蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

幸せの配分

2015-10-20 | 暮らし

惚れ惚れとする秋晴れ、日曜日は、娘一家と、二家族で大型遊園地に行った。
存分に孫達の可愛さを味わい、幸せ気分に満たされた。

かたや、アタマのすみっこに、要支援の母がちらり。

私が実家を訪れた先週、彼女が、自宅の海の見える部屋で言った。

「こんなに楽しい幸せな日も、もうこれで終わりかと思うと哀しい。
残された、最後の素晴らしい時間を大切にしたい」、と。

わたしは、一方で楽しい輝ける時間を孫達と過ごし、
もう一方では、母の幸せな時間を奪っているのか。

母から幸せを切り取って、その幸せ特権をわたしが、孫達に使っているのか。
切なくて、申し訳なくて、気の毒。
身勝手で強欲?

お金で言えば、自分の私利私欲のために、人のお金を盗んで、悦楽の時間を買っているようなものか。

これを同時にすれば、円満解決なのだが、そうはいかない。
要支援の母親を、お日様かんかん照りの、段差だらけの動物園&遊園地に連れ出しても、全員、苦痛なだけである。
4世代同時に楽しめることって、どんなことだ?

(1)4世代同居が一番の幸せ。
(2)次の幸せ対策は、おばあさん(母)の居る自宅に、若い人々が通って世話をすること。
(3)さらにその次の対策は、世話は人の手を借りて、若い人はコミュニケーションのために、時折、訪れること。

ということになるが、現実は、(1)は、居住地や勤務先の関係上、不可能に近い。
で、(2)として、4世代のうちの上から2番目の、わたし世代が、単独で頻繁に動くことになる。
しかしながら、わたしには、もうひとり、正反対の方角の遠方地に、老親を抱えていて、動くにも限界がある。

幸せの絶対量が一定であるなら、みんなで、それぞれにシェアするしかない。
時間も一定、労力も一定、資金も一定、どれもみな無限ではない。
工夫して知恵を絞れば、一定量の時間、労力、資金で、幸せの絶対量を増やすことができるかも知れない。

幸せをシェアするメンバーの合意と調整と協力と、納得。
誰か一人だけに重荷がのしかかったり、幸せを一人占めしたりしないよう、
いろいろ試行錯誤して、同時進行していけたらよいと考える。

 

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