蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

今年のお盆

2016-08-10 | 

もうじき、お盆。

今年は、司令官が壊れてしまっているので、わたしが司令官代理。
というか、司令官になりたくないけれど、司令官 兼任 実践者。

お盆の行事。
あんなに力を入れていた、「お盆・命」「イエ行事・命」の、
すっかりお盆のことなど忘れてしまっている、もと、司令官。
とても不思議な気がする。

もし、誰にも継承していなければ、お盆の行事は闇に葬られていたところだ。
たまたま、(というか、無理やり)、毎年毎年、わたしが参加させられていたので、
わたしはさすがに、体で覚えた。

さて、マインドはどうか。
どうなんだろう。

司令官が壊れているから、もう、お盆の行事はやめとこうか、と(本気ではないけれど)、そう次女に呟いてみた。

すると、次女は「おばあちゃんが生きている限り、続けたほうがいいんじゃない?」と、ぼそっと言った。

本来、息子の嫁がいて、わたしがそうだったように、お盆の行事を姑と嫁が、いっしょにすれば、
お盆行事が継承される。
のだが・・・。
息子は遠い遠い地に行ってしまっている。(この世ですが)

家の行事はよほどマインド、想いが強くないと、継承されない。
すごくマインドの強い親戚がいて、そっちは、今の跡継ぎが娘さんなので、しっかり継承されている。
次世代は、まだまだお若い、未婚の息子さん。
むこうは、もう何代も前に本流から枝分かれした親戚なのであるが、人材がしっかりしていて、継承もしっかりされる。
(頭も性格もやる気も、きっちり)
伝統行事や慣習で、わからないことがあれば、聞きにいけば教えてくれることだろう。(情報・ノウハウの逆輸入)
元祖であっても、ぼけっとしていると、だめですね。

なにがだめなのかというと・・・やはり、人材である。
その人材こそ、わたしなのである。
(夫は、姑まかせ、嫁まかせ。戦力外。わたしよりヒドイ。
が、自分は何も知らなくて、何もしなくても、当然のように、完成されたものを求める。
このスタンスに、わたしはものすごくストレスを感じる)

わたしには、強いマインドがない。
押し付けられ、強制されたマインドや行事に、反感こそ覚えても、積極性は育たなかった。
代々の伝統行事であったとしても。
とりあえずは、かたちだけ、最低限度継承する予定ではあるが。


もともと、わたしの人生の自問自答、答えが出ていないものが、いくつかある。
ほじくってみても、解決にはならないので、ほっている。
眠った子を起こしても、徒労に終わるだけである。

親がしっかりしすぎると、子世代は、しっかりしない。
我々は、これの典型である。
しかし、しっかりしない親に育てられた、子世代、これがまた、しっかりしている。
順番・交替制度か。

強弱、強弱、スロー、クイック、スロー、クイック、、、そうやって綿々とつながっていくようだ。
細くても強いピアノ糸のようなもの、そういう芯だけ、しっかりあればいい。
頑丈な枠踏みがあれば、中身は時代に応じてリメイクすればよい。
ただし、枠組が大きすぎる場合は?
時代に合わない時は、英知を絞って考えればよい。


郷に入れば郷に従え、であるが、郷に入ってないので、郷に従わない。
「郷」と、「out of 郷」が二本ラインで同時進行ということになる。
しかし、このやり方は、次世代はどうするのだろう?
次世代(産んだとたんに、周りから、でかしたぞ、と、大喜びされた人物)継承人自体が、どこか遠くに行ってしまっているので(何度も言うようですが、現世です)
なんぞの折には、しゅるしゅると、タコの糸を手繰り寄せることになる。
糸は、もつれて解けなくて、やっと解いたら切れているか、解く途中で短気を起こして、切ってしまうか。
時代によって形は変わるので、旧来の方法を押し付けても、逃げられるだけだ。

火を消すのも、絶やすのも、種火だけ点けておくのも、バトンを受け取った者の行動に左右される。

まったくそんなこととは関係のない生き方をしている人も、とても大勢いて、
価値観はまったく違うので、それはそれで、それぞれに良い。

と、この記事、どう結ぼうかと考えていたところ、
実家の親戚のお嫁さんから、初盆お供えを送ったお礼の電話が入った。
ご丁寧に、恐れ入ります。
ちゃんと教育されている、このお嫁さん。
わたしとは、デキが違うと感じた。
せめて外に向けてだけは、最低限度、わたしも嫁としての役割を果たしたほうがいいかな、と実感した次第だ。
と同時に、中に向けても、である。

 

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