蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

複雑な心境

2015-11-04 | わたし

母は、楽天家で、激情型、感覚派人間である。

「おかあちゃんは、18歳から歳を取らへんねん」
とずっと、母はそう言っていた。

わたしが、18歳を超え、大人になって母を見ると、ほんとうに18歳でアタマがストップしていた。

良く言えば、天真爛漫、子供のよう。
悪く言えば、考えなし。自分のことだけしか見えない。

親は「手本」である必要はなく、「見本」であればよい。
この、わかりやすい「見本」に、我々家族は、悩まされ続けたことだろう。
姉の結婚の時に色々あって、母は18歳から少し精神年齢は否応なくアップさせられたようだが。

70歳を超えた、ある日、母は言った。
「おかあちゃん、このごろ、顔にシワが出てきたわ。どうしよう・・・」

わたしは、この言葉を聞いて、一瞬、言葉を失った。
自分をいくつだと思っているのだろう? この人は。
れっきとした、堂々の老女なのに。


人間の年齢と肉体、頭脳、精神は、それぞれリンクしているものである。
心身共に、若さを保つのは良いことだと思う。
だが、経験による、歳相応の常識や、分別、思考力を備えた上で、若さを失わないことが素晴らしいのである。
なんにもなくてスッカラカンで、肉体は歳がいっているのに、アタマがただただ若いだけ、というのは、どんがらの大きな子供と同じ、
たんなるアホ以外のなにものでもない。

母は、思ったまんま、感じたまんまを口に出し、行動に表す。
中でいったん思考するということをしない。
お腹の中は、行動の全てである。
車でいうところの、ハンドルの遊びの部分はない。
喜怒哀楽が激しく、はっきりしている。
その影響で、わたしは、喜怒哀楽を表さなくなってしまったのではないだろうか。

(さらに、わたしの影響かも知れないが、次女は喜怒哀楽をほとんど表さない。
これはマイナスポイントと感じる。たんなるDNAのせいかも知れないが)

昔の人は、スパルタ教育だったので、母親もその例にもれず、スパルタ教育だった。
兄、姉は、ずいぶん、ビシバシ手をあげられた。
しかしながら、兄は、跡取り息子ということで、大事に扱われたので、たいした被害はないが、
姉とわたしは、被害者である。
姉は、DV系、わたしは、モラハラ系の色合いが感じられる。
といっても、ご近所の人に通報されるほどの深刻なものではない。
ごくごく一般的な、普通の家庭も、あんなものだと思う。

が、中学か高校のある時、当時親友だったN子の家に遊びに行くと、
N子のお母さんの言動に対して、N子が、「お母さんに怒られた」と、パニックに近い変化をもたらし、わあわあ泣き叫んでいた。
あのお母さんの言動ごときで、なぜ、あんなに泣くのか、さっぱりわからなかった。
わたしにしてみると、痛くも痒くもない、ごくごく普通の行動だったが。
各家庭には、各家庭の特徴があるのだと、その時、思った。


母は、「思慮深い、大人しい人」の正反対で、そして、一般的な「社交的」の正反対。
でも、権力や行動力はあり、家族以外の人も、好きなように使う女帝だった。
権力は、父親の能力のおかげだったのだが、本人には見えていないようだった。
母が結婚した18歳の時以来、ずっとそれが続いていた。
だから、いつまでも18歳なのだろう。

わたしにとっては、完璧なる反面教師だった。

今も、きょうだい、兄、姉、わたしが母を囲んで集まると、小さい頃のウラミツラミ、苦情ばかりが噴き出す。
こんなことをされた、あんなことをされた、ひどかった、と。
母は、「そう?・・・そんなんやったの? 悪い母親やってんね。ごめんね」と口では言っているが、
あれは、まったく覚えてもいないし、理解もしていないと思われる。
神様のプレゼントである。
自分にとって都合の悪いことや、自分の精神衛生上、良くないことは、すっかり忘れる。
反省して、しゅんとしているかといえば、まったくそんなことはなく、
ただ、反省と陳謝の言葉を発して、その場を取り繕っているだけであって、こころは、まったく籠もっていない。
母のこころは、まったく痛んでいない。
自分にはなんの覚えもない人のことを言われているのだから。

なぜ、そんなことをわたしが言うか?
他人さんが聞けば、「おかあさんは、反省もし、謝っておられるのだから、今更、そんなに怨まないで。
親は、子を思って厳しく躾けていたのだから、仲良くすれば?」と、思われることだろう。
母のことは、我々家族がよく知っているので、他の人がどうこう思ったとしても、家庭内のことは、他人には見えない。

この歳になってはじめてわかったが、兄も姉もそうとう、怨んでいるように感じる。
わたしがまだ、その中で、いちばんマシで温和、温情派である。
母が弱ってきて、はじめて皆、口に出しはじめた。
それだけ母は、強かったのだろう。強すぎた。

子供に良かれと思ってしたことであっても(母の場合、その時その時の激情で叱ったりしているようだが)
子供はその時は怨んでいても、やがて成長し、子供を持つと、親のありがたみがわかるというものである。
子供の頃のことをまだ怨んでいるというのは、我々きょうだいは、そうとう人間が出来ていないのか、成長しきっていないのだろう。
世話になった親に恩返しすべきときが来ているのに、親に対する恨みがぶり返すなんて。

今、まさに親孝行しなければ後がない、という時期になって、
行動は親孝行をしているのだが、こころの中では、ちっとも親孝行ではない。
親孝行、したい時には親は無し、とは、よく言ったものだ。
この世にいなくならないと、わだかまりがなくならないのか、
あるいは、完全に肉体だけにならないと、素直な気持ちになれないのか。

これからは、母がどんどん透明になっていくにつれ、われわれの感情も透明になっていき、
やがて感謝に転じていくことだろう。


と、ここでふと思う。
「わたし」という親に対して、子どもたちは、どういう風に感じているだろう?
逆に怖くなる。
なにごとも、感謝。赦す気持ちが大事。
寛容にならなければ、と思う。

 

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