昨日、テレビで流れているニュース。
内縁関係にある女性を殺した男性。
これだけ聞くと、よくある話だ。
殺害当時、内縁の妻、82歳。
男性は、自首した現在52歳ということだから、当時50歳。
32歳の歳の差。30年に及ぶお付き合い、同棲。
女性が認知症状が出てきて、それもあってか、寝ていた枕で口・鼻を押さえ窒息死させたようだ。
犯行当時は事件として扱われていなかったと見られる。
2年経った今、男性が、殺した女性が夜な夜な夢枕に立ち、仕事が手に付かない、と自首した。
自首した時の男性は、青ざめていた顔から、ほっと安堵の表情に変わったとか。
男女の年齢が逆のケースは、よく見られる。
女性20歳、男性52歳。
東南アジア外国人妻を持つ、日本人男性は、こういう年齢。
知人の知人(まったく知らないアカの他人)で、
フィリピンパブに通う男性が、二人目のフィリピーナと結婚するとかしないとか。
(ちなみに、わたしは、そういう傾向の男性を苦手とするし、わたしの人生において全く接点がない)
もっと男性のほうが年齢が上の場合もある。
経済的に貧困にあえぐ発展途上の国々で聞いた話では、赤ちゃんが生まれると女の子だと、とても喜ばれるそうだ。
これといった産業も無いので、女性がおカネ持ちと結婚して一家を繁栄させる。
ビジネスとしての結婚。
「本妻業」「後妻業」の、事件沙汰にならない、殺人が絡まないバージョンか。
が、今回の事件は、男女の年齢が逆。
若干20歳の若者が、52歳の熟々の熟女と出会い、ずっと一緒に住み、内縁関係を続ける。
母親より年上である。
よほどマザコンだったのか、特別な事情があったのか、捜査が進むにつれ、詳細は明らかになることだろう。
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ここで、蝶ブログ記事を終えるという方法もある。
が、自分の感想を書きたくて、うずうず。
一般論として、年下の男性をゲットできるのは、「女の甲斐性」「女性が憧れる女性像」みたいに捉えられている面もあるが、
わたしなら、年下男性は、NG。(同世代程度の年下なら問題ないが)
50代で20歳の男性など、とんでもない。
お小遣いを渡して、サービスしまくって、気を使いまくって、
若い女性では得られないプラス面、優遇サポートを必死で与えようとするだろう。
人生で進みたい道を切り開くお手伝いをしたり、その道で活躍する方法をアドバイスしたり、なんらかの形で、
キャリアの無い若い年齢では体験できない、社会の先輩としての、特権みたいなものも、振りかざすかも知れない。
ある程度、育ってくれて、自立したその時には、男性の年齢に相応しい女性と結ばれるだろう。
それをにこやかに応援しながら、「わたしを卒業、おめでとう」と祝福するなんて、出来そうもない。
(自分の実の子供に対しては、すんなり「おめでとう!」で、やれやれ、肩の荷が下りたけれど。
責務を果たした安堵感はあるものの、それに対して見返りは期待していないから)
世の中には、こういう男女、けっこうあることかも知れない。
ドラマではこのネタ、嫌というほどお目にかかる。
ストーリー的には、おカネや愛憎が絡んで、ろくな展開になっていない。
社会バージョンを絡ませない、家の中だけに集約するとしても、
男性と女性、同じ年月を過ごすと、同じ年齢を重ねる。
当然、歳の差は縮まらない。
老いの実態、哀しみなんぞ、絶対にわかってもらえない。
仲の良い親子でも、親の老いの実態に、驚愕するのに。
くしゃみや咳ひとつするのでも、年寄りじみたその仕草が、カンに障るかも知れない。
食器の洗い方があまりキレイになっていなくても平気だったり、部屋の掃除やお風呂も、清潔ではなかったり、
若い頃とは違う、そういう自分の身の回り全部に、気を使ったり、理解できないだろうと思ったり、
そんなことを毎日感じながら、とてもいっしょに生活できない。
これは、「老い」バージョンであるが、
「男女の愛」熟女バージョンの時は、まあ、それなりに若い女性にはない良さもあることだろう。
が、若い女性には、女性としても、能力としても、絶対に負ける。
閉経後は、子供も生めない。
むしろ、そんな自分と別れない、うら若き男性がいるとすると、理解の範疇を超える。
だから、そもそも接点はないと思われる。
社会的なことを目当てに擦り寄ってきたとすると、こちらが警戒してシャットアウトする。
なので、自分にはありえない展開の事件、組み合わせとして、この事件は興味を引いた。
世の中の人も同じようなものだろうと思われる。
昨日は祝日であるにもかかわらず、家人がゴルフがなく在宅だったため、テレビ垂れ流し。
その中での、ある朝の民放・情報番組で、このニュースをわざわざクローズアップし、取り上げていた。
どんな新しい情報が加わるのかと一生懸命見ていたが、(わたしもヒマジン)
なんてことはない。
すでに報道された、ほんのわずかな情報を、ただただ大きな文字で、大きなボードに貼り付けているのみ。
表にするといっても、文字を、枠に入れたのみ。
わざわざ文字にする必要がどこにある?
別に複雑な内容を時系列に沿って説明するために、補足として必要とか、そんなことは、まったくない。
ボードを指差して、なにか詳しい説明があるかと思いきや、まったく、一切なかった。
しかも、コメンティター的な人が何を言うのかと思いきや、
考察も分析もない、こころにもアタマにも、まるで響かない、ただ、テレビの前の視聴者同様、したり顔で説明を聞くだけの、のぺっとした対応だった。
ほんの一言でもコメントを発して欲しかった。
(ホンネや好きなことを言うと、叩かれるから、言う前に口にチャックしているのだろうけれど。
あるいは、無関心、興味なしで、時間が過ぎればよし、とコメンティターとしての意識が低いか)
で、朝の情報番組をいつも見ている視聴者の平均像が予測できた。
そうとう、なにもすることがない、テレビしか見ない、かなり高齢の方々のようである。
番組制作者から、なめられている。
適当な生ぬるい、いいかげんな番組でも、テレビを見ることしかしない視聴者は、見る。
テレビからどんどん人は離れていき、どんな番組でもいいから、それでもテレビを見る人だけが残る。
質は低下するばかりだ。
(ううっと唸るほど、良い番組もあるが)
が、こういうことを長々、延々と書くわたしも、テレビを見るしかすることがない皆さんと、あまり変わりがないと思える。
めくそ、はなくそを笑ってはいけない。
そんな資格は決してない。
同じ穴のムジナ。