蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

子供じゃあるまいし

2016-08-13 | 
今年のお盆は、退屈この上ない。
姑ダウンで、姑の自宅は留守。
姑宅で、お坊さんお参りスタンバイ。

明日のお盆行事日程も、今日にまとめてやってしまい、早く自分の家に帰りたい。
姑宅の地元で長く暮らす、手伝ってくれている高齢の女性に、「前倒しは、ダメですかね?」と聞いてみた。
「いいんと、ちがいますか」との答。そのほうが、彼女も省エネ。

が、早く家に帰りたい、なんて、子供じみたことは言えないし、(自分ちで何がしたいわけでもないのに)
「そんなことは家の主(あるじ)が決めること」と、夫にも反対された。

で、今は、行事と行事の間の時間待ち。

退屈で退屈でしかたない。こんなに退屈なものだったっけ?
お盆って、そうやって、里帰りしてきたご先祖様と、のんびり対話するためにあるのかも知れない。

しかし、ご先祖様で実際に知っているのは二人だけ。
しかも、二人とも、あんまり、話らしい話はしたことがない。
宗教心などほとんどない、血のつながらない嫁の私にとって、仏さん行事は、義務以外のなにものでもない。

気持ちが入らないのは、けしからんのだろうけれど。
でも、いちおう、義務は果たします。
とりあえず、イエの嫁であるという認識はありますので。

若いピチピチの新人嫁でもない、ひねたトウのたった嫁は、かわいくもなんともない。
なんといっても、もう、名実ともに、おばあさんだから。
おばあさんには、おばあさんの収まりどころというものが、あるはず。

でも、(跡取りが自分たちではない)核家族、都会の家は、また別の収まりどころがあるのだろうか。
自由と引き換えに、自立、個人主義。
それはそれで、それぞれに良い面も良くない面もある。
なんだって、どんなことだってそうだ。