仕事が始まる前の時間を利用して、朝一番に上映される映画を観た。
「夏時間の庭」。フランス映画だ。
マニアックなミニ・シアターでしか上映されていない。
今週で、上映が終わりだと知り、何が何でも見に行こうと思った。
たった60席の小さな映画館だった。
そもそもは、私が20年以上前から会員になっている、ある会からの
活動報告の中で、Yさんによって、この映画のことが書かれていた。
私の尊敬するYさんが観たという映画に、興味を持った。
そして、素敵な題名にビビっと感じるものがあり、映画館に走ったというわけだ。
大叔父(画家)が残したフランス、パリ郊外の広大な家と庭。そして、芸術品の数々。
そんな大層なものを管理する心労、負担を、
子供たち(といっても、もう中年)に負わせたくないという、老いた母親。
「私が死んだら、思い出も消えるのよ」と、遺産を売り払うことを指示する。
長男一家だけがフランスに住むものの、
長女はアメリカ、次男一家は、中国、と、住まいの拠点はフランスではなくなっている。
各地での生活を確立するためには、各家庭、それぞれ資金も必要だ。
フランスの家は、もやは母親の死後は、実際には必要とされない。
家族の思い出が、たっぷりつまった、愛着ある大切な家、庭、愛すべき品々だが、
現実問題に直面し、その維持、管理に決断を迫られる。
日常使いされる名品、逸品。さりげない、上質の極み。
映画のために、芸術品の数々をオルセー美術館から特別に貸し出され、撮影されている。
母の死後、3人の子供たちは、遺された家を売ることを決意し、
アール・ヌーボーの家具など、コレクションの一部は、オルセー美術館に寄贈する。
(コローの絵は売却してしまい、苦い思いとともに、少し後悔するが・・・)
家が人手に渡る直前に、高校生の孫娘が、祖母が遺した家でパーテイを開く。
(高校生が20~30人ほど集まって、音楽ガンガンの、どんちゃん騒ぎなのだけれど)
思い出が刻まれている家で、最後の時を過ごすが、知らず知らずに涙が頬を伝う孫娘。
カタチのあるものは、なくなるが、カタチのないものは受け継がれていく。
心にはいつまでも消えることのない、家族の絆を感じながら・・・。
孫娘たちの若々しいパーティ・シーンが続いている中、映画はそっと終わる。
オルセー美術館協力なのだが、
カタチのあるものの継承こそ、オルセー美術館の存在意義そのものだ。
古の人々が大切に使っていたもの、熱情を注ぎ、愛でていた美術品は、
人から人へと渡り、長い長い時代を経て、展覧というカタチで、もう一度、息を吹き返す。
個人が所有していた時が、実は一番、芸術品は、血が通い、濃い愛で繋がっているのだろう。
この映画は、派手さは全くないが、私の思いと重なる部分がとても大きい。
静かに見つめ、考える目が、そこにはある。そして、移ろってゆく。
これからの自分の生き方を大きく左右する示唆に出会えるかも、と期待したのだが・・・。
自分の思い、心の問題と、現実の問題とが交差する。
答えは、自分で考えるしかない。
「夏時間の庭」。フランス映画だ。
マニアックなミニ・シアターでしか上映されていない。
今週で、上映が終わりだと知り、何が何でも見に行こうと思った。
たった60席の小さな映画館だった。
そもそもは、私が20年以上前から会員になっている、ある会からの
活動報告の中で、Yさんによって、この映画のことが書かれていた。
私の尊敬するYさんが観たという映画に、興味を持った。
そして、素敵な題名にビビっと感じるものがあり、映画館に走ったというわけだ。
大叔父(画家)が残したフランス、パリ郊外の広大な家と庭。そして、芸術品の数々。
そんな大層なものを管理する心労、負担を、
子供たち(といっても、もう中年)に負わせたくないという、老いた母親。
「私が死んだら、思い出も消えるのよ」と、遺産を売り払うことを指示する。
長男一家だけがフランスに住むものの、
長女はアメリカ、次男一家は、中国、と、住まいの拠点はフランスではなくなっている。
各地での生活を確立するためには、各家庭、それぞれ資金も必要だ。
フランスの家は、もやは母親の死後は、実際には必要とされない。
家族の思い出が、たっぷりつまった、愛着ある大切な家、庭、愛すべき品々だが、
現実問題に直面し、その維持、管理に決断を迫られる。
日常使いされる名品、逸品。さりげない、上質の極み。
映画のために、芸術品の数々をオルセー美術館から特別に貸し出され、撮影されている。
母の死後、3人の子供たちは、遺された家を売ることを決意し、
アール・ヌーボーの家具など、コレクションの一部は、オルセー美術館に寄贈する。
(コローの絵は売却してしまい、苦い思いとともに、少し後悔するが・・・)
家が人手に渡る直前に、高校生の孫娘が、祖母が遺した家でパーテイを開く。
(高校生が20~30人ほど集まって、音楽ガンガンの、どんちゃん騒ぎなのだけれど)
思い出が刻まれている家で、最後の時を過ごすが、知らず知らずに涙が頬を伝う孫娘。
カタチのあるものは、なくなるが、カタチのないものは受け継がれていく。
心にはいつまでも消えることのない、家族の絆を感じながら・・・。
孫娘たちの若々しいパーティ・シーンが続いている中、映画はそっと終わる。
オルセー美術館協力なのだが、
カタチのあるものの継承こそ、オルセー美術館の存在意義そのものだ。
古の人々が大切に使っていたもの、熱情を注ぎ、愛でていた美術品は、
人から人へと渡り、長い長い時代を経て、展覧というカタチで、もう一度、息を吹き返す。
個人が所有していた時が、実は一番、芸術品は、血が通い、濃い愛で繋がっているのだろう。
この映画は、派手さは全くないが、私の思いと重なる部分がとても大きい。
静かに見つめ、考える目が、そこにはある。そして、移ろってゆく。
これからの自分の生き方を大きく左右する示唆に出会えるかも、と期待したのだが・・・。
自分の思い、心の問題と、現実の問題とが交差する。
答えは、自分で考えるしかない。