蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

他人の幸せを見て、どう感じるか

2015-10-09 | ブログ

とあるブログ。

7年ぐらい前は、憧れから転じて、やがて大嫌いになった。
わたしよりもブログ歴は長く、今もほぼ毎日のように、更新されている。
すっかりご無沙汰していたが、ちょこっとのぞいてみた。

なぜ大嫌いになったかというと、わたしと人生のスタンスが違うからだ。
でも、今は、前ほど嫌いではないことがわかった。
決して好きということはなく、毛嫌いすることはないが、ただ、わたしとは目指すところが違うだけだ。
自分と違うものを嫌う必要はなく、自分と違うものを、違うという前提で容認する方向にある。

しようと思えばできるが、選択してあえてしない、という場合は、さほど悩みはない。
しようとしても出来ない場合、悔しかったり、劣等感を持ったり、出来る人を嫉妬したりする。
だんだん、思いは募り、五寸釘を人形に打ち始める。
あんなことをし続けていたら、やがて、ろくなことにはなるまい、と。

自分は自分の方法で、コツコツ、わが道を行っている。
で、嫌いなあの方は、あの方で、幸せに、笑顔の毎日のようす。
性分、性格の違いのようだ。

あんな生活信条なら、子供はちゃんと育たないだろうと思っていたら、ちゃんと育って、ちゃんと結婚もしていた。
で、マジメにやっている(とわたしは自分では思っている。が、わたしを知る人は、なぜかそう言うと笑う)
わたしも、まあ、結果的には、うまくいっている。

あんな、チャラチャラした人がうまくいって、なぜ、わたしのようなくマジメな人間が、しんどい目をしなければいけないのか。
そう思って、天罰が下るのを待っていたが、いっこうに天罰が下らない。
それどころか、あちらは、どんどん明るさは増し、輝いてきている。(※これは、ちょっと効果を狙った演出表現です)

人から見ると、あの人も、わたしも、同じようなものだろう。
何度も言うようだが、生活信条、人生哲学が違うだけの話だ。
違うものに対して、ああだこうだと思ってみても、なにも始まらない。
見本にはなるが、手本にはならない。選択性、別コース。

基本的に、わたしは自立心というものを大切にしたい。
明るい笑い声が響き渡る家庭であっても、ある日、不幸が舞い降りて、破滅してしまう可能性は、どこの誰にでもある。
「天真爛漫キャラ」は素晴らしい天賦の神様からの贈り物だと思うが、どこかで現実を見る目を常に持っていたい、とわたしは思う。
今の生活を送れるのは、どうしてか。そのまま続けるには、どうすればいいか。
ただただ、きゃあきゃあ享楽的に過ごして、美しいこころを磨くばかりでは、絵物語になる。
それで一生過ごせたら良いが。

人間は死ぬ直前まで、わからない。
なので、今、まだちゃんと生きているのに、額に皺寄せて、難しいことを言っても、無駄かも知れない。
だが、今までやってきたことの積み重ねである今の現状は、良い意味でも悪い意味でも、死ぬまで続くだろうと予想される。


じゃあラテン系のほうが、楽しくていいじゃない?
でも、取り入れようにも、性格だからしかたない。

仮に、動物好きという共通の趣味があるとする。犬が好きということも共通だとする。
さらに、犬の中でも小型犬が好きだと共通点は増え、
Aさんはチワワが好き、Bさんはスピッツが好きで、お互いに、そこは譲れないとする。
途中まで同じだったのに、細部に分かれると、道が違い、その違いがどうしても気になる。
と、そんなかんじか。
(ちなみに、わたしはペットは嫌いです)

天真爛漫な人の娘さんは天真爛漫で、楽しい毎日、
変哲なわたしの娘たちは、シビアな毎日。
うちは経済的には、自立派であるが、天真爛漫さんたちは、配偶者や親に頼りきっている。

あ、いま気がついたが、
わたしは、子どもに別に頼り切られていないから、楽かも。
その代わり、娘婿がイクメン。
でもこれは、昨今、街の中を見渡しても、みなさん、そういう流れだ。

これからどういう世の中になるやも知れないので、自衛手段として、エコ生活を貫いている。
生活は小さく、こじんまりと。
毎月の生活費を膨大に膨らませると、収入が減ったときに対応できない。
天真爛漫さん家庭のように、MAXにしていると、巨体は動きが取りにくい。

人生には思わぬ不幸なことがあるが、ない可能性もある。
転ばぬ先の杖を使い、実際には転ばなくて、なあんだ、一生懸命頑張って損したわ~となるかも知れない。
が、なにもないことが幸せなのだ。


キリギリスのように、もっと華やかな人生を送れたのに、アリになってしまって、ぎすぎすして、損してる?
キリギリスにはなれない貧乏性なのだろう。
持って生まれた性格や能力は、各人違い、それぞれ、長所も短所もある。
どっちが良いというものでもないだろうから、自分が良いと思う道を選んで歩けばよいのだ。

と、久しぶりに訪れたブログを見て、そう思った。

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と同時に、前回、そのブログに訪れた時から思っていたが、
わたしの視力が低下したせいか、あるいは彼女の方針が変わったのか、
高性能のカメラをお持ちで、以前はとても美しい写真をアップされていたが、
今は、大きくアップされている写真が、ピントがとてもあまく、ざらついている。
写真で魅せる彼女のブログとしては、不思議な気がする。
撮影方法として、わざとそういう撮り方をする場合もあるが、そうとは思えない。
???と、内心、ハテナがいっぱいである。誰もなにも知らせないようだ。
変化のないブログであればあるほど、ちょっとした変化に対して、わたしは敏感になる。

と、これは蛇足中の蛇足でした。