたり、慌てて動いたり、
走ったりしてはいけない!」

ちょうど1週間前のこと、
なんでそんなに急いだのか、
今となってはちっとも分かりませんが、
とにかく、こたつの中から飛び出して、
座イスの背を飛び越えて隣りの部屋へ行こうとして、
畳の上のクッションに足が載り、
たぶんクッツョンごとすべって、
思い切り肩と上腕部を畳の上に打ちつけました。
近くに尖った物とか固いものとかなくてよかった!
と後で思いました。
しばらく息もつけない痛さで、
骨がどうかなったかと思いましたが、
翌日レントゲン検査の結果、
骨や筋が切れたり折れたりしてはいないということで一安心しましたが、
とにかく今も痛い、
左腕なので助かりましたが、
服の脱ぎ着にひと苦労。
片手でストッキングをはくのは至難の業です。
自転車も乗れません。
力を入れると腕をねじ上げられるような痛さです。
寝てる時も座っている時も左腕をかばってしまうので、
体中のあちこちが、凝ったような感じで痛んで、がくがくしています。
上腕は広い範囲が、青くなっています。
畳の上で勝手に自分で転んだだけなのに…

サッカ-選手やラグビ-選手はすごいなぁ、
とつくづく思うのです。




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よく育ったブロッコリ-

2016-02-03 | グルメ
村の畑から夫が収穫してきたモノはほとんど規格外ですが、
家族が食べるのには何の問題もありません。
それでも時々あまりに虫食いがひどかったりして、
食べられる部分を探すのに苦労する事もありますが、
この少々成長しすぎたブロッコリ-には全く傷が無くて、不思議なくらい。

強そうに見えて意外と柔らかな茎、
シャキシャキと美味しい。
蕾の部分もブロッコリ-独特のほろ苦さや甘さがしっかりしている。
ブロッコリ-の揚げ物やブロッコリ-のグラタンも作りました。
下の写真はニンニクを入れた熱湯でさっと湯がいて、
ゴマ油と醤油をかけただけたもの、
オリィブオイルでもOK。

下は、固めに湯がいて、ソ-セ-ジと一緒にいため、
卵を絡めた、朝食用の一品です。
黒胡椒を効かせて。

ブロッコリ-づくし、まだまだ進行中…
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消える記憶、変わる記憶

2016-02-02 | Weblog
カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』を読みました。

騎士や龍の登場するファンタジ-仕立ての物語です。
龍が霧を吐いて、人々の記憶を消しているというのです。
騎士物語は苦手なのですが、
この小説には深く考えさせられるところがありました。

『忘れられた巨人』
   カズオ・イシグロ 著  土屋政雄 訳
   2015年 早川書房

記憶はとても個人的なものと思います。
同じ出来事の当事者同士であっても、
二人いれば2つの、
三人いれば3つのまるで違った過去が浮かび上がることがあります。

誰しも自分をよく見せようとして、
自分の汚点を隠そうとして、
嘘をつくつもりではなくても、
少しずつ記憶が改変されていく、ということはあると思います。
あるいはすっかり忘れてしまうとか、

時には集団全体の記憶が変わることがあります。
記憶が改変されることも。

現代の日本の上空にも龍がいて霧を吐き続けているのかもしれません。
その霧の中では、
子どもだった頃の素朴で純真な気持ちを忘れ、
沖縄の基地の傍で暮らす人たちのことや、
東北の仮設で暮らす人たちのことも忘れて、
差別を受けて苦しむ人のことも、
世界の紛争地の子どもたちや
難民の苦しみなど無視して、
現在の自分の便利で豊かな生活のために何を犠牲にしてるのか、
など想像することもなく、
ましてや祖父や祖母の遠い記憶に思い至ることは無く、
ただ今の欲の追いもとめるままに暮らすことに何の疑問も持たず、
楽しく暮らせるのです。


この小説はそのようなことを言っているわけではなく、
年老いた夫婦の愛の物語であり(個人の記憶)
二つの国の過去と現在の物語です。
過去の悲惨な記憶(集団の記憶)を呼び覚ませば、
憎悪がよみがえり
復讐の連鎖の引き金を引くことになるのだろうか、
穴の底ですっかり弱って、じっとしているだけの龍、
しかし霧の中で息をしている…
龍を殺さない方がいいのか、否か、
スリリングなファンタジ-です。






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