蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お天道様なんか、あっちへ行けぇ

2016-08-20 | 老い
母からの何度も電話。
「お見舞い、来てね〜」
今、母のところに向かう電車の中。
徒歩、バス、電車、専用バスを乗り継ぎ、2時間半かかる。

この暑い中、母はお盆に、姉に実家に連れて帰ってもらい、そこに訪れてきてくれた母の妹(おば)と姉妹対面したことは、ころっと記憶から抜け落ちている。
他にも自分の息子(兄)をはじめ、濃い親族たちと大勢、会っている。
出来事からまだ一週間も経っていなかった。

「暇で、なにもすることがない。家に連れて行ってほしい」と母は言う。

母のいる所で夏祭りが催され、姉一家が訪れ、母は浴衣を着せてもらって孫や、ひ孫に囲まれ、夏祭りを楽しんだのも、まだ二週間経っていない。

姉は、尽くしても尽くしても、ザルから水が流れ落ちるかの母に、落胆している。

その時だけの記憶。
働きかける自分たちサイドだけ記憶に残ればいいか。
見返りに期待せず、楽しませてあげたという、自分たちへの自己満足でしかなくても、悔いが残らない行動を取ればいい。
お天道様は、見ている?
母本人は見てないが、子供や孫たちが見ている。
ただし、それは姉一家。

私はいつも単独行動なので、お天道様も家族も、誰も見ていない。


明日は姑、退院日。
こちらも、病院に通い、あれこれサポートした私の行動は綺麗さっぱり忘れている。
「入院してから、歯、なんか磨いたことなくて、今頃、初めて歯を磨いているんよ」と姑は言う。
が、私は、何本も歯ブラシが要るというから揃え、病室で何度、歯ブラシを洗浄し、コップの水を替えたか。
残念ながら、誰も見ていない。

姑に「現金をくれ」と頼まれ、夫が病室で(病室に置いておくには多額な、請求されるままの金額を)姑に渡したという。
毎日、病室に来てくれて着替えを持ち帰り洗濯してくれ、とても世話になっているという女性に姑が手渡したようだ。
(パジャマやタオル、備品はいくら使っても一定料金、リース手配済み、紙オシメ等は、私が切らさず購入)
お金をはじめ、計算ができなくなっている姑。

ああ、またこのパターン。
去年の実母のデジャブ。
先が思いやられる。

誰も見ていなくても構わない。
どうせ、大したことはしていない。
実在するのは、老いの現実のみ。