蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

寂しいオヤジたち

2009-07-02 | 人生
ある、お方、K氏。
肩たたきリタイア直前の仲間と飲んでから、ほろ酔い気分で我が家へ。
誰も居ない。家族は皆、仕事。自分が一番早い帰宅だ。
かつては、午前様のレンチャンだったのに。
めっきりお酒は弱くなっている。
今は待つ身。
家族の帰りを待つ家での待ち時間が、寂しいと言う。

つなぎタイムのほんの一瞬。
常に誰かと一緒でないと寂しい、独りぼっちはイヤ、という理由以外に、
もし寂しさを感じるとすると、その人、K氏の生き方に関わると思う。

家族は、それぞれ仕事で不在。
もう大黒柱であるK氏の手を離れている。
結構なことだ。
いつまでも専業主婦面(づら)、学生面されなくて。

マイルドな第二の人生が待っていると思う。
で、何がマイルドなのか?



寂しさの原因、わかるような気もするけれど。
人生のステージの変わり目、誰もが経験すること。
「かわいいオジイチャン」という生き方もある。
映画「グラン ・トリノ」のクリント ・イーストウッドみたいな硬派な生き方もある。
どういう生き方を選ぶか、だ。

男性はリタイア後に生きがいを失い、
趣味を持たない真面目な人ほど、アルコール依存症になったりするケースが多いとか。
地域のお付き合いも、妻まかせだったりする。
仕事人間はリタイア後の生活に、いかにうまくスムーズにシフトするかだ。
熟年離婚は、妻が働いているケースには見られるものの、専業主婦の場合は稀なように思う。

経済力と生活能力、バランスが大事だ。
一家の経済を担う義務から解放され、束縛されることがなくなった家庭内外のステージで、
おカネの事情で離婚出来ず、窮屈な思いで暮らさなければいけない夫婦。
それは、豊かではない。
老親や配偶者の介護事情なども避けて通れない。
せめて心だけでも豊かになる方法を、どうにかして自分で独自に見つけ出さなければ
これからの長い老後を生き抜けない。

余談だが、
K氏も、お仲間も、老後の蓄えは、とても十分とはいえない様子。
彼らは口々に、こう言う。
「俺らは長生きしない」とかで、いたって、お気楽。
飲んで飲んで、遊んで遊んで。
そしていつも、「生活が苦しいのは政治のせいだ」と、ぼやく。
まあ、そういう生き方も、アリだ。
つくづく、そう思う。

ただ、私は貧乏性なので、ついつい、機会があれば、あれこれ考えてしまう。
何も考えずに、何も努力しないで、夢うつつ、なんてことが、出来ない。

きっと私は、ぱぱっと、死ねないだろう。
でも政治を恨む前に、自分を省みるだろう。

笑って、さよならするまで、まだまだ時間はある。