最近、自分で惚れ惚れするような名言、フレーズを発するのだが、
(あくまでも、自分にウケているだけです)
哀しいかな、公の不特定多数の場(ブログ)ではなく、
娘たちと、わたしのライン(=スマホのアプリ)だったり、趣味の仲間とのメールだったり、
「閉ざされた間柄の人々」とだけのものが多い。
そして、ネットやメディアで目にした、すごく素晴らしい内容の記事や文章に触れると、
またまた、娘たちとのラインで紹介したり、娘たちから紹介されたり、と、
これまた、閉ざされた中でやっている。
以前なら、必死でブログにアップしていたのだが、なぜだろう?
わたしのブログ、さして価値のないものだとわかったので、、
そういうものに一生懸命になる自分に、そろそろ見切りをつけているのだと思う。
直接、手ごたえがリアルタイムに実感でき、共有したい気持ちになるリアル人とやりとりする、
濃度の濃いもののほうにシフトしているのか。
ラインで、例えば、
わたしが墓掃除に行ったり、実家にお手伝いに行ったりする報告がてら、
「親孝行は、なにもすることがないときに、するものだ」
「親孝行は、自分にストレスがなくならないと、しないものだ」
と送ると、長女は即、返答をくれる。
「還暦前になって、やっと親孝行か」
このキツさ、辛辣、毒舌が、たまらなく気持ちいい。(わたし、M系か?)
他人なら、絶対に言わない。言えない。
べたっとした親孝行など、褒めたり、ありがたがったり、温度の温いものは、わたしは苦手だ。
確かに、ありがたいのは、あたりまえであり、親孝行はすべきものだ。
わたしは、親孝行とは、・・・自立して、親に倒れ掛からず、迷惑をかけないことだと思っている。
だから、べつに何もしなくても、自分のことだけしてくれたらよい。
元気に前向きに暮らしてくれたら、それが親孝行。
余力があれば、気が向いたら、親孝行してくれたら、それで十分だ。
自分にストレスがなく、そして、なにもすることがなくなった時で、よい。
それにしては、遅すぎる、と、長女に言われてしまったが。
たま~に、ちゃんと生活しているよ、という一片が実感できるような交流を持つぐらいでいい。
親が大ピンチに陥れば、それは出来る限りのことをしたい(されたい)とは思うが、
一番の親孝行は、自分が大ピンチに陥らないことだ。
自分が先。
それから、親。
自分を置いてまで、親に尽くす必要はないと思っている。
親より早く死なないことが、親孝行だ。
なので、子供たちを見ても、やいやい、がんがん言う気持ちは全くない。
母の日プレゼントや、誕生日プレゼントなんか、なくてもよい。
もらったら、もらったで、ありがたいけれど。
ずっと前に、「あんたは、母の日に、なにも送ってこない」と、母にクレームを言われた。
気が向いたら、贈ったりしたが、あくまでも気が向いたらであって、機嫌をとるつもりは、さらさらない。
親孝行を子供に強制するなどとは、もっての他だ。
娘に、母の日プレゼントを要求するなんて、わたしには信じられないことだが、
おそらく、母は、姉や、他人さんからもプレゼントをもらっていたのだろう。
で、それに比べて、あんたは・・・となったのだろう。
ちなみに・・・
母のことを書くと、愚痴が堰を切ったように、どどどっと出てくる。
なんで、だ?
その、気に入らない母に、最近、わたしは、とてもよく似ていると感じ、ぞっとする。
行動が似通ってきている。
歳をとると、似てくるのか。
反面教師になればいいが、そのものコピーだとしたら、もっとも、わたしの理想としない、アンチお手本である。
娘たちも、きっとわたしのことをそう思っていることだろう。
おばあちゃん(母)に似てきた、わたしに、そのうち似てくる娘たち。
人生には、見本が必要だ。
お手本でなくても、反面教師でもいい。
たたき台があってこそ、修正したり、磨いたり、議論は深まる。
愛も深まっていく。
愛すべき欠点である。