日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

ジュネーブからツェルマットへ 

2006-09-06 22:29:49 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月6日(水)
ジュネーブ発 9:30 Visp経由 ツェルマット着13:24

朝目覚めると、夫が「大変!、モーニングコールを頼んでおいたのに・・・
チェックアウトまで20分しかない・・・」と叫んだ。

それから、大慌てで、20分で支度を整えてロビーへ行くと、
ルーさんが「パンを持って来てあげる。」と言って、食堂に行き、
パンとジャムを持って来て下さった。

ホテルナッシュヴィレからジュネーブ駅まで徒歩5分。
車内はすいていて、4人席に一人ずつの乗客しかいなかった。

大きな荷物を持って乗り込んできた我々に、少し迷惑そうだったが、
”We are sorry"と言いながら、静かに荷物を整理している内に、
私達の隣の席に座っていたビジネスマン風の人や、
すぐ近くに住んでいるという女性も話しかけてきてくれた。

「もうすぐ、スイスで最も美しいと言われている
シオン城が見えてきますよ。」
残念ながら、シャッターチャンスはあっという間に飛んでいったが、
本当に美しかった。

シオン城(インターネット、スイスの広報ページから拝借)



車窓からは美しいクロッカス畑や、羊の群れが見える。







ある駅の真前の家からは、
御夫婦なのかにこやかに手を振って笑顔で話しかけてくれる。
もしかしたら、お客様かしら?



この家の裏はこんなに大きな山・・・



写真を撮り忘れて、とても残念だったが、ルーさんは流暢な英語で、
隣に座った若い美青年とずっと話をしていた。
医師志望のベルギー人で、
日本や中国のこともよく知っているらしい。

ルーさんが「日本の学生の中には、物を知らない人が多く、
初めて日本に来た時『中国には車があるのですか。』
と聞かれた時はびっくりした。」
と言われた時、私も驚いてしまった。

お別れの時、そのベルギー人がルーさんのほっぺに
チュッとご挨拶をして降りて行った。
それを見ていた人達が冷やかすと、ルーさんは慌てていたが、
西欧と日本の文化の違い・・・あらためて、考えさせられた。

電車の中でルーさんにもらったパンとジャムで
何とか空腹を満たす内、ツェルマットの駅に到着。
花で飾られたかわいい駅舎。
左手前方にマッターホルンが見える。



駅から歩いて5分。ホテル アンバサドールツェルマット。
昔ながらのスイスの雰囲気がある、とてもかわいい感じのホテルだ。



ここでしばらく休んで、
7人で登山電車に乗りクラインマッターホーンまで行こうとしたのだが、
すでに電車はなく、4時以降は出ないということであった。
がっかり!
しかも、その内に雷が鳴り始め、あっという間にどしゃ降りになった。
正に山の天気は変わりやすい・・・

駅の傍のレストランに飛び込んで、
アイスクリームやコーヒーを飲みながら、
雨が止むまで時間を潰した。

夜は買出し組がスーパーマーケットで買い求めたパン、チーズ、
サラダ、インスタントスープ、ビール、ワインで軽く済ませ、
その後は、ルーさんの提案で「殺人ゲーム」に興じた。
嘘を上手につく人が勝つという、とてもおもしろいゲームだった。
あまり笑い過ぎて、また皺が増えたような・・・
 
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イギリスからスイスへ 

2006-09-05 23:48:50 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月5日 (火)

ヒースロー発11:40  ジュネーブ着14:15

今日は、大変な経験をした。
ロンドンを出る時、水はもちろん、
化粧道具も全て没収、ということなのだろう、
チェックインカウンターの入口にたくさんの品物が並んでいた。

私は口紅2本とコンパクトを持っていたが、知らん顔をして、
自分のハンドバッグを大きめの手提げに入れて,
機内持ち込み手荷物チェックの台に流したところ、
黒人の女性係員が私のバッグを持って"Who's this bag ?"
と大きな声で呼んでいる。
やっぱり・・・と仕方なく出て行くと、
「自分で開けなさい。」と言われ、
結局、口紅とコンパクトを取られてしまった。
「買ったばかりだ。」と情けなさそうに言うと、
「そうだね、もう一度入って手続をすれば、
ジュネーブで受け取れるようにしてあげるけど、どうする?」
と言ってくれたので、逆行して、手荷物チェックカウンターまで戻り、
備え付けの袋に入れて、名前を書いてもらい、半券を受け取った。

また、先程と同じように、靴を脱いで
(私だけでなく、その係員も同じように)
チェックを受け、戻ってきた時は、すごくありがたくて、
何度も何度も握手をしてお礼を言った。
咎められると思ったのに、やさしく便宜を図ってくれたのがとてもうれしく、
ジュネーブでバゲッジ クレイムに
その袋を見つけた時は、小躍りしてしまった。

  

     レマン湖のほとり              130メートルの大噴水

昨日から風邪気味だったのだが、飛行機の中で、
寒気はするし、咳も出そうでかなり辛く、
ホテルに着くなり、ベッドに横になって寝てしまった。
夫はすぐ側のレマン湖まで出かけたそうだ。
20年前に見た噴水、今も変わらない写真を見せてもらい、
とても懐かしかった。

夜になって、少し楽になったので、
夫と「エーデルワイス」というスイス料理店に出かけた。
お決まりのスイス料理、セットで、
チーズフォンジュかオイルフォンジュ、
サラダかスープ、デザート、それにハーフサイズボトルワイン、
これで二人分約12,000円。
スイスは何でも高い・・・
野菜も果物もほとんど輸入だから仕方がないのだとか。



パンを串に刺して、
熱々のチーズを絡ませながらいただくのがチーズフォンジュ





牛肉を串に刺して、オイルの中でから揚げにするのが、オイルフォンジュ





お食事をしながら聴く、二人の中年男性の演奏はすばらしかった。
アコーディオン(大・小)、ギター(大・小)、コントラバス、ホルン、
その他、とにかくたくさんの楽器を駆使して、ヨーデルやドレミの歌、
果ては日本の歌まで、お客さんと一緒に大合唱。
とても楽しかった。

しかしながら、ジュネーブの夜は、やはり国際都市のせいか、
街の角々に街娼が立っていて、気味が悪かった。残念!

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ロンドン 2日目 

2006-09-04 21:02:53 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月4日 (月)

夫と学生達は10時にBSI(英国規格協会)に行く。
私もハマースミス駅から地下鉄に乗り、グリーンパーク駅で下車、
グリーンパークから10分ほどでバッキンガム宮殿、
さらに、ハイドパークまでお散歩。



Green Park



Buckingham Palace

初めは衛兵の交代を見る気はなかったが、
どんどん集まってくる人を見るとやはり、せっかくの機会だから
見ていこうと宮殿を目指して後戻りした。

式が始まる11時半には鈴なりの見学者で、
なかなか中を見ることが出来ない。

1時間前に前の方に陣取ったが、それでも、
前に立つ大きなアメリカ人女性のわき腹の辺りの隙間から
デジカメを突き出して、懸命にパチパチ・・・







モコモコの黒い帽子は神聖な動物とされている熊の毛皮が使われ、
一個約13万円。
赤い制服に、この黒い帽子はスコットランドの民族軍装とか。

今回で3回目の見学となったが、何だかがっかり・・・
本来の護衛という目的が薄れ、
観光客に見せるためのショウ・・
になってきているからだろうか。
特別に上手でもないブラスバンドの演奏、
お腹の出た衛兵、あんなお腹では
戦うことも出来ないのではないだろうか。

20年前に見た時は、全員凛々しくて、式も15分ほどで簡素だった。

大昔、資源のない貧しい国のスイス人は、
大英帝国の兵士となって、その給金を祖国に送り、
妻や子を養っていたので、勇猛果敢、忠実であったところから、
特別に、女王の衛兵に選ばれ、全ての衛兵が
190cm以上のスイス人だけで構成されていた、と聞いていたが、
今は、スイスからの出稼ぎはいなくなったのだろうか。

今日は少し肌寒いせいか、喉の奥に違和感があり、
早々にホテルに戻り、皆が帰って来るまで横になった。

夜はピカデリー駅から歩いて10~15分、中華街でお食事。
ルーさんと現地の中国人との
丁々発止のやり取りがとてもおもしろかった。

あの小さな、細い体のどこにあれだけのパワーが詰まっているのだろう。
本当に羨ましい・・・・
 
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アムステルダムからロンドンへ 

2006-09-03 23:58:16 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月3日 (日)
スキポール空港発10:50  ヒースロー空港着11:10

テロ事件のためか、イギリスでの警戒が厳しいらしく、
出発も30分ほど遅れ、到着も空の上で何回も旋回を繰り返し、
入国手続もかなり長蛇の列。一人一人への質問も長い。
結局、ホテル ノボテル・ロンドンウェストに1時間30分遅れて到着。

早速、日本に留学をし、今、ロンドンで大学院に留学をしている
ルーさんという女性が出迎えてくれた。1年ぶりの再会だ。
中国の方で、日本語も英語も堪能。本当に頭のよい方だ。
昨年は学生として参加したが、今年は通訳もして下さるとか。

才女 ルーさん

明日の打合せをして、彼女が部屋へ帰ると、
大史さんが「どこかへ出かけるなら一緒に連れて行って下さい。」と言って入って来た。
他の人たちは、ロンドン名物の観覧車「ビッグ アイ」に乗りに出かけたらしい。

3人連れ立って、地下鉄でピカデリーサーカス駅まで行き、
ロンドン三越の前を通って、トラファルガー広場に出た。

トラファルガーの海戦で、ナポレオン率いるフランス艦隊に
勝利しながらも、命を落とした英雄ネルソン提督の像がある。
ナポレオンはこの敗戦でイギリス侵攻をあきらめた、と伝えられている。

トラファルガー広場

大史さんとライオン像

ネルソン提督の像の台座の四隅に、大きな黒いライオンの坐像。
銀座三越デパートの玄関を飾るライオンの像は、この像を模倣した物だ。



広場から遠くにビッグベンが見える。
ビッグベンとは、国会議事堂の大時計の愛称である。
1834年に火災に遭った後、ゴシック風に建て替えられたとのこと。

夕食は皆で集まって、お部屋でパーティ・・・の予定だったが、
6時でスーパーマーケットが閉まっており、駅前で買ったサンドイッチと
インスタントスープのすごく質素なものだった。

それにしても、ロンドンでおいしいパンを食べたことがないのは、
私だけだろうか・・・・
 
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Amsterdam 3日目 

2006-09-02 14:40:31 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月2日 (土)

朝、突然思い立って、アムステルダムの北約25kmにある
エダム・フォーレンダム地方にバス旅行をしようということになった。
急だったので、フロントで手続や支払いに手間取り、
迎えに来てくれた運転手さんに迷惑を掛けてしまった。
学生の徹さんと3人、7時間の日帰り旅行。
各ホテルから数人ずつの旅行者をピックアップし、
ターミナル駅で目的地毎に乗り換える。
なかなか理にかなったシステムだ。



先程の運転手がエダム方面の担当だった。
ガイドは中年の活発な女性で、
3ヶ国語で次々と説明をしてくれる。



12世紀に漁師町として開かれたエダムは、
100年前のオダンダの風景が今もそのまま残っている。
レンガ張りの路地に三角屋根の家、
とにかくおとぎ話のような町並みに感激する。

初めての停車場所はチーズ工場。
周りは広い草原で、羊たちがのんびり草を食んでいた。
オランダの衣装を着た美しい女性が、チーズの説明をし、
その場で味見をさせ、
そして隣の部屋に移動して、お土産の購入。
何やら、日本の観光バスのメニューと似ている。






次に、木靴の工場。
昔は一週間かかって作った靴も、
今は5分で出来ると言いながら機械で実演。
なかなかおもしろいが、見るだけ・・・・
買っても履きこなせない・・・・

次に、アイセル湖が広がるフォーレンダムのハーフェンから、
南へ2.5km、マルケン行きのフェリーに乗り、
マルケンでしばらくの散策。
とにかく美しい。



マルケンの船着場



釣りを楽しむ村人

最後のコースはザーンセ・スカンセの風車の村。
この村には、17~18世紀頃のザーンランド地方の
伝統家屋が集められており、
時計博物館、ベーカリー博物館、チーズ工場などが
広い村内に点在している。






そして4台の風車が交代で動いており、
内部の見学もできるようになっている。
1600年ごろには干拓のために利用されていた風力は、
その後、大麦、米、油、紙等の工業加工用に使われるようになり、
さらに染料製造用に使われるようにもなったそうである。

  

今日は風がとても強いため、すごい速さで風車が回っていた。
細く急な階段を昇り、歯車の動きや、
粉挽きの様子を見ることが出来たが、
小屋の外に出ると吹き飛ばされそうで怖かった。

徹さんが「ドンキホーテが立ち向かった気持ちが分かりますねぇ。」
と笑って言った。
 
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Amsterdam 2日目 

2006-09-01 23:51:00 | 2006年 ヨーロッパへの旅 AMS~LON~GVA~ZRH~FRA
9月1日(金)

コンセルトヘボウ

コンセルトヘボウの受付

国立博物館

朝起きて、テレビをつけてUSオープンを見た時の驚き・・・
「なぜアンドレ アガシが出ているの? 引退をしたのに・・・」
夫の話では、ウインブルドンの後、4大大会を引退、というのだから、
これが最後の試合なのだとのこと。

最後の彼の勇姿を惜しむかのように、
会場は熱狂的な応援が飛んでいた。
ヴァクアティスが2セットを取った後、
アガシが2セットを取り返し、
最終セットの戦いの壮絶なこと。

声援はほとんどアガシへのものだったが
脚がつるというアクシデントを乗り越え、
ヴァクアティスの勝利でゲームセット。
アガシを抱き、頭をなで、彼を讃える仕草に、
今まで孤立無援だった彼への拍手が沸き起こり、
感動的だった。

・・・ただし、この試合の途中、気になりながら、観光に出かけたので、
この結果を知ったのは夜になってからのことだった。

さて、今日はフリーの日。
10時ごろにホテルを出て、夫と二人、ファン・ゴッホ美術館を目指し、
その近くにあるコンセルトヘボウと、
広い芝生のミュージアム広場を挟んで建つ、
国立博物館に立ち寄った。

コンセルトヘボウは1888年にオープン。
オランダ語で「コンサートホール」を意味し、
ここを拠点に活躍するコンセルトヘボウ管弦楽団は有名である。
入場料も日本に比べ、格段の安さで5,000円ぐらいとか。
夫はいろいろ調べていたが、結局、時間が取れず断念。



ファン・ゴッホ美術館

20年ほど前に一度来ているので、今回は2度目。
単に私の好き嫌いの問題かもしれないが、
ゴッホの若い頃の作品を見ても、あまり感激はなかった。

丁度、日本展が開かれていたので、そちらをのぞくと、
もう日本ではなかなか見ることの出来ないような、
最高の美術品が多数並んでおり、
戦後のどさくさの中で、食べ物を得るために手放した物が、
海外に散逸したのだろうか、我が国の芸術性の高さに驚嘆し、
同時に、何だか腹立たしいような気持ちになった。

後で聞いた学生達の感想も、
日本展の作品の方がすばらしかったとのことだった。

その後、シンゲルの花市場に行き、向い側に並ぶカフェの店先で
コーヒーを飲みながら、行きかう人達を眺め、のんびり時間を過ごした。



色とりどりのアマリリス

シクラメンの球根

天井からぶら下げられたドライフラワー

花の種類の多さ、いろいろな形の球根、
天井いっぱいにぶら下がったドライフラワー、
それを見ながら通るいろいろな国々の人達、老若男女。
いつまでもいつまでも見飽きることがなかった。

シクラメンの球根を見た時の驚き・・・
「何、この牛の糞のようなものは・・・」
花はいつも見ているのに、根っこのことは全く知らなかった・・・



夕方5時。
それぞれに自由な時を過ごした仲間と、
賑やかなダム広場で集合。
インドネシア料理店で夕食を楽しんだ。
私は生まれて初めての経験だったが、
思ったよりも辛くはなく、おいしかった。
生き生きと、今日の行動について話す学生達と、
お料理とおしゃべりを楽しんで、
幸せな一日だった。
 
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