蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

スルーしてください

2015-12-02 | 趣味

わたしの根暗、ひねくれ・ねじれまくりの一面が、如実に顕著に、あらわに露呈されるような記事を書いた。

ここ数日、趣味のsnsで、社交ダンスの競技選手が次々、勝利結果を日記にアップされているのを読んでいた。

わたしは、競技に出ていない。
競技には出ないのは、選択して能動的に出ないのではなく、状況的に選択肢なく仕方なく出られないのである。
出られない理由は、実力・能力不足、相手に恵まれない(でも、今の相手は、きっと自分に相応しい相手)
相手が、競技をしたがらない、・・・などなどである。
そこへ、優勝トロフィー、賞状写真付きでアップされる日記が次から次へと目に飛び込み、さらに皆さんのおめでとうコメントがズラリ、ズラズラ、で、そうとう、もやもやしていた。
わたしの胸の内やいかに。

その趣味snsのマイページで、日記として投稿しようと思って書いたが、さすがに投稿しなかったお蔵入り記事。↓


・・・・・・・
タイトル  「スルーしてください」

続々と届く、競技のおめでたい勝利の結果。みなさま、おめでとうございます。
嬉し涙が流れる一方で、悔し涙がいったいどれほど流れたことでしょう。

人の幸せを我がことのように喜んでくださる人々に応援される、競技選手の皆さんは、そうとうな実力、人気があることが伺えます。

そこで、ひとつ不思議なことがあります。

ライバルの競技選手は、素直に拍手を送れるものでしょうか。
自分たちも精一杯戦ったので自分たちがどんな結果であっても悔いがない、
あるいは、不調だった、またはサボっていた、はたまた、険悪なムードだったので、勝てなくても、当然、自業自得の成り行きで納得できる、とか?

競技をしない人は、自分が競技をしない理由に納得していて、競技をする人を応援するのでしょう。
自分を取り巻く現状を見極めて、中には、あきらめを克服して達観している人もいるでしょう。

競技をしない人で、自分が競技をしない理由に納得できない人は、競技話題は不愉快かも知れません。
現状に満足できない生煮えの人は、どんな分野でも、取り扱い注意で、厄介です。
自分が生煮えの場合、対象課題に対してスルーするのが一番妥当な方法かと思います。

隅々末端まで100%の人々からの賛同は、ダンスはもちろんのこと、
ダンス以外であっても、どんな世界であっても不可能です。
いちいち気にしていたら、自分の幸せ、満足感が目減りします。
スルーする人などスルーして(存在しないものと見なし)
あたたかい拍手を励みに、また頑張っていただきたいものです。

・・・・・・・・・・・・

以上、これを書いたものの、さすがにアップする勇気はなかった。
で、恥さらし蝶ブログにアップすることにした。

「拍手する人は、自分達への応援もして欲しいこともあり、互助会的に、保険的に、拍手する場合もあります」
という一文も書いたが、消した。

消した理由は、保身しているからだ。
大人なんだから、なんでもあからさまに赤裸々に書けばいいというものではない。
(その割りに、なんでも書いている、わたし)

昨夜、一晩、考えて、自分のウラミや嫉妬やコンプレックスは、一応、さっと流れて消えたので、
記録のようなかんじで、この文章をアップする。
とはいっても、火は完全に消えたわけではなく、一時鎮火しただけであって、
またもや、なんらかの場面で、醜い部分が噴出するかもしれないが。

その時は、また、うんざりしつつも、熱心に耳を傾けて、自分の声を聞いてみよう。



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補足

仕事や家庭や経済や病気、怪我の事情で、競技に出られないのではなく、
自分の実力の無さのせいで出られない。
なので、自分以外のせいにしたら楽なのだが、
哀しいかな、自分の原因あっての結果は、自分で引き受けなければならない。

なにに足を引っ張られることもない、勉強だけに専念できる、受験勉強の完璧な状況が整っている環境で、
アタマが悪くて勉強ができない、というのと似ている。
ああ、トラウマ。