マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

飯田線 旧型国電 42系 クモハ53000

2010-02-05 06:54:00 | 旧型国電
おはようございます。

また更新しないで寝ちゃいました。どうも体力が落ちているようで、参りました・・・。

久々の旧型国電、飯田線シリーズから、クモハ53000をアップいたします。



昭和58年2月10日 駒ヶ根~伊那福岡間にて

撮影区間は移動範囲でしか特定できませんので、駅間よりも広い範囲で捉えています。
クモハ53は、42系2ドア車のクモハ43を出力アップして誕生した形式で、モーター以外は特に変更が無いため、外観はクモハ43と区別が着きません。ただし、後の合いの子流電も007と008がクモハ53に形式変更されたため、大分類上は2形態のクモハ53が存在します。

000と001は狭窓車であり、クモハ43の原形態を色濃く残していました。私がNゲージを始めたきっかけというのも、旧型国電のGMキットの中からクモハ43・クハ47を見つけたことによるもので、それまで旧型国電の2ドア車の存在さえ知りませんでした。

そんな思い入れもあり、多数派のクモハ51系・54系よりも、42系の写真を撮りたくて仕方が無かったのですが、クモハ42やクモハ53(流電)が廃止された後に飯田線に行くようになったため、少数派の42系の写真を捉えるのはなかなか困難だったですね。

写真は、クモニ83+クモニ13の定期荷電にクモハ54?とクモハ53000の配給回送を連結した、4両オールM車の珍しいシーンです。



昭和56年11月23日 クモハ53000 車内写真

確か辰野駅停車中に撮ったように記憶しています。まだ飯田線を訪れるようになって最初の頃でした。初めて2ドア車への乗車機会を得たため、車内写真まで撮っていたものと記憶しています。肘掛の無い車内は、私的に非常にショックでしたね。キハ10系もそうでしたが、これだと通路側の人は、居眠りしたら通路に倒れこんじゃう人も居そうですね。アコモ的にはやはり後発の51系の方が優れているように思います。

好きな形式であったにも拘らず、結果的にはあまり撮ることができませんでした。中間に入ってしまうことも多々あったのではないかと思いますし、これ以外にもスター的車両が沢山居ましたからね。
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旧型国電:配給電車(クモル23・クモル24・クル29)

2010-01-14 00:37:00 | 旧型国電
こんばんわ。

クモルと言っても天気じゃございません。この辺ではしばらく晴れが続きそうです。

工場から電車区へと、パンタグラフやブレーキシューなど消耗品類を配達する荷物列車。荷台に屋根の無い、国鉄では唯一の形態を持つ電車。人呼んで「クル・クモル」。
行きでも「クル」とはこれ如何に・・・冷え込んできました。



昭和51年 京浜東北線 西川口~蕨間にて クモル23+クル29

毎度ながらこの昭和51年版はオートハーフなんでみんなブレちゃっているんですよね。
配給車は、独特なスタイルに正面の「○配」サボをつけて、軽快に走っておりました。
クモル23は、両側窓がHゴムで、ど真ん中窓は木枠のタイプのようです。



昭和53年年頃 京浜東北線 西川口~蕨間にて クモル23+クル29(再掲)

こちらも同じクモル23+クル29のコンビです。
こちらのクモル23は、3枚の窓が全てHゴム化されたタイプですね。
配給電車であるシンボルマークは、「○配」ではなく、「荷物電車」と同じスタイルの「配給電車」という横長タイプのサボを正面に取り付けています。



昭和52年頃 品川駅にて クモル24007+クル

品川で駅撮りをしているとき、ちょうど臨時ホームに入線してきました。普通の配給電車は、駅で出逢ったとしても通過してしまうため、ジックリと車両を見ることはできません。このときは、川崎方から入線してきて、田町電車区へ入るまでの間、停車していたんですよね。それで、無蓋部分の中身を見たくて、こんな写真を撮ったわけです。
しかし・・・肝心な顔を撮っていないなんて、太っ腹!この当時は、特に貴重とは思っていませんでしたからね。



昭和47年3月? 津田沼電車区? (lineさん提供)

電車区内で待機中のクル29+クモル24。
どの写真にも共通して言えますが、常磐線への乗り入れを考慮して、防護無線アンテナを立てているのが良く判りますね。
形式写真を撮るなら、やはりこれくらいの判りやすい大きさ、アングルで撮っておきたいですね。

ちなみに、モーター車で両運転台がクモル23。同じく片運転台がクモル24。制御車がクル29です。クル29には両運転台がありません。
アオリ戸の高さには2種類あるようで、特にクルに高さのある枠を設定した車両がいます。また、一部ではアオリ戸が設備されていなく、凸凹の無い車体の車両もいました。


いずれも17mの旧モハ30・31・34と言った戦前型の改造車でしたが、意外にその活躍は長く、山手線・京浜東北線がATC化される直前の昭和56年頃まで使用されていたんですよね。。
ATC化により運用効率が悪くなってしまうため、当時大量に淘汰されていた101系を改造、ATC化したクモル145+クル144に後を譲り、首都圏から全車引退することになりました。
コメント (14)
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秋味の飯田線 80系(その2)

2009-10-29 00:49:00 | 旧型国電
こんばんわ。

メチャクチャ眠いです。残業続きで疲れました・・・。

今日は飯田線の80系を久し振りにアップしようと思ったんですが、前回『秋味の飯田線 80系』をアップしてからもう1年以上も経ってしまったんですね・・・早いもんですわ。そりゃ、知らない間に年もとるわな・・・という感じで。


思考能力も落ちてしまっているので、今日は解説抜きにします。
その代わり、写真は大きくなるようにしておきますんで。



昭和56年11月22日 下地駅にて

この間、28年振りくらいに行った下地駅での写真です。最終の東海道線で豊橋につき、風吹っさらしのみどりの窓口の前で、寒くて眠れない夜を過ごしたのが鮮明に記憶に残っています。寒過ぎてとても眠ることが出来なかったので、日が昇る前(飯田線の始発が動く前)に豊橋駅から下地駅まで歩きました。メチャクチャ遠かった・・・。



昭和56年11月23日 伊那松島駅にて

秋を気配を全く感じない写真。
でも、正面窓に見えるタブレットキャリアが時代を髣髴させます。



昭和56年11月23日 撮影場所不明

どの区間で撮ったかさっぱり判らん。でも、ちょっと良い雰囲気?
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飯田線 旧型国電 42系 クハ47104

2009-10-10 02:02:00 | 旧型国電
また更新中に飛んじゃいましたhorori

まだ先だと思っていた3連休でしたが、あっという間に到達しちゃいました。
体調不良に人身事故、台風と毎日の残業。疲れ切ってしまって、連休の行動予定もたちません。

記事の選択も疲れているとなかなかまとまらないのですが、残り写真を見ていて久し振りに飯田線ネタを思い付きました。

で、今日はモハ42系の制御車であるクハ47104をご紹介したいと思います。
クハ47は、大まかにモハ32系の制御車と、モハ42系の制御車の2種類があります。その辺の解説は、過去ログ『身延線 クハ47 0番代 50番代』に記載していますのでご覧ください。

また、細かい話ですが、クハ47100番代の中でも、便所横の有無により、2つの形態が存在しますが、100~114の偶数車で構成される車両の中でも、104だけは便所横の窓を全部埋めてしまった異端車になります。
説明できるような写真資料はないのですが、Nゲージ製作の際に作り分けをしており、マル鉄コレクション館『Nゲージ GMキット改造 クハ47100番代』で解説を載せてありますので、興味がありましたらどうぞ。



昭和58年2月23日 伊那松島機関区にて

入換中のクハ47104を撮影したものです。この撮影をしてからいくらもしないうちに運用から離脱し、廃車になっています。しかし、検査を上がったばかりのように、車体が非常にキレイですね。
2扉間にズラリと並ぶ小窓は、客車でいうところのスハ32のような、旧きながらも洗練られたスタイルで好きでした。



昭和58年1月11日 中部天竜駅?

走行中の電車の中からで定かではないのですが、風景から中部天竜駅を出発したところだと思います。※この写真は大~きくなります!

クハ47104が留置されているのが現在の佐久間レールパーク前の側線で、さらにその奥に見える群線が中部天竜区(現佐久間レールパーク)と思われます。正面の電車の合間から見えるコンクリート製の建物は、坂を下ったところにある中学校だろうと思います。ついこの間行ってきたばかりなので、写真を見て非常に懐かしくなってしまいました。


クハ47104は、最後まで活躍した2扉制御車の中でも、一番最後まで残った車両でした。
本当は便所側を撮っていれば良かったのですが、残念ながら当時はそこまで詳細な知識もなく、また、走行写真を多く撮っていたので、あまり形式の細かいところまでの分析写真は撮っていなかったですね。

でも、好きな車両たちに、最後の最後でもたっぷり触れ合うことができて、当時は満足でした。

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90000HIT記念:クモヤ90000

2009-09-30 08:06:00 | 旧型国電
おはようございます。
昨日の記事は反響が大きくて、沢山の方からコメントいただきありがとうございました。
正しい答えが無いものの答えを書くのは大変ですね(笑)。疲れてしまって更新できませんでした。zzz

さて、話は変わりますが、昨日、ブログを切り替えてカウンターがリセットされてから90000HITを迎えました。多くの方にお越しいただき、感謝です!

ネタをどうしようか考えたのですが、ここはクモヤ90でいってみようということにしました。



昭和51年 錦糸町駅にて クモヤ90+101系中央総武緩行線(再掲)

写りも色も最悪な写真ですが、101系を牽くシーンとしてはこの1枚しかありませんでした。前後でサンドイッチしていますが、津田沼電車区にクモヤ90が2両配置になっていたのかは分りません。



昭和51年 西川口~蕨間にて クモヤ90+103系京浜東北線

こちらも写り最悪といったところ。やはり、京浜東北線を牽くクモヤ90はこの1枚しか見当たらないようです。おそらく、浦和電車区配置のクモヤ90でしょうね。



昭和53年 下十条電車区にて クモヤ90005

この頃になると、一眼レフに変わって、扱いもこなれてきて来てますね。
下十条電車区配置のクモヤ90005で、東十条駅のホームから撮ることが出来ました。



昭和52年 上野駅にて クモヤ90+103系常磐線

上野駅5番線で折返し待機中の配給列車。常磐線の低窓103系が連結されていました。大井工場への入出場だったようです。モノクロなのが残念です。





昭和52年 品川駅にて(再掲)

過去ログでアップいたしました、クモヤ90000と90001の重連回送です。
どちらが000で001だか忘れちゃったんですけどね。



昭和55年8月 品川駅にて(再掲)

こちらも田町電車区の確かクモヤ90000だったと記憶しているんですがね。
153系・165系を連結しており、おそらく大船工場での検査から戻ってきたものでしょう。



昭和52年8月 蕨~西川口間にて クモヤ90+クハ165(再掲)

過去ログでアップした新前橋区からの配給回送と思われます。大井工場かと思いましたが、急行形だと大船工場だったかもしれませんね。


昔は、現在のように編成が統一されていなく、バラバラで運用されていましたので、編成から中間車を抜いて入場するというのが当たり前でした。運転台がなくなってしまうので、このような牽引車の役割は多かったのですが、固定編成化された現在は完成してから廃車されるまでバラさないようになってしまったため、新しいクモヤ143でさえも活躍の場がなくなり、その数を減らしていますね。


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