蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

終の棲家

2015-10-23 | 

わたしは、今、住んでいる家を建てた時、アタマに描いていたイメージは・・・

多くのモデルハウスや、建築雑誌、インテリア冊子などを何年も延々と眺めていた。
いよいよ建て替えたいと思うようになった時は、
折込チラシなどに載っている、建築設計図の平面図だけ、ただただ、むさぼるように見ていた。
平面図を見て、立体図をアタマで建てて想像していた。
どんどんアタマの中で、イメージは膨らんでいた。

家は、3軒建ててみないと、理想や好みを追求したものは建てられないという。
それは、おカネとヒマがたっぷりある人に、やっていただくとして。

まあ、理想をわたしなりに追求した。
とても幸せなことである。満ち足りた日々である。


ある日、北欧(スエーデンだったか?)の高齢者の生活レポートをテレビで見た。
80代後半ぐらいだったか、その人をメインに紹介されていたが、各お年寄りの家々に、ヘルパーさんが巡回してくれる。
お年寄りは、住み慣れた愛着のある自宅で、ヘルパーさんの助けを借りて生活していた。
その家の様子、インテリア、空間が、今のわたしの家に良く似ていた。
わたしは、その映像を見て、自分も最後は、こういう暮らしだったら理想だろうなあと感じた。

お年寄り同士が、週に一度ぐらい、家に集まり、わいわい和やかに楽しんでいた。

しかし、現実には無理だろうと思っている。
まず、認知症を発症していた場合、一人住まいは、危険だ。
巡回のヘルパーさんでは、まかないきれない。
子供や孫が時々、顔を出してくれても、毎日の暮らしをサポートするにはとてもカバーできない。
身体がいくら丈夫で、趣味のことも十分に楽しめて、文章もスラスラ、ブログにも毎日アップできても、
認知症は部分的に症状が現れるので、外部の人が、外からうっすら表面を見ている分には、問題が発覚しにくい。

一人で住んでいると、たとえ時々ヘルパーさんが巡回してくれても、
部屋も汚くなるだろうし、身もかまわなくなるだろう。
刺激もないので、だんだん、理想的な暮らしから遠のいていきそうだ。

自分がアタマに描いた理想の暮らし、理想の老後が送れていない、とその時点で自分で判断できるのだろうか。

かといって、心身健康なときに、理想の暮らしを切り捨てて、老人ホームに入る勇気があるかどうか。
英断が下せるのだろうか。

有終の美を飾りたい。ピークのときに引退したい。
そう理想は唱えるが、実際になると、自主的に自由意志でそんなことは出来ないと思う。
よほどの強い意志でもない限り。
あるいは、よほどの外圧、外からの強制力でもない限り。

いくら美学を貫きたいと思っても、認知症にかかってしまえば、貫けない。
ただ、問題は、白黒はっきりした、だれが見ても深刻な認知症ならわかりやすいが、
アタマがばっちり冴えている時と、そうでない時にわかれる、ジキルとハイドの認知症、
いわゆる「まだら」になった場合。

自分で無意識、無自覚に行っている行為があり、その行為をモノの移動や、事象の検証で確認できた場合、
あるいは、他人に「あなた、これこれ、こんなことしてましたよ」と知らされた場合、
我に戻ったハイドは、認知症のジキルの行動を知って、愕然となる。
まさに認知症のまだら状態は、人間の二面性といってよいのではないだろうか。
自分の知らない自分を知ったら愕然とすることだろう。

徘徊老人は、まさにそれ。
真っ裸になって道の溝にしゃがんで、すっぽり入っている老人、
「お~い、追い炊きしてくれ~」と、本人はお風呂に入っているつもり。

夕方になると徘徊するおばあさんは、本人は夕食の支度にかかっているのだ。
部屋中をかき乱している老人も、仕事をしているつもり。

わたしなら、おそらく、テーブルに平たいものを持ち出し、指をかちゃかちゃ動かして、ブログをアップしているつもりの老人になりそうだ。
大人しい、手の掛からない老人ならよいのだが。

現実とアタマの中を行ったり来たり。
その区別がだんだん出来なくなる。
あれ? 今でもその傾向のあるわたしは、歳をとっても、認知症状が発覚しにくいことだろう。

ゴミ屋敷と化した、お気に入りの自分の家で、
「今日は、娘一家が来るので、掃除しないといけない・・・」なんて、かちゃかちゃ、平たいものの上に、指だけ動かしているのだろうか。
でも、きっと、こころは、楽しい平和な時間なのだろう。

大のお気に入りの空間、お気に入りの時間、それを切り離して奪ってしまうのは、
自分自身の心身の老化のせいなのか、
はたまた、お気に入り状態から離れたくない自分から、無理やり引き剥がす、身近な家族なのか。

人は生まれるからには、弱って死んでいく運命にあり、それは誰にも避けられない。

 

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