蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

超絶人気ブログを読んだ感想。「暮らし」について考えた。

2015-12-12 | 暮らし

ブログ「○の芝生」は、すごい人気だ。

彼女は文才がある。
わたしのブログへのアクセス経路に、「○の芝生 作り話」という検索から飛んできたものがあった。

なんで、そこから飛んでくるのかよくわからないが、
おそらく、わたしのこれまでの記事内のどこかに、「○の芝生」という文字が入っていたのだろう。
そういう記事を書いたのかどうか、などと、本人は覚えていないところが、じつに、いい加減であるが。

内向きの繊細な性格の、「○の芝生」のブロガーさん。
内向的なところは、わたしと同じだが、
わたしは、繊細ではなく、どちらかというと、ガラスのハートというよりは、銅の鈍い重いハート。
シャキーンと切り込むこともあるが、無神経なほうだろう。
マイコン制御で、精緻な作業ができるものではなく、直進しか機能がない工業用ミシンのようなものだろうか。
応用が利きにくいが、壊れにくい。


彼女のブログの圧倒的アクセス数には驚かされる。
確かに、素人のなかでは、読み物として、読み応えがある。
細やかな心理描写が、巧み。

と同時に、テーマに感情移入させられる読者が多いのではないだろうか。
わたしは、現役子育て世代ではないので、昔を思い出すしかないのだが、
「働く母親と、子育て」が、彼女のリアルタイム日常として、書かれている。

ガラスのハートでは、仕事をするには向いていないと感じる。
ガラスもだんだん、強化ガラスになるか、性能の良いプラスチック製になるか、
なんらかの変化がないと、ガラスのままでは行き詰まってくるだろう。

長女が貸してくれたコミックにも、「子育てしながら働く母親」が描かれているものがあった。
子供がまだ乳幼児で、病気になった時、保育所が預かってくれない事態が、じつに困る。
対策を講じなければ仕事ができない。
皆さん、どうしているのだろう?
長女の場合は、実家の母(=わたし)が、命綱となっている。
姪の場合は、旦那さんのご両親(リタイア)が、命綱。
長女の友人達は、やはり実家のご両親。
では、実家が遠い人や、実家が面倒を見てくれない人はどうしているのだろう。

わたしは、子供が乳幼児の頃、自分自身が病気になってしまい、夫の実家に子供ともに転がり込んだ。
その後は、わたしも病院通いから遠のき、子供も成長し、病気もほとんどしなかったので、両親の出番はなくなった。

○の芝生さんは、娘さんが小学生低学年なので、そうそうべったり、横に着いていなくいてもいいように思う。

子供が、「ママ、そばにいて。家にいて」と言うのを、
あらま、かわいそう、と思っていては、仕事ができない。
ネグレクトや虐待は赦されないが、そこそこの対策を練り、整えていれば、100点満点でなくても、見切り発車。
子供と一緒に、流されてしまうと、あとは、どうなるのか。
(よほどの重病で、かかりっきりにならなけれなならない場合は、別として)

子供が学校から帰って来るときに、家に居て「お帰り」と迎えてあげたいから、と、
専業主婦をいている元ママ友がいた。
彼女の場合、子供がいなくても、仕事はしないだろうと思われるが。
彼女に関してのみ言えば、子供はある意味、ダシに使われていると考えられなくもない。
あくまでも結果論であるが、子供にべったり手厚く過保護にしていると、子供は自立しにくくなる。
子供の要望をまるまる聞いてあげていると、際限ない。
親の方針があって、子供。
どの家庭にも、教育方針というものがあるはず。
ある程度、その時その時に細かいところは調整すればいい。


昨今は、専業主婦を養っていける大黒柱は、そう多くないらしい。
専業主婦はおカネを稼ぐ仕事をしなくていい、という、素晴らしい、黄金のカテゴリーに属している。
(外でおカネは稼がなくてもよいが、家事や家庭見守りを業者に代行してもらうと、かなりの費用になる)
国が面倒を見なくてもよいように、家庭内で主婦を養ってもらおう、などと、その時代、時代の国の政策に利用されている。
専業主婦であろうが、なかろうが、そんなことよりも、生活の質が問題である。
質を整え向上させるためには、ある程度、おカネが必要である。

健康、おカネ、時間。

週休3日を唱えるお偉いさんがいるが、「わあ、休みが増える!バンザイ!!」と喜んでばかりはいられない。
休みが増えるということは、労働時間が短縮されるわけで、給料もその分、減るのだろう。
おカネはあげられないけれど、時間をあげるからね。
そう提案されて、喜ぶかどうか。
一瞬、複雑な心境になるものの・・・
「おカネのあまりかからない、省エネ生活を満喫する術」を身につければよい。


大型商業施設のベンチや椅子が置かれている無料スペースで、ひとりで、じっと座っている70歳ぐらいの男性を見かける。
彼らを見ると、ひょっとして、家にいる奥さんに、「夕方まで外に居てちょうだい」と、家を追い出されたのではないかと想像する。
商業施設でなくても、公園や図書館なら、じっと座っているだけではないと思うが。
なにもしていないようでも、体や目、アタマを動かす。
しかし、体力や気力があまりなく、意欲もない場合、じっと座っていることになる。
それはそれで、その人の人生だ。

話は、どんどん、逸れていく。
子育てから、老後の暮らし方まで。
とりとめないから、今日は、これで終わりです。

 

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