おはようございます。
四国シリーズも終わり、このところの外回りでもあまり写真を撮る機会に恵まれなかったので、ストックが殆どなくなってしまいました。
そんなこともあって、今回は本当に久し振りですが、過去帳からのアップといたします。
房総特急。それまで気動車王国でやっと電化された内房線・外房線に、東京地下駅開業とともに誕生した電車特急列車です。地下駅に乗り入れることから、前面に貫通型を設けた新鋭の183系。中央東線への運用も考慮して、運転席上のヘッドライトも無いのが特徴でした。
昭和52年 東京駅 地下ホームにて
この頃は、都区内フリー切符を買って首都圏の列車写真を撮りまくっていました。
一眼レフを買って、スローシャッターの仕組みが解ってきた頃だと思います。
まだ文字マークばかりの時代です。ホームが閑散としているのが寂しいですね。
昭和54年頃 錦糸町駅にて
53・10改正を向かえ、ヘッドマークがイラスト入りになりました。
昭和54年8月 錦糸町駅にて。
錦糸町駅脇の留置線には、昼寝をする車両が多くありましたね。今は運用効率が良くなったのか、ここで休む車両も昔に比べると少なくなったように思います。
特急車両は殆ど見ることはありませんが、内房・外房の特急列車は殆どが京葉線経由になってしまいましたから仕方がありません。
特急「わかしお」が当たり前のように総武本線を走っていたという事実も、既に遠い過去の歴史となってしまいました。
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四国シリーズも終わり、このところの外回りでもあまり写真を撮る機会に恵まれなかったので、ストックが殆どなくなってしまいました。
そんなこともあって、今回は本当に久し振りですが、過去帳からのアップといたします。
房総特急。それまで気動車王国でやっと電化された内房線・外房線に、東京地下駅開業とともに誕生した電車特急列車です。地下駅に乗り入れることから、前面に貫通型を設けた新鋭の183系。中央東線への運用も考慮して、運転席上のヘッドライトも無いのが特徴でした。
昭和52年 東京駅 地下ホームにて
この頃は、都区内フリー切符を買って首都圏の列車写真を撮りまくっていました。
一眼レフを買って、スローシャッターの仕組みが解ってきた頃だと思います。
まだ文字マークばかりの時代です。ホームが閑散としているのが寂しいですね。
昭和54年頃 錦糸町駅にて
53・10改正を向かえ、ヘッドマークがイラスト入りになりました。
昭和54年8月 錦糸町駅にて。
錦糸町駅脇の留置線には、昼寝をする車両が多くありましたね。今は運用効率が良くなったのか、ここで休む車両も昔に比べると少なくなったように思います。
特急車両は殆ど見ることはありませんが、内房・外房の特急列車は殆どが京葉線経由になってしまいましたから仕方がありません。
特急「わかしお」が当たり前のように総武本線を走っていたという事実も、既に遠い過去の歴史となってしまいました。
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今日は神奈川県下の実家から、自らのケータイより発信いたします。
183の「わかしお」はちょうど30年前に茂原より錦糸町まで、家族旅行の帰りに乗ったことありましたが、混んでて座れなかった事が記憶にあります。
「さざなみ」ではすべて乗ることが出来たのに対し対照的だったと憶えてます。
本日はこの辺にて失礼します。
確かに夏休みは混むでしょうけど、普通の土日とかでも混むんですかね?当時、急行なんて殆ど人が乗っているのを見たことが無かったです。
言われて見れば貫通型のこの手の顔は当時としては見方によっちゃ異様だったかもしれませんね。
わたくしは小学生のころ485系200番代を最初に見たとき受け入れがたさは無かったもののどっちか言うと583系のほうが格好良いかなと思いました。
実際問題として183系は顔云々より2ドア、房総特急の走行距離、165系急行と大差ない所要時間など、特急の大衆化を進めた意義のほうが大きかったようです。
そういえば、183系登場の頃でしたっけ?房総西線が内房線、房総東線が外房線となったのは。
貫通型は581系から始まったデザイン・機能ですね。
581系は寝台列車の方向別多層立てを狙ったようですが、183系の場合は近く間乗り入れの非常口対応の要素が強いように思います。
私が物心付いた時には、既に「はつかり」「やまびこ」に貫通型が使われていましたので、全然違和感は無かったですね。むしろ、非貫通型の余白を無視したようなヘッドマークがキモかったです。
房総方面を走るの列車は、特急にし、急行・普通・緩行線と。
NETで放映されていた「みどりの窓口」で指定席情報で、「わかしお」「さざなみ」はいつも空席だらけというのが思い出されます。
特急時代の写真はかなり撮ってますが、イラストマークになってからは皆無です。
この頃、鉄道サークルに入っていたので、事務所のある平井に行っていたので、そのついでとかで撮っていたのかもしれません。房総は急行も含めてそれなりに撮影していますが、行った時にまとめて撮っているだけで、実際にはそれほど行っていないかもしれません。
「さざなみ」が全然無くて参りました。
私は最初に千葉の親戚に行ったのが昭和47年頃だったのですが、既に「みさき」「なぎさ」が走っていたので、東京地下駅も開業していたんですよね。
「わかしお」という名称はともかく、寄せ集めの旧客による臨時快速が走っていたなんて、今となっては信じられない光景ですね。しかも暑そうです。