義母の40年前からの知人。
何度もバス停で顔を合わせる。
最近は、かなりの確率で遭遇する。
わたしは、この女性が苦手中の苦手。
遠くからでも、その人を見つけると、うっ、、、、となって、がくっとなる。
ああ・・・。
先方は、必ず、わたしに近寄ってきて、蔓延の笑みで、なんやらかんやら話しかける。
話の内容が、不快である。
直近では、娘婿の出身大学を聞いてきた。
じつに鬱陶しい。
どこ出身でもいいではないか。
学部まで気になるらしい。
ホメ殺しというものは、人を不快にさせる、ということを彼女はわかっていないのだろう。
なんでもかんでも、わたしに関連する人物を褒めるのであるが、わたし自身のことは、これっぽっちも褒めたことがない。
すべて、わたしではなく、わたしの関係者のことを褒めちぎる。
それはそれで、彼女にしてみれば、おべんちゃら、営業トークのつもりなのだろうけれど。
わたしは、聞けば聞くほど、不快この上ない。
先日、ついに、バスの中で、うんざりの沸点に達した。
「最近では、そういうことにこだわっていては、だめですよ」と。
ちなみに、わたしは、彼女自身についても、彼女の家族についても、顔しか知らない。
学歴だの、職歴だの、まったく知らない。
強いて言えば、わたしと同世代の息子さんが未婚であるということぐらいか。
そのほかは、ご主人や、近くに住むお姉さんが亡くなった時もリアルタイムで知っている。
40年もあれば、ご近所でもあるし、そこそこ、情報は伝わる人には伝わってくる。
真隣に住んでいても、個人情報について、知らない人は知らない。
人の出入り、流れのない、閉塞感のある田舎とは違う、
そこそこ流れがあって風通しの良い、今、住んでいる地域が、住み心地がよくて気に入っている。
しかしながら、個人情報を保護したいわたしは、彼女のような人は、ほんとうに迷惑な存在である。
ご近所に、情報通の人(ぬし)がいて、その人のところには、かなり細かい正確な情報が集まっている。
その人物を通して、他の人の情報を聞く分には、わりと嫌ではないのだが、
自分のことを言われるのは、嫌。
自分の知らないところで話題に上がるとすると、それは止めようがないが、
面と向ってあれこれ言われるのは、不愉快である。
これは、究極の自己チューか。
わたしは、言われるのも嫌だから、人にも、他人の情報を流さない。
最近、娘が、孫を散歩させていて、あちこちから情報を拾ってくる。
情報の出口は、おしゃべりができるようになった、小さなこども。
幼稚園~小学校1年生ぐらいの女の子は、家庭事情をぺらぺらと、よくしゃべるようだ。
こどもの口にも、戸は立てられない。
しゃべられてもいいような、立派な家庭であれば問題ないが、
なんだか、そのために、頑張って襟を正すというのも、順序が逆のように感じる。