こんばんわ。
GW中くたばっていたので、ちょっとネタ切れです。というわけで、昭和の風景から!
昭和58年4月17日 飯田線 向市場~城西間にて ※大~きくなります。
飯田線のロケーションでもチョー有名な橋梁です。
写真では分かりづらいと思いますが、川の向かって右側から左へ向かって進み、対岸に渡る前に折り返してしまい、また元の右側に戻ると言う奇妙な鉄橋です。
元々は向かって右側の山の中をトンネルで突き抜けていたのですが、激しい地殻変動でトンネルが動いてしまい、著しく危険な状態に(というか使い物にならない)なってしまったことから、鉄橋で川側に逃げたと言うからくりらしいです。元々が川沿いのため逃げられる場所が川の上しか無かったってことですね。
本来であれば、法定河川である以上、このような橋梁の架け方は許可が下りないのですが、国鉄が河川管理と同じ国の権限であったこと、公益を守るための緊急避難であることなどから、特別に許可が下りたのではないかと推測します。
飯田線へはかなりの回数を通っていますが、ここで撮影したのはこの列車1本だけでした。富山の撮影の帰途に寄り道したと記憶していますが、悲しいことに雨だし。雨の中を1人で撮影しているのは、列車本数も極端に少ないだけに、非常に寂しく、心細かったのを覚えています。川も濁って、とても良い雰囲気とは言えませんね。
ただ、ラッキーだったとすれば、この1発チャンスのときにクモハユニ64000という1形式1両の貴重な車両が通ってくれたということに終始するでしょう。
GW中くたばっていたので、ちょっとネタ切れです。というわけで、昭和の風景から!
昭和58年4月17日 飯田線 向市場~城西間にて ※大~きくなります。
飯田線のロケーションでもチョー有名な橋梁です。
写真では分かりづらいと思いますが、川の向かって右側から左へ向かって進み、対岸に渡る前に折り返してしまい、また元の右側に戻ると言う奇妙な鉄橋です。
元々は向かって右側の山の中をトンネルで突き抜けていたのですが、激しい地殻変動でトンネルが動いてしまい、著しく危険な状態に(というか使い物にならない)なってしまったことから、鉄橋で川側に逃げたと言うからくりらしいです。元々が川沿いのため逃げられる場所が川の上しか無かったってことですね。
本来であれば、法定河川である以上、このような橋梁の架け方は許可が下りないのですが、国鉄が河川管理と同じ国の権限であったこと、公益を守るための緊急避難であることなどから、特別に許可が下りたのではないかと推測します。
飯田線へはかなりの回数を通っていますが、ここで撮影したのはこの列車1本だけでした。富山の撮影の帰途に寄り道したと記憶していますが、悲しいことに雨だし。雨の中を1人で撮影しているのは、列車本数も極端に少ないだけに、非常に寂しく、心細かったのを覚えています。川も濁って、とても良い雰囲気とは言えませんね。
ただ、ラッキーだったとすれば、この1発チャンスのときにクモハユニ64000という1形式1両の貴重な車両が通ってくれたということに終始するでしょう。