3月15日のダイヤ改正まであと1ヶ月となりました。
ダイヤ改正といえば、新幹線の新たな開業、新型車両によるスピードアップ、列車接続の改善、増発など、鉄道輸送の未来を見据えた契機であり、利用者にとってはサービスアップの絶好の機会となります。
しかし、これを鉄道ファンの目から見た場合、期待される新型車両が導入される一方で、老朽化した車両・馴染み深い車両が引退し、役目を終えた列車がこの日を境に忽然と消えてしまう、真に寂しい瞬間であります。
私も鉄人生の中で、幾度と無く大きなダイヤ改正を経験し、去り行く列車・車両たちを見送ってきました。とりわけ、「50・3新幹線博多開業」「57・11上越新幹線大宮暫定開業」は、最も印象に残る改正であったと思います。
今回、プリントしていないネガからのスキャニング作業をしていた際、昭和57年11月14日に撮影したものが出て参りました。
いくつかのカテゴリに分かれてしまうのでブツ切りのご紹介となってしまいますが、皆様にもご覧いただければと思いアップいたします。
今日は、その記録の中から、57・11ダイヤ改正直前の在来線特急「とき」に関連する写真をご紹介したいと思います。
昭和57年11月14日 上野駅にて 181系「とき」最終日
在来線「とき」としては最終列車ではありませんので、特にハデな飾りつけなどはされていなかったようです。
しかし、日中のみ3往復運転されていた181系「とき」にとっては、この列車が上野駅に来る最後の日となります。もちろん、ファンはそれを知っていますので、ホームには溢れんばかりの人だかりができています。
181系「とき」の廃止は、同時に181系という歴史ある車両の事実上の消滅を意味するものでありました。
昭和57年11月14日 上野駅にて 181系「とき」の横サボ(行先札)
特急型としては、キハ80系とこの181系までがホーロー製のサボを使用していました。特急列車は車体色にデザインを合わせたのでしょうか、車体帯と同じような発色の色を使った文字で描かれています。
その後誕生した特急車両は、電動方向幕が採用されており、交換作業の合理化が図られました。
昭和57年11月14日 上野駅にて 下り最終「北星」と並ぶ183系「とき」
上野駅高架ホームに到着した183系1000番代の「とき」。この列車が上り最終だったかどうかまでは覚えていません。
また、その横には、これまたこの日が最終となる寝台特急「北星」が停車しています。
東北の玄関口として長年親しまれた上野駅から、この日を境にして数々の特急列車が消えてしまうこととなります。
僚友たちがお互いに最後の雄姿を飾り、そして暗闇に消えていきました。
翌日からは、「とき」は上越新幹線の特急列車名となり、新たな一歩を踏み出すのでした。
ダイヤ改正といえば、新幹線の新たな開業、新型車両によるスピードアップ、列車接続の改善、増発など、鉄道輸送の未来を見据えた契機であり、利用者にとってはサービスアップの絶好の機会となります。
しかし、これを鉄道ファンの目から見た場合、期待される新型車両が導入される一方で、老朽化した車両・馴染み深い車両が引退し、役目を終えた列車がこの日を境に忽然と消えてしまう、真に寂しい瞬間であります。
私も鉄人生の中で、幾度と無く大きなダイヤ改正を経験し、去り行く列車・車両たちを見送ってきました。とりわけ、「50・3新幹線博多開業」「57・11上越新幹線大宮暫定開業」は、最も印象に残る改正であったと思います。
今回、プリントしていないネガからのスキャニング作業をしていた際、昭和57年11月14日に撮影したものが出て参りました。
いくつかのカテゴリに分かれてしまうのでブツ切りのご紹介となってしまいますが、皆様にもご覧いただければと思いアップいたします。
今日は、その記録の中から、57・11ダイヤ改正直前の在来線特急「とき」に関連する写真をご紹介したいと思います。
昭和57年11月14日 上野駅にて 181系「とき」最終日
在来線「とき」としては最終列車ではありませんので、特にハデな飾りつけなどはされていなかったようです。
しかし、日中のみ3往復運転されていた181系「とき」にとっては、この列車が上野駅に来る最後の日となります。もちろん、ファンはそれを知っていますので、ホームには溢れんばかりの人だかりができています。
181系「とき」の廃止は、同時に181系という歴史ある車両の事実上の消滅を意味するものでありました。
昭和57年11月14日 上野駅にて 181系「とき」の横サボ(行先札)
特急型としては、キハ80系とこの181系までがホーロー製のサボを使用していました。特急列車は車体色にデザインを合わせたのでしょうか、車体帯と同じような発色の色を使った文字で描かれています。
その後誕生した特急車両は、電動方向幕が採用されており、交換作業の合理化が図られました。
昭和57年11月14日 上野駅にて 下り最終「北星」と並ぶ183系「とき」
上野駅高架ホームに到着した183系1000番代の「とき」。この列車が上り最終だったかどうかまでは覚えていません。
また、その横には、これまたこの日が最終となる寝台特急「北星」が停車しています。
東北の玄関口として長年親しまれた上野駅から、この日を境にして数々の特急列車が消えてしまうこととなります。
僚友たちがお互いに最後の雄姿を飾り、そして暗闇に消えていきました。
翌日からは、「とき」は上越新幹線の特急列車名となり、新たな一歩を踏み出すのでした。
まだ、警備もあまかった頃ですから、こんなカットが撮れたのでしょう。さすがに線路まで降りるやつはいない見たいですね。
最終日の駅撮りは体験してないのですが、今ではここまでやらせてもらえないのでは?
実は、この時にどれほどの混乱だったのか、殆ど記憶がないのです。おそらく、写真を撮りに行ったものの、アルバムに貼るような良い写真が撮れなかったため、フィルム現像したまま放置してしまったので、臨場感を思い出す間もなく記憶をなくしてしまったのでしょう。
25年の時を越えて再現された写真は、当時でも今以上のフィーバー振りであったことを証明しているようです。でも、これだけの人数が溢れていても、線路に降りるような輩は見なかったような気がします。状況は異常ですが、当たり前にまじめだったような気がします。
手差しサボ、懐かしいですね。いつも反対側のドアを開けてサボ扱い+お掃除が到着後の当たり前の作業でした。終了すると、おばちゃんの声で「8番、S終了」とアナウンスが流れる当たり前の光景、今は昔です。
今日アップした写真では「この程度」という感じですが、もっとスゴイ鈴なりがあります。
こんな経験を何か経験しているので、最終日の「お祭り」への参加意欲は、今では殆どありません。
サボの入換えは、高校の時、上野駅でのアルバイトで何回かやったことがあります。入換えは裏返す作業が多いのですが、他のホームへの回送を行うものがあって、普通列車15両分・計30枚を運ぶのは本当にしんどかった。鉄の塊ですから、その重さはハンパではありませんでした。
この画像の181系、これはもう当然この時期でしたら最初から181系として生まれた最後期型でしょうね。台車もTR69ですし。東海道、山陽筋から転入したグループは既に引退してますよね。勿論161系からのヤツも。ときのイメージは183系1000番台なんかより私はこちらがよりらしい感じですね。雑誌の写真を見るとボンネットの赤帯なし(山陽筋からの転入車)は上越ではちょっと合わないというか、赤帯がなんか上越筋の象徴みたいな感じですね。赤帯無しの原型がが山陽筋ではあんなに美しかったのに。あの赤帯て降雪時の視認性か485との識別の意味あったんでしょうかね?向日町では485にヒゲが入れられたのは181との識別の為とも聞きますし。
ここまで人出があると、列車を写そうと言う感覚ではありません。ホーム端まで行くのも大変ですし、辿り着いたところで人が邪魔で「列車写真」にはなりませんね(笑)。でも、今までプリントもせずに放置していたのですが、こういった写真も歴史を語る上では重要な状況証拠になるわけですね。25年経って初めてその価値に気付きました。
181系はその好みについて議論になるところです。どれが正しいとかではなく、男が女を好きになる、或いはその逆も一緒ですが、感覚的に好きなものが好きで、理屈じゃないと思います。ちなみに、私も帯入りの方が何となく好きです。ロングスカート車も最後は帯入りになりましたが、私は帯入りの方が自然に好きでした。
181系は、最後も一部改造車が残っていましたが中間車のみで、先頭車は100番代(181系新製車)のみだったと記憶しています。
大量のファンの中で撮影するのがイヤでしたので、行かなかったと思います。
さよならという事で撮ったのは、キハ181「つばさ」を大宮駅で撮ったくらいでしたね。それも助勤の日でしたので、交番を「つばさ」が到着する時間を休憩にしてもらったなんて事もありましたね。
こういうシーンは取材的な気持ちで行くのが一番ですね。所詮キレイに撮ろうッたって無理ですから。それよりも混乱の様子が判るように撮った方が面白いですね。ちなみに、今月号の鉄道ファンに同じ日のシーンが取り上げられていました。
私としては、「つばさ」の方が撮りたかったですね。奥羽本線電化は知っていたのですが、何故か気が回らなくて181系「つばさ」を撮っていませんでした。
そういえば!と思ったときは、4851000番代も完成して元気に走ってましたよ。この間アップした写真のように・・・。