マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

さようならの風景:昭和57年11月 急行全廃の両国駅

2008-02-17 02:22:15 | その他電車
昨日は、57・11ダイヤ改正の前日における在来線特急「とき」と、ついでに写っていた寝台特急「北星」の様子をお伝えいたしました。
かなり興味を示されたのでしょうか、非常に沢山のアクセスをいただきました。

さて、改正前日である11月14日は夜遅くまで上野駅に張り付いていたわけですが、首都圏でもう1箇所、大きな転機を迎えた場所に行っておりました。
それは、総武本線の急行列車の基点となっていた両国駅です。

東北・上越新幹線の開業とは何の縁もない房総各線ですが、上越新幹線の在来特急「とき」の廃止により大量の183系1000番代が余剰となるため、その車両の行く先となるべく長野区・幕張区への転属によって、急行列車が全廃されることになったわけです。

一昨日の「しおさい」「あやめ」の記事におけるコメントのやり取りでも論議がありましたが、元々乗車率の良くない房総各線の急行列車ですから、タダでさえひっそりとしている両国駅は、上野駅に比べると明らかにファンの数は少なく、さびしい風景でありました。



昭和57年11月14日 総武本線 両国駅にて 165系急行列車

最終日だというのにヘッドマークすら無く、列車名すら記憶がありません。
末期の頃はサボ類の盗難があったらしく、ヘッドマークが付いていない急行列車を良く見かけました。



昭和57年11月14日 総武本線 両国駅にて 183系1500番代を使用した急行列車

翌日は特急運用を控えているためでしょうか、前日からの送り込みとなる列車は特急用の183系を使用して運転されたようです。



昭和57年11月14日 総武本線 両国駅にて 183系 鹿島神宮行き横サボ

上の写真の列車のものか定かではないのですが、「鹿島神宮」行きとなっていますので、急行「鹿島」でしょうか?特急「あやめ」のサボは設定されている筈ですが、急行用は用意されていませんので、普通列車用の行先を掲出するという皮肉な措置となってしまいました。



昭和57年11月14日 総武本線 両国駅にて 165系急行と183系急行の並び

深夜と言うほどでもないのに、夜道なみに暗いホーム。急行列車の最後にふさわしい侘びしい風景です。それでも、おそらく普段の数十倍の人たちが集まったと思います。



昭和57年11月14日 総武本線 両国駅にて 183系 さようなら急行列車の貼紙

ヘッドマークもなく、セレモニーも無い、上野駅の賑わいとは全く異なる両国駅、房総最後の急行列車。せめてもはなむけか、「さようなら急行列車」と書かれた紙がドアに貼られていました。千葉局が用意したものか、ファンが貼ったものなのか、定かではありません。

この日を最後に、153系・165系により運転されていた房総急行は姿を消し、翌日からはその急行の分を特急列車に置換え、房総各線の特急の本数がさらに増えることになります。でも、その増発については、ファンや利用者の間からも疑問の声があったのではないでしょうか。
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8 コメント

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Unknown (Swallow Angel)
2008-02-17 08:10:49
伝統の両国駅ホームですね。映像でしか見たことないですが、買出し列車や復員列車が発着し上野駅と並んで賑わったようです。私もDC急行最終日は、この場所にいたのですが、確か私一人だったと思います。先日の記事でおっしゃっていた通り、房総に特急は必要だたのかという疑問は今でも残りますね。DC急行に替わって華々しく総武線に来た湘南カラーですが、その最期は寂しい末路だったんですね。
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Unknown (キハ181つばさ)
2008-02-17 11:43:00
Swallow Angel様
私が新小岩に通った頃、秋葉原からの通勤客はそこそこ降りますし、乗降客はあるようですが、駅前を見ても国技館以外にはこれといった利用客の多い名物は思い浮かびません。
横網公園のように特殊な経緯をもつ公園や、江戸博もありますが、維持費に泣きが入っている施設も。
仕事で水上バス乗り場にも良く行きましたが、両国の始発ホームを見ると、まるで物置になった異次元の世界に隆盛を思い浮かばせることもありません。ここが栄えた昔と言うのは昭和47年以前だったのでしょうね。
チラッとしか記憶に無いDC急行ですが、写真を撮っておきたかったです。
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Unknown (line)
2008-02-17 14:11:25
この時が両国駅遠距離ホームの最後と言ってもいい時ですね。全て特急に変わっても数本の両国発が残ったような気がしますが、両国から乗る需要は無かったでしょう。快速線が出来る前、夏臨増発の時期は乗車プラカードの前に並ぶ光景も見れたのですよ。
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Unknown (シービー)
2008-02-17 14:15:40
房総急行は何枚か、錦糸町で撮った事がありました。
HMも付いていて、撮っていても絵になる急行でしたね。
両国の列車ホームは寂れてしまいましたね。電車ホームと違って、旅を感じさせるホームでした。
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Unknown (キハ181つばさ)
2008-02-17 16:23:49
line様
私が知っている夏臨は、既に東京や新宿発で、殊に写真を撮るようになったときには品川までも延長になっていました。それは113系での運転が前提ですから、165系などはあまり出番が無かったように思います。
当時は車両種別が結構厳格だったので、急行車両を安々とは普通に使わなかったような気がします。
両国での行列風景は、プチ上野駅みたいな感じだったのでしょうね。
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Unknown (キハ181つばさ)
2008-02-17 16:29:43
シービー様
両国駅の下のホームは、新聞輸送と稀に入る団臨くらいで、普段はひっそりとしています。ここに停車している急行列車は風情がありましたが、やはり乗客が少なく寂れた感じが否めませんでした。
昔は客車列車もあったようですが、 機回しとかもできたんでしょうかね。さすがにその時代は知る由もありません。
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Unknown (金太郎)
2008-02-17 22:12:07
北総地区へ向かう急行列車が不振な原因は、両国や新宿発着という理由も当時としてはあったのではないでしょうか?というより距離が中途半端なことが最大の要因でしょうか?鉄道ファンの国鉄鋼製電車編の165系の記事に、内房線(当時房総西線)電化用云々とありましたが、新製冷房車で最終増備車でしょうね。その後木原、久留里線を除く房総電化により、他区から153,165が転入してきたのですが、キハ時代と所要時間が殆ど同じ、特急になってからもこの有様ですから電化のメリットが少なすぎますね。現在銚子方面は高速バスが旭経由がおおむね30~60分毎、小見川経由がおおむね60分毎、所要時間は特急が優位ですが、料金では勝負になりません。いっそのこと指定席つきの快速にでもしてフリークエントサービスしたほうが・・・などと考えてしまいます。
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Unknown (キハ181つばさ)
2008-02-17 22:29:12
金太郎様
あまり房総各線に乗ったことが無いので、細かいことを語る資格はないのですが、単線・曲線・中途半端に点在する所要駅などの影響が大きいのではないでしょうか。
単線の場合は行き違い退避・駅でのポイント通過でスピード制限があり、曲線が多ければ高速で走れないし、所要駅が多いので通過できずに各駅停車並みにとまる。コレでは特急はおろか、急行でも難しいですね。
おっしゃるように、名鉄のような感じで快速列車にビジネスシートみたいな指定席を連結すれば、ビジネス客も一般客も満足できる速達列車の運転が可能になるのではないでしょうかね。
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