久しぶりに、昔の古巣に行ってみた。
あ、これ、他人さまのブログです。
そこには、少し、老いた彼女が、静かに佇んでいた。
彼女を崇拝するファンの一人である人のブログにも行ってみた。
ああ、わたしには、ちょっとキツイなあ、と。
精神世界、うっぷ、となってしまう。
出口のない、厳しい世界を根掘り葉掘り、掘り進んでも、体力や気力が消耗するばかり。
羨望、焦燥・・・劣等感・・・
もう、いいか~、この言葉は。
卒業するのではなく、パスします。するっと。
今は、老化の波に、サーファーのごとく乗りかけている。
波にすいすい乗っても、いいことは何もないが、自然の摂理なので、まあ、受け入れるしかない。
哀しく受け入れるよりは、堂々と開き直って、受け入れたほうが、精神衛生的には良い。
じたばた逆噴射して、美魔女になってみたところで、暑苦しい。(なってから言え、と神の声)
おんぎゃ~と生まれたからには、老いは必ず訪れ、死に向うのは、抗うことのできない摂理なので。
じつは、いいことも、あるのだ。
それは、老いて頭が、そうとう、ぼんやりしてきている、元は賢い人々が、
もともと、ぼんやりしているわたしに似通ってきて、その自分の惨状に、めちゃくちゃ悔しがっている姿を見ると、
わはははは・・・という気になって面白い。
愉快なのである。
あら、忘れたの?(わたしは、もともと覚えてないけど)
いくら頭脳明晰でも、歳には勝てないね~。
なんて、頭脳明晰の人に、ぽろっと言ったら、ムキになってアタマから火を吹く。
でも、人のプライドを根っこから、ズタズタにする権利はわたしにはないので、
いじめられた人に対してだけ、お返しをすることにしている。
さて、ここからは、
書いて発散する、最近のミニ・ストレス。
読もうとお思いの方は、スルーをおススメします。
ある、二人の人(Aさん、Bさん)と別々の時間に話した。
二人とも、自分のことばかり話して、こちらが話すタイミングを見つけるのが大変。
わたしはべつに聞くだけでもいいのだが、Aさんとは、話を進めなければいけない事案があったので、
頑張って切り出そうとするが、なかなか糸口タイミングをつかめない。
ずっとずっと自分のペースで話されると、待ち時間が長すぎて、いらっと来る。
Bさんは、どうも耳が良くない。
いちおう、わたしが話していても、賛同の声しか、拾ってもらえない。
耳のセンサーが、そうシステム化されているんだろう。
話題があって、掘り下げて話していて、「わたしの場合は・・・」というところになっても、
まったくキャッチしてもらえない。で、あきらめる。
興味ある共通の話題で、自分も同じ活動をしていても、なぜか聞く一方となる。
興味ない話題ならともかく、中途半端で不完全燃焼の思いが残る。
ちなみに、
小さなストレスのほうが、ストレスの原因になるそうだ。
上記のストレスは、別にたいしたことはないが、カンに障るストレスというものがあって、
ピンポイントで、その部分に障ると、わたしの神経が痛がって、痛がって、(マイナスのほうに)ビリビリくる。
触れない、障らない、見ない、聞かない、考えない、・・・と、消極的対処で、逃げる。
根本的根絶、モトの根を絶つのは、あきらめる。臭いものに蓋をして、お茶を濁す。
しかしながら、分析や理論的解析が行われ、原因がわかったとしても、
誰が悪いとか、善悪がはっきりしないような、理屈では解決できないような、
そういう小さなストレスの積み重ねは、意外と、こたえるらしい。
悪者がハッキリしていて、勧善懲悪的ストーリーのほうが、わかりやすい。
・・・話は変わりますが、
ヒマのつぶし方は千差万別ある。
つぶしている間はさほどでもなくても、つぶしたあと、虚しい気持ちになり、後悔するかどうかで、
わたしは、その時間の充足感を判定する。
「つぶす」という時間の取り組み自体が、すでにスタートから、終わっていると感じる。
つぶす時間など、一秒もないはず。
よほど嫌なこと、過酷なことを強いられている場合は、一秒でも早く過ぎてほしいと思うだろうけれど。
与えられた時間は、だいたい、夭折したり、アクシデントがないかぎり、ほぼ平均年齢の持ち時間。
どう捉えるか、どう取り組むかは、各自、まちまち、自由である。